Dr.2269 人生不可解(5月9日)
昨日は今月講演を頼まれている組織の方がお見えになって、参加予定者がどういう方々で、どのような話を期待しているのかを説明してくださった。数年前にもドクターが講演したことがあるという。こちらの記憶は怪しいので、かつてよくやっていた講演記録などを見返していると、なかなかいいことを言っている。
その中に「人生不可解 何が良くて何が悪いのかは最後まで分からないので、こだわらず、流れとご縁でやる流れになったことをたんたんとやっていく」というのがある。前にも書いたかもしれないが、これがやたら心に響くというのは、今が一つの人生の転換期(節目)という予感があるからかもしれない。
これれから人生がどう展開していくのか、不安もあるけど、一喜一憂せずたんたんと自分がやる流れになったことを、感謝と貢献の気持ちを持って進んで行くしかない。これもいつも言っていることと同じですけど。
来客の方とお話ししていて、当日配付予定の資料にあるドクタープロフィールを見せてもらったら、改めて自分の人生(経歴)結構面白いとこを歩んできたなという思いがしてきた。流れとご縁で歩んでこさせてもらったこれまでの人生に感謝するとともに、これからはどんな風になっていくのだろうという期待と不安が入り混じった気持ちにもなった。
まあこれも人生不可解、自分で自分の人生が全て分かっている訳ではないので、不可解を楽しみながら、何をやっても出て来るプラスマイナスの出来れば、プラス面を中心に見つめながら、陽気に進んで行けたらと思う。
今度の講演も、皆さんに喜んでいただけるか不安もあるけど、どうなるのか楽しみもある。あんまり自信はないけど、できればプラス面、楽しみな面、期待面を膨らませて当日に備えたい。皆様、これからの人生、いくら考えても分からない所もあるので、一つ一つベストというのか、自分に出来ることをやりながら前へ進んで行きましょう。何が良くて何が悪いのかも考え方一つですものね。

Dr.2268 五月病(5月8日)
新学期・新年度が始まり緊張していたのが5月の連休でホッとして、それが終わって又学校や会社が始まるのが由鬱になって休んだり、体調不良や気分の落ち込みなどが起こると言われている。
新しい環境や思っても見なかった事態には誰でも緊張や戸惑いがあると思うが、何とかそれを乗り越えるというのか持ちこたえて、もう少し新しい環境での生活を続けて行ければ、多分1年もしたら何とかなるだろうと思うのですが。
自分の体と心の健康が第一なので、無理はしてはいけないけど、なぜドクターが「一年頑張ればなんとかなる」というのかというと、自分の過去の経験があるからだ。嬉野台生涯教育センターに変わって一年目は本当にしんどかった。上下関係の厳しい職場で、決済なども投げ返された思い出がある。もうここを続けるのは無理と思い、家族もあるので仕事はやめられないから、職場を変わりたいと1年思い続けていた。
ところが何とか1年立ったらその状態にもなれ、その後自分のライフワークともいえる冒険教育とも出会え、そのまま7年間もその職場で勤めた。自分としては、一生そこでもいいと思っていたほどだが、その後は流れとご縁で教頭、副所長、校長などを勤めて今に至っている。
自分の小さな体験かから、1年立てば五月病も直るというような軽々なことはいえないが、皆さん、連休明けしんどいでしょうが無理し過ぎず、自分の最善の対処法で乗り越えて行きましょう。その際、もしドクター体験が参考になるなら使ってみてください。でも、1年間はやはり長くてしんどかったので、今なら持たないような気もしています。決して無理せず、命を紡いでいくのが一番を忘れず行きましょう。周りの人の様子も気にかけながら、自分のことも油断せず安心できないのを忘れず、ボチボチペースをつかんで行きましょう。
☆堀に浮かぶ水鳥を撮ろうとしたのですが、あやつ魚取りに潜ってしまいました。なかなか元気です。この無心見習いたいですね。

Dr.2267 過去の自分に学ぶ(5月7日)
5月に一つ講演を頼まれていて、これまでにやった資料(パワポ等)を見直していると、今では頭から抜けていた言葉で、いくつかいいなと思うものを見つけた(自分で言うのも何ですね、お気楽な奴です)。
その中の一つに、「人間万事塞翁が馬 良い悪いは簡単には決められないので一喜一憂しない」というのがあった。そういえば、中国の故事を引用して講演などで話していた記憶がよみがえってきた。これら講演もブログと同じで、聴衆に向かって言っているが半分は自分に言っている。これは昔も今も同じ。
何が良くて何が悪いか本当に簡単には分からない。良いと思っていたことが辛いことにつながったり、あんまりよくないと思っていたことが良いことにつながったりという経験はいくつかしている。これを再確認できたので、目の前のことに一喜一憂せず大らかな心で、流れに任せて人生を進めて行きたい。
あんまり目の前のことに過敏に反応しないで、だいたいで大らかに行きましょう。かたよらない、こだわらない、とらわれない心が大事です。これは昔から使ってますが、今も忘れず覚えています。でも、なかなか実践できてません。いい言葉を思い出しても、心底実践できないとだめですね。過去に学んで、どう実践というのか使って行くのか、このあたりも試していきたいと思います。ボチボチですけど。皆様今日も良い一日になりますように。
☆昨日は子どもたちの忍者教室覗いてきました。何でも気になったものは覗く、すぐに思い付きで「きょういくじょう」というのは今も昔も変わってません。

Dr.2266 金婚式は無理(5月6日)
今日の新聞に金婚式の記事が出ていたが、ドクター結婚は遅かったので、90歳を超えないとたどり着けないからちょっと難しいのではないかという話になった。別に早く人生を終えたい訳ではないが、何が何でも90歳超えという気持ちでもない。
自然体でお迎えが来るときに、できれば安らかにあの世に行きたいとは思うが、何歳で逝くのかは自分の力を超えているのでお任せするしかない。この話題から、父は83~84歳で逝ったので、ドクターも後10数年やねという話になって、後何かしたいことあるの、特に無いんでしょうという話にもなった。
本当に後これだけはやっておきたいという強い希望はないが、出来れば残りの人生を機嫌よく元気に過ごしたいというだけ。そりゃ幾つかやってみたいことはあるが(海外で日本留学を考える人の手助けをする等)、それとて是が非でもないし、これまでの人生と同じく流れとご縁に導かれて人生は進んで行くので、そこを信頼して任せて行こうとは思っている。
自分にできるケア(身体を動かす、百姓をする等)はしながら、やる流れになったことを精一杯ボチボチと自分流にやって行くしかない。それしかできないし、それで十分幸せ、といういつもと同じような結論になりました、今朝の金婚式の話題から。
皆さま今日もちょっとした幸せ見つけながら、ボチボチ行きましょう。
☆昨日こども万博があった堀端の風景。ボートで楽しんでいる方々がいました。かつてはそれが楽しい時期もあったかなと思い返していました。その歳その歳の楽しさがあるのでしょう。これからどんな楽しさに出会えるのか、ごっつい期待もしてませんけど、ちょっとでも楽しいコト楽しい時間が過ごせたら嬉しいですね。まあ何とか今日もボチボチがんばりましょう。

Dr.2265 またまたご無沙汰してました(5月5日)
5月3・4日は早朝(5時くらい)から田んぼ仕事で田植え準備の水田仕上げ鋤(代掻き)を夕方(初日は19時半ころ)までやっていたので、ブログ更新をはじめ他のことが出来ずすみませんでした。
何とか終わった(終わらした)のですが、田んぼ仕事は性格が出て、何でも丁寧にきちんとやる人と、ドクターのように大雑把な人と、その間の人といろいろです。性格は生き方ともつながっているので、田んぼ仕事だけでなくあらゆる場面に出てきますね。
ドクタータイプは大雑把で細部にこだわらないので楽な面もあるが、反面打たれ弱く心配性な面もある、いわば大雑把で繊細って感じでしょうか。これは生き易い面もあれば、しんどい時もあり、どっこいどっこいでしょうかね。
しかし、世の中は何でもプラスマイナス両面あるので、それをどういう風に考えてメンタルを維持するかと言うことだろうと思います。百姓仕事に現れている自分の特徴を再認識して、良い面を活かし、マイナス面をどうフォローするかそこが大事なところです。
こんなことは言うまでもなく、ブログ二日間休止前も「日々どう元気さを保つか」が課題でしたね。まだまだこれというもにおは見つかってませんが、忙しくバタバタしてると、いろいろ考える間もないというのも事実としてあります。それでも、いつまでも用事だらけで行けるわけでもなく、一息ついた時もどう陽気さを保てるか、これからもまだまだ追求が続きそうです。
ともかく、連休の一日ぐらいはほっとした時間を過ごしましょう。何やってもそんなにホッとしませんけど。まあ比較的ということでしょうか。生きて、食べて、寝られていたら良しとする考え方もありだとも思っています。
☆田んぼ仕事の合間に、みどりの中で行われたソフトボール大会見に行ってきました。関係者の皆様、お元気でやる気一杯(のように見えました)。

