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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.867 真っ白な気持ち(12月31日)

今朝起きてみると一面銀世界の真っ白な世界が広がっていた。一年の終わりに「真っ白な気持ち」で来し方行く末を考えよという天の声と思い、この一年を振り返って、今後の生き方も考えて見た。出来事としては、義母の死、市議会選挙出馬、新型コロナウィルス感染拡大、それに伴う冒険指導激減、友の死等と大きな出来事が数多くあったが、追い求めるテーマとしてはこれまでと変わらず「定年後をいかに生きるか」だった。このテーマは来年も変わらない気がしている。現役フルタイムで働いている時には仕事で忙しく、大変なこともあるがやりがいもあり、夢中で時が流れ去った感じだ。生き方を考える時間も余裕もなかった。いや実際には結構「どのように生きるのが良いか」等についても考え、学校の子ども達にも発信してきたように思うが、定年で定職がなくなってからのその問いに答える切実さに比べればその比ではない。「いかに生きるか」「どう過ごすか」をしっかり考えていないと、人生・毎日がズタズタになりそうな気がする。結果的に「考えても仕方がない」「流れに任せて生きる」みたいな答えになったとしても、全力で問いと格闘し答えが腑に落ちていれば良いが、そうでないとと何度も迷いが襲い掛かる。また、一度「これで良い」と思っても、答えを磨き続けていないと、安心安定した気持ちは続かない。そんなことで、来年も「定年後の生き方」をメインテーマに生きて行くことになると思うので、お付き合いの程よろしくお願い申し上げます。このテーマで生きる人生、大変なところもあるけど、やりがいもあるし上手く行けば快調だし、ともかくやるしかない。

 ☆久しぶりに出現した雪景色を機に、真っ白な気持ちで期し方行く末を考え、やっぱり「定年後の絶こうちょうな生き方」のテーマを追い求めていくしかないという思いに至ったドクター。もちろん流れでやることになった役目や仕事は精一杯取り組む覚悟だが、頑張りすぎるとドクターの良さがなくなるから自然体で行きなさい、というアドバイスも大事にしたい。

Dr.866 人の世話(12月30日)

ドクターが人の世話をしたという話ではなく、逆に人の世話になって田んぼの隅に車の駐車スペースを作ったという話。ご近所の農業先輩にお願いして、ユンボやダンプ形状の軽トラック等もお借りしての作業となった。ドクターも手伝いはしたが、先輩の機械操作の腕前や段取りの良さ、素早さや献身的な作業姿勢を目の当たりして、自分の非力さや人頼みの性格などを痛感した。先輩は駐車スペースの土台となる部分の田んぼの土をユンボで掬い取り、ダンプ軽トラの荷台に乗せてくれた。それをドクターが田んぼの中を走らせ、田んぼの低い部分に運ぶのだが、途中でタイヤがぬかるみにめり込み動けなくなり、またユンボで引き出してもらった。田んぼの土を取り除いた部分に今度は先輩が1~2年かけて自分の田から拾い集めておいた小石を入れて土台を作り、その上にこれまた先輩の山から運び出した山土を被せて出来上がった。これだけ惜しみなく資材を提供しておきながら、先輩は「農業機械は自分の趣味みたいなものだし、小石を捨てる手間が省けてウインウインだ」と言ってくださった。勿論幾ばくかのお礼はしようと思うが、損得抜きで人の世話を焼く先輩の姿勢に(定年後)生き方の一つの見本を見せてもらった気持ちだ。人の世話をすることの大切が分かったからと言っても、急に不自然な人の世話を始めたら却って人様に迷惑をかけるだろうから、従来通り自分の出来ることを自分のペースでやるとしても、それが誰かの役に立つことは意識していきたい。

 ☆同じ村の先輩に世話になって作成中の田んぼ隅駐車スペースとお手伝いで却って作業の足を引っ張るドクター。「人の世話をする」「人のためになる」ことを心掛けていきたい。

Dr.865 場(環境)は未来から(12月29日)

地域の消防団の年末警戒を慰問する自治会長さん達に同行した。地域選出の市会議員として日頃の消防団活動に感謝を表すためだ。行く前は夜間だし、夕食時にお酒は飲めないし、とちょっと躊躇する気持ちもあったが、訪問してみると団員の皆様のキビキビした態度や来訪を喜んでいただく姿に触れられて、参加してホントに良かったと思った。このように流れや役目でやる羽目になったことの中には、最初一見気乗りしないものもあるが、やってみると(終わってみると)結構満足ということが多々ある。ここはやはり、未来からやってくる役目・環境・場を信頼して、つまりは流れや成り行きを信頼して、気乗りしないことも含めてやって行くと、結果としては結構充実した過ごし方になる。そんなことを改めて痛感した夜の消防団訪問だった。

 ☆各詰め所では隊員の皆さんが出迎えてくださった。ご苦労様です、ありがとうございました。

Dr.864 一粒の麦(12月28日)

時間が出来たので地力アップの肥料を撒いて荒鋤きをした。ドクターはこの肥料を撒く時、「一粒の麦もし地に落ちて死なずば・・」という聖書の言葉を思い出す。全く状況は違うし、解釈も間違ってると思うが、ドクターの思いはこうだ。もしこの肥料を買ったままにしておけば何の役にも立たないが、田んぼに撒いたならばいくばくかの効果はある。だから今撒くのが最善のタイミングではないかもしれないが、撒かないよりはましだと考えて、撒ける時に撒いておこう。素人百姓のドクターとしては、肥料や除草剤を撒くときになるといろんな不安が頭をよぎるが、その不安を取り除くために、この言葉を横引きして強引に自分の心を納得させる。「完璧な撒き方ではないかもしれないが、(一粒の麦のように)もし地に撒かなければ(死なずば)、何の成果もなくなる」から、それよりはマシと考えて勇気を持って(適当にでも)撒こう、となる。麦と肥料は全然違うけれども、地に落ちるというのと地上に撒くというのがイメージ的に似ていることからの引用だが、このドクター流解釈は肥料やり農作業以外にもいろんな局面で使える。所詮人のやる事は完ぺきではないし、ましてや脳の老化で記憶力の減退が進む身では不完璧さがいっぱいだ。そんな時、完璧ではなくても何も行動しない(地に撒かない)よりはまし、不十分な点は後で補うか「まあいいか」で済ませば良い。こんな感じで、この言葉を大事にしながら、不安だらけの毎日を歩んでいる。

 ☆「一粒の麦」の言葉を自分流に解釈して、不安だらけの農作業そしてさらには人生を大胆にかつ大体で生きて行こうとするドクター。大体でも撒かないよりはマシ、やらないよりはマシと思おう。

Dr.863 待ちに待った(12月27日)

年末年始の長期休みが始まった。この1週間以上にわたる休みを普通には「待ちに待った」(休み)と表現する。フルタイムで働いている人にとってはこんな長い休みは盆と正月くらいだろうから、「待ちに待った」という気持ちは理解できるし、ドクターも現役中はそう思っていた。でも定年後の曜日関係なし不定期勤務の者にとっては、長期休みは「待ちに待っていない」し、そんなに楽しみという訳でもない。コロナ禍の今年は特にそうだが、そうでなくてもトレーニングセンターやいろんな施設が閉まっている年末年始は、どう過ごすのかに苦労する。週何日か予定が入っていて後は自由という、いつもの日(日常)の方が嬉しい。週末や年末の休みというのは、フルタイムで働き日頃自由がない人にとってのご褒美、楽しみ、「待ちに待つ」ということだと思う。ここらあたりの加減が難しい。自由時間がありすぎると休みの有難さが味わえないが、だからといって自由時間がなさすぎるのはしんどく息が詰まる。やはりここでも人生の大原則、「(何事も)ほどほどが一番」「いい加減が良い加減」の適正さを感じる。今後はこの原則をより大切に、いろんな場面の決定に当てはめていきたい。そうだこれを1年の計にしよう。でも年末年始がぴんと来ないので、「1年の計」ももう一つピンとこない。

 ☆地元の要望を受けて、丹波土木事務所が塗装してくれた自転車(歩道)橋。費用の関係で全面塗り替えが出来なかったが、ほどほど(出口部分のみ)の塗装でも要望が届いたことを有難いと受け止めます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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