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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.154 やる気(9月30日)

毎日をやることで埋める一環として、丹波地域ビジョン委員会グループつなぐが主催する「金山(きんざん)イベント」に参加した。金山は篠山市と丹波市の境鐘ケ坂にあって、山頂には1578年に明智光秀によって築かれた城跡がある。今回は金山登山と鐘ケ坂にある明治と昭和のトンネル(普段は閉鎖、現在は平成のトンネルが両市をつなぐ)を歩いて渡るという計画で、両市をつなぐのと過去と現在をつなぐのを意図したものだと勝手に解釈した。ドクターは明智光秀がとり上げられる2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」の篠山市の誘致委員会委員長になってしまった手前やむを得ず参加したが、先着50人で締め切られた参加者は何の義理もないのに参加した「やる気」(歴史や登山が好きという)にあふれる人たちだ。だから当日はすごい雨だったが多くの人がそれにもかかわらず参加した。なんせ主催が自らの意志でビジョン委員会に参加した「やる気」のある人たちなので、普通なら中止するであろう天気なのに実施された。さすがに金山登山は中止され、ドクターなどはホッとしたのだが、住職講演やふるさとガイドの解説、トンネル散策等は実施された。知り合いのグループ長にお聞きすると、ビジョン委員会グループの集まりは「やる気」がある人ばかりなので面白いそうだ。やる羽目になったことをたんたんとやっていくのが人生だと受け身的な人生訓をモットーとしているドクターとは対極にインターネットる「やる気」の人たちだが、世の中にはこんなに大勢いることがわかって良かった。受け身でもやる気でも自分にあったやり方でいいと思うが、要は自分の毎日、一生を快適に生きていくことだ。

☆金山ゆかりのお寺のご住職の講義をお聞きしてから、トンネル探索の旅へ。

☆雨の中、説明を聞いたり、山道を登ったり、トンネルに入ったり、参加者も主催者も「やる気」のある人たちはすごい。

 

 

☆「やる気」の人たちに紛れて、「受け身」のドクターも行動した。やる気であろうと受け身であろうと同じようなことができる。時と場合と内容によっては同じ人が両者を行き来する。帰ってすぐにブログを更新したドクターも、ブログに関しては「やる気」派か。

 

 

Dr.153 ドクターのはなし(9月29日)

ドクターがこのブログで「『生きる目的』とか『何のために生きるのか』という問いにとらわれてはいけない」と言っているにもかかわらず、今朝のある新聞論説で「生きる目的」みたいなことについて書かれていた。ドクターブログ読者以外は誰もドクターの話しなど聞いていないので仕方ないことだが、その記者の問いの立て方はまずいとしても、「自分のモノサシを捨てよう」という呼びかけには共感できる。何でも自分と同じ方向の意見には共感できるものだ。老年になっていくと、それまでの自分の(生きる目標の)モノサシにあった、社会的評価・仕事の達成感・財産・健康などの値がどんどん下がっていき、やがて死によって0になってしまう。死んでも評価や思い出は残ると思っている人があるかもしれないが、もっと大きな尺度では太陽の膨張などによって地球そのもの人類自体がなくなるのだから、そんなモノサシによって生き方をはかっていたのではボロが出るのは当然だ。だから一度これまでの自分のモノサシを捨ててみようというような主張だったと思う。ここからはドクターの話しだが、だから適切な毎日の過ごし方としては、「向こうから来たり自分で見つけたりして、とりあえずやることで一杯にして、下手に考える暇を持たないようにしながら、そのような忙しい日常の中にあるちょっとした幸せを大切に、生きていることに感謝して過ごす」あたりが良い。この類のことは折々言ってきたことだが、今回の話のオチは、仮入れ歯のドクター前歯が検査のため抜かれて「歯無し」になったという「はなし」です。ちゃんちゃん。

☆村の共同作業に出た後、歯医者で歯を抜かれて「歯無し」になったドクター。診察室での隠し撮りです。中身もやり方も汚い映像でごめんなさい。

 

☆お口直しに、ホントに久しぶりに息子と言った温泉を出たところでみた夕暮れの風景。思春期息子と二人だけの時間が持てドクターとしてはとても嬉しかった景色だが、みなさんにとってはどうでもよい「ドクターのはなし」でしたね。すみません。

Dr.152 手当(9月28日)

「人生の目的は何か」「何のために生きるのか」という問いはよろしくないという主張を読んだ。なぜよろしくないのかは詳しく理解できていないので省略するが、ともかく「どのように生きれば、より幸福に(ドクターの場合はお気楽に)生きられるか」という問いの方が良いということだ。確かにこの問いの方が具体的な答えと言うのかやり方が浮かぶ。ドクターがこれまで「より良い定年後生活のヒント」として見つけてきた知見がそのまま役に立つ。例えば①日々やることをいっぱいにして不善な考えにふける時間をなくす、②向こうから押し寄せてくる「やらざるを得ないこと」をたんたんとこなしていく、③ぱっとしない日々の中にかすかにある小さな幸せを見つける、等だ。今回はそれに「不都合が出てきたところに手当しながらなんとか(最後まで)もたす」を加えたい。身体でも家でも物でも長く使っているとガタが来る。それに手当しながら保ち続けようというあまり積極的ともいえないかもしれない生き方だが、実際的にはこれなしでは生き延びられないし、手当も結構時間つぶしになってその間は無心でいられる。それに「お手当」というと、何かもらえたような気分にもなる、・・ことはないか。まあともかく手当しながら行くところまで行きたい。

☆愛車にガソリンを入れるドクター。ガソリン補給にオイル交換、定期点検に車検と車の維持には結構手当がいるけど、手当てすると車は調子よい。調子よい車は快適だ。

☆川から水を引いているドクター池もときどき水が出なくなる。その時にはエンジンポンプでつまりをとる手当をしなければならない。山水を待ち望んでいる金魚のためにも手当を続けたい。

 

Dr.151 あてにならない評価(9月27日)

しばらく会わない知人数人に出会った。その人たちのドクター評価は、ある人は「やせましたね」、ある人は「太ったんとちゃう」、自分自身の評価は「筋トレで筋肉ついたんちゃう」だ。また、ある人は「元気そうですね」、ある人は「現職の時の方が元気そうでしたね」、他にも「お気楽そうだ」「恐妻そうだ」「何でドクターなの」などとかく評価や関心はまちまちであてにならない。誰もそれほど他人のことを気にしてないということだ。自分自身の自分に対する評価もあてにならないのだから当然かもしれない。これからは他人や自分の評価など気にしないでマイペースで行きたい。

☆果たしてこの人は太ったのか締まったのか、まあ誰もそんなに関心ないと思いますが。

☆なぜコスモスの写真なの、評価は人によって違う。

Dr.150 ウォール(9月26日)

「冒険教育を指導してます」というと、たいていの人は「自然の中で危ないことをするんでしょう」と言われる。冒険教育を理解してもらうために最適なのが「ウォール」だ。「4mの何もない壁をグループみんなで乗り越える活動です。誰を一番にあげるのか、体の大きい人をどのタイミングであげるのか、最後の一人をどうするのか、怖いという人を置いていくのか、正解はありません。みんなで話し合って課題を解決していく中で、コミュニケーション力や信頼関係が育ち、達成感も得られる学びの多い活動です。指導者は安全面に気を付けて見守り、教えないで参加者の活動や学びが深まるような関りをします」と言うと、多くの方が「冒険教育って良いですね。今、必要な活動だと思います」と理解される。「ウォールのような構造物がない時はどうしますか」という質問に、「例えばフラフープをみんなで下げたり、くぐったりします」と言っても、「それが何なん」という顔をされる。実際やってみると、そこでの学びの多さやみんなで活動することの楽しさあふれる活動なのだが、説明材料としてはウォールに遠く及ばない。ドクター自身もウォールは冒険教育を象徴する活動だと思っているし、一番好きな活動だ。かと言って「ウォール」を指導する機会はそうないが、ウォールで冒険教育を理解する人は多いから、ウォールには活動としての用途のほかに冒険教育説明グッズとして抜群の威力がある。ウォール半端ない。

☆これが半端ないウォールだ。活動目的以外にも冒険説明グッズとして別の用途がある。

 

☆市役所で職員の方と次の地元就職委員会の打ち合わせを行うドクター。冒険指導者、恐妻家、定年後生活研究家、お気楽生活者以外にも別の用途がある。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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