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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1333 固定観念を破る(7月31日)

 人権の講演会で衝撃的なお話を聞いた。女性として生まれた人が、今は夫としてパートナーと結婚して、他人の精子で子どもを授かり、二人の子どもを育てられているという。

 何年にもわたって男性ホルモンを注射されているので、容貌も声も体つきも普通の男性のようだ。

 講演では、お風呂とかトイレとか必要な区別はしたらよいが、制服とか髪型とか区別する必要が無いものは多いとのことだった。

 言われればその通りだと思うが、言われるまでは気付かなかった。こういう固定観念と言うか、決めつけは他にもあるのではないだろうか。学校に行かなければならないとか、定職に就かなければならないとか、知らず知らずのうちに刷り込まれている考え方があるのではないかと思う。それが生き方を不自由にしている所もあるのではないかと考えさせられた。

※ここからは再度立ち上げて書いてます。上まで書いたところで、「ネット環境に繋がってません、更新に失敗しました」という表示が出たので、今日は更新は無理と思って(今までにもこういうことは何回かあったので)書き止めた(写真も添付しなかった)が、もしかしてと思って、「更新」タグをおしたら更新できてたような感じ。慌てて、書き足し、写真アップしてますが、これも「更新に失敗しました」表示が出たら、更新は無理と言う固定観念だったかもしれない。ことほど左様に固定観念は至る所に染み込んでいる。これを抜け出すのなかなかですね。

 ☆気付きが多かった人権講習会。誰もが生き易い世の中にしたいですね。固定観念から抜け出して。

Dr.1332 次の世代(7月30日)

 オープンハイスクールを見に行った。模擬授業では若い世代(結構年配の方もおられたがドクターよりは若いと思われる)の先生が中学生に授業をされていた。

 高校生が後輩の中学生の質問に答える座談会では、多分高校2年生が上手に場を和ませながら、進行していた。

 夜の会合では、若手(30代後半から40代?)の地域で活動している人が、前向きな意見を言っていた。ドクターもその年代では元気にそういう役をやっていたような気がする(自分が思っているほどではなかったかもしれないが)。

 こうしたことを振り返ってみるに、世の中着実に前の世代から次の世代へバトンが渡されていく。自分や自分の世代がいないとだめになるというのは思い過ごしで、世の中はそれなりに上手く進んで行く。

 こうなったら、次の世代のことは安心して、自分や自分の世代の役割、世代に応じた役割をやって行くのが良い。

 歴史を見ても、どの分野にも不世出の偉人はいるが、その人がいなくなっても世の中はそれなりに回ってここまで来た。偉人でそうなのだから、凡人の自分などいなくなっても確実に世の中は回っていく。

 だから寂しいとかそういう問題でなく、次世代は動いていくのに安心して、また言うけど、自分の世代に応じた役割を果たしていくのが良い。ただ世代役割も固定観念に縛られず、自分の個性にあった自分らしい役割を果たすのがいい。ドクターの場合は一般的な世代役割よりもかなり幼稚なものになりそうだが、齢を顧みず不成熟で稚拙だけれども誠実な行動、そんな感じでしょうか。人のために、それを忘れなければ、幼稚でも稚拙でも大丈夫なように思うのですが、こんなんで本当に大丈夫でしょうか。

 ☆夕暮れの景色。一日の空にも夫々の時刻にあった素晴らしさがある。後刻のことは心配せず、自分の時の美しさを出したい。

Dr.1331 前にも見ました(7月29日)

 毎晩のように行われている「ふるさと一番会議」(市長と教育長らが地域を回って住民の皆さんから意見を聞く会)の最後に、「いろいろ課題はあるけど魅力も一杯ある丹波篠山市・この地域、地域の皆さんと市役所力を合わせて盛り上げて行きましょう」「オー」のエール係をやっている。

 毎回同じでも何だと思って、昨夜は狂言の舞の一節を織り込んで「オー」をやった。会が終わってから一人の方が近寄って来られ、「前にも見ました。東雲高校で子どもがお世話になってる時、入学式や卒業式でやってはりましたね」と言われた。

 保育所の訪問の時、子どもが保育室を走る活動を見ていて、つい一緒に走ってしまった。一同が会した時の「オー」にしても、舞の披露にしても、子どもと一緒に走るにしても、昔からよくやっていた。

 人(今回はドクターの例ですけど)の本質は変わらないということか。体力とか技の切れとか衰えはあるもの本質は変わらない。

 今後いつまで、こんな感じで生きるのかは分からないが、生きてる限りは自分らしく行くしかない。こんな自分が自分で好きなのが幸いだ。皆様ご一緒に、自分で自分のことを好きと言う気持ちを忘れず、自分らしく生きましょう。それしかないし、それで十分じゃないでしょうか。

 ☆幾つになっても成熟しない、本質おちょけの生き方、これで行くしかないですよね。

Dr.1330 暑い日が続いていますが(7月27日)

 暑い日が続いていますがお元気でお過ごしでしょうか。こんな温度と湿度の中では、生きて行くだけで大変です。生き続けるのが人生の目指すところ、こんなんで良いのでしょうか。これだけでは寂しいような気もするが、実際他のことにはなかなか手を伸ばす余裕がありません。

 昨日は少し空いた時間が出来るはずでしたが、来客があったり、問題への対処だったり、あっという間に一日は過ぎてしまって、気が付けば夜の一杯で終わりと言う状態になってしまった。

 世の中上手くしたもので、熱くてあんまり何かが出来る状態にない時、そのわずかの隙も用事で埋まっていく。こんなことではただ生きてるだけじゃないかという気もするが、ただ生きてるだけでもありがたいという思いも大事にしなければならない。

 何やかやと言いながら、今日も一日を始めよう。幸いまだ暑さも始まったばかりで、食事も美味しく頂いているので身体は動く、いろいろと予定は入っているのでやることはある。隙をついて、上機嫌な生き方についての考察と実践を少しでも進めて行きたい。ボツボツですけど。

 ☆クレーン車での城石垣の除草作業。いろんな人が暑さの中で生きておられる。さてドクターどう生きますやら。皆様は?また、一度お話などしてみたく思いますけど。こんなことあんまり書いたことないですけど、暑さのせいでしょうか。

Dr.1329 何とか力(7月26日)

 人間には納得したがる、何とか筋道を固めて理解したとしたがる本能のようなものがあるらしい。理解できないまま、宙ぶらりんの状態に我慢できないから、手近なところで手を打とうとする傾向があるようだ。

 未解決のまま、状況が改善しないまま耐える力をネガティブ・ケイパビリティと言うらしいが、これはこれまでなら褒められない、マイナスなことを肯定的に〇〇力(この場合はケイパビリティという英語ですけど)といって光を当て、一つの大事な力としようというものの一つだと思う。

 他にも、「老人力」「忘却力」「お気楽力」「上機嫌力」・・・等と、一般的にマイナスや何とか力とは捉えられていなかったこと・現象に光を当てて、もう一度その役割を見直そうというものだ。

 これまであまり意味が見だされてこなかったものに、〇〇力と名前を付けて、その現象の肯定的な面に光を当てる。これは自己肯定感にもつながる大事な考え方だと思う。

 これからも、こういう感じで、「適当力」「まあまあだいたい力」「いい加減力」「元気だけが取り柄力」等を磨いていきたい。生き易くなればいいのですけど。まあ生かされてるだけでも感謝してボチボチ行きましょう。そうか、「ボチボチ力」もいいですね。

 ☆普通の田んぼ写真ですけど、普通の日常に良さを見つける力もいいかもですね。皆さんは、何力を大事にされますか。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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