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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2162 たまたまその時(1月4日)

 いつもは車などほとんど来ない田舎道に自分が車を停めた時だけ別の車がやって来て、車を移動させなければならないという経験が何度かある。よりによって、たまたま、その時だけ、タイミングが重なるということが、他の場合でも人生では起こるような気がする。

 昨日も、正月期恒例のランニング・ウォーキングをしていて、隣村の移住者別荘前を通りかかると、顔見知りでしばらく会っていないその家のご夫婦が訪問客を見送るために家の外に出られていて、「お久しぶりです。お元気そうですね」みたいな言葉を交わすことが出来た。

 ドクターがその家の前をランニングするのは正月期間3~4日だけであり、その日のドクターのランニング時間も畑仕事の出来が遅くたまたまその時刻になったのであり、その家の人が家の外に出る時刻もこの寒い時期なのでその来客を見送る時間(せいぜい数分)だけで、その時間にドクターがその家の前を通る時刻と家の人が外に出る時刻が重なるのは、本当に考えられないほどの偶然の一致であり、その1分前でも後でもその家の人と顔を合わせることはなかったと言える。

 本当にこれは偶然のような必然な気がする。このような、「たまたまその時に限って」ということは、いい意味でも悪い意味でも、もっと大きいことでも小さいことでも、人生にはあり得る。

 「だから人生は面白い」とも「怖い」とも言えるが、この偶然のような必然が起こりえるということは頭において、その出会いをどう活かしていくのかを考えて行きたい。

 ドクターの場合はこれを「人生のご縁」と捉え、「大きな力の意志の現れ」と思って、その出会いやご縁を大事にして行きたいと思っています。というより、そのご縁によって生かされ、今の自分があるのだとさへ思っています。父と母の出会いがあって、ここで生まれここに暮らす自分。たまたまのようでもあり、必然なのかも。これからもあれこれ悩まず、この大きな流れに従って、その中で自分の出来ること、すべきことを考えて行きたいと思います。

 ☆たまたまこの地に生まれ、この地で生かされている人。これからどんな出会いがあるのか楽しみです。皆さん、今日もボチボチ行きましょう。

Dr.2161 追いつめられるとキツイ(1月3日)

 年末年始はトレーニングが休みなので、家の周辺を走っている(歩いている)。いつもは道中に誰もいないのだが、昨日に限って親子連れが歩いていた。離れていたのと老眼で、村人か村人の親戚の人か、はたまた全く知らない人かは分からなかったが、何とその人たちがドクターと同じ方向にやってくるではないか。

 これは早く走ろうにも走れないドクターとしては心理的にきつい状況だ。自分一人なら、後から「今日も歩いてはったね」とか何とか言われようとかまわないが、後ろから歩いてきた人に追いつかれたり追い越されたりするのは、一応ランニングウェアで走っているつもりの者としてはプライドが傷つけられる。「歩いている人に追い越される走っている人っているだろうか」

 というような強迫観念にかられ、いつもなら気持ちよく自分のペースで歩くようなペースで走るドクターが、必死に速く走れないのに全力で坂道を駆け上った(ほとんどスピードは出なかったが)。スピードは出なかったが、必死のぱっちで、後ろの人に追いつかれないようにもがき走るのは相当きつかった。

 しばらくして恐々後ろを振り返ると、コースを変えたのか二人の姿は見えなかった。ホッとして、それからはいつものペースで気持ちよく田舎道を歩くようなスピードで走ることができた。それにしても、精神的に追い詰められるのがこれほどく苦しいとは。同じコースが雲泥の差に感じた。

 そこから又日常生活に活かせると気付いたことだが、何よりも精神的な心の持ち方が大事ということだ。どうしたら、精神的にリラックスできるのか、追い詰められたようにならないか、これも大事なポイントなので研究中だが、今回は同じ仕事量(走る距離)でも、精神的な持ち方でとても大きな差が出るという学びだ。しっかり精神的な心の落ち着かせ方の処方箋をつかんで、仕事も日常生活もゆとりを持って心穏やかに過ごせるようにすることがどれほど大事かということは分かった。

 ☆6年前の正月ですけど、ほとんど変わってません。やることも変わり映えしてないですね。心の落ち着かせ方は進歩したいんですけど。今日もボチボチ行きましょう。

Dr.2160 効率だけでは(1月2日)

 元旦マラソンの後、年賀状を書いて、夕方家族で回転寿司へ。いつも行く回転寿司屋さんですが、昨日に限って、注文すればすぐに注文したお寿司がやって来た。これは厨房、稼ぎ時と思って相当気合が入っているな、と思わせるような手際の良さだった。

 食べたいお寿司が直ぐにやってくるので、便利は便利なのだが、飲むペースが追い付かず、もう少し飲みたいのだが、食べる方はお腹いっぱいで、もう終わるしかないかなって感じ。いつもなら、注文してから、お寿司がやってくるまで間があるので、その間ちびちびお酒など飲みながら待つのだが。今回はその間がなかった。

 最後のお勘定も、以前なら、店員さんがやってきて皿数などを数えて、伝票票を書いて、これをレジで支払ってくださいって感じだったが、この頃では、電子注文機で清算して店員さんはやって来ないので、食べ終えたら即レジで店を出るって感じで、食べた後の余韻もない。

 入店から店を出るまで、30分ほどで終了。これは効率(時間コスパ)は良いのだろうが、何か満足感がいま一つ。

 この体験から気付いたのだが、人生もコスパだけではつまらないってこと。順調、予定通り、効率良し、っていいかもしれないけど、満足感も今一つになってしまうのでは。ここはやはり、回り道、何やかやのエピソード、騒動等もありながら、人生の思いでが出来、満足度に繋がるということだろう。

 あんまり大きなトラブルは望むところではないが、順風満帆だけではない、寄り道、予期せぬ出来事ありの、何やかやの山あり谷ありの人生というのが味が出て来るのでは。お正月早々の回転寿司から、今年最初の教訓を得ることが出来ました。今年もいろんなヒントをつかみながら、忘れることも多いとは思うけど、少しずつは前に進んで行きたいと思います。

 ☆正月早々から、しょうもないエピソードですみません。ドクターブログ、高尚さはありませんが、地道に前を向いて少しでも陽気な人生に向かって行きたいと思いますので、今年もお付き合いの程よろしくお願いします。

Dr.2159 あけましておめでとうございます(1月1日)

 皆さま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年も明るい年明けになりました。蛇年のこの一年も色々あると思いますが、前向きに自分の出来ることを精一杯でもボツボツとやって行きましょう。

 毎年加齢により体力の衰えや身体の不調で出来ないことは増えてきますが、よく言われるように「出来ない所に注目するのではなく、まだ出来ることに目をやり、自信を持ってそこを大事にやって行きましょう」ということだと思います。

 それに、これも何度か言わせてもらってると思いますが、正月の一日一日も普段の一日と同じく365分の一日ということだから、特別な行事や新年の誓いなどはあると思いますが、基本的にはいつもと同じくマイペースで毎時間を積み重ねて行きましょう。

 今年も、皆さんとご一緒に大事な毎日を一日一日を大事に歩んで行きたいと思います。また日々の気付きや自他に対する気合を入れて行きますので、お付き合いいただければ嬉しく存じます。ことしもよろしくお願いいたします。

 ☆昨日の朝日ですけど、今年も輝く年でありますように。無理ない所で、ボツボツ精出して行きましょう。いい加減は「良い加減」、テキトーは「適当」ですよね。

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