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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.895 事実と真実(1月31日)

福住の歴史講座に参加して、あるお寺の縁起が書かれた古文書を解説してくださった講師の方が、歴史的事実と歴史的真実があると話された。ドクターの解釈では、その縁起に書かれたある事柄が事実ではないとしても、当時の人々がそれが実際に起きたことと信じていればそれは真実となるということだと思う。夢でお告げがあり、どこどこに阿弥陀様がいるのでそれを本尊とせよと言われて、そこへ行ってみればお告げの通り仏さまがあったのでそれを本尊としたという話などは、事実ではないかもしれないがその村の人々にとっては真実なのだ。当時のご住職が60歳から修行して、90何歳まで生きられた話などは、事実とも真実とも分からない。ここで大事なのは、歴史的事実よりも歴史的真実だろう。現代に生きる私達にしても全ての事実を知っている訳ではなく、自分が信じた真実の中で生きている。自分にとって大事な、自分の人生を充実かつ上機嫌にする真実の中で生きて行きたい。

 ☆地域の歴史を学ぶ古文書講座で人生の歴史を歩む大事な真実を学んだ。

Dr.894 導かれて(1月29日)

今回のブログタイトルは「導かれて」だが、このところ「天命に従って」とか「自分の意思」にこだわらないとか、大きな力に導かれて、大きな力に任せて安心して人生を歩もうという趣旨の書き込みが多い。それだけ自分の進退に行く末に関心というのか不安を覚えているということで、その裏返しとして自分に言い聞かせている内容が多くなっているのではと自己分析する。ともかく「導かれて」歩んできた人生であり、そのお導きに従っていれば大丈夫という経験知が積み重なっているので、これからも「導かれて」生きて行くし、どこへ導かれるのか楽しみな気もする。この生き方を主体性がない、受け身だとか批判されるのはあまり良い気持ちはしないが、人の批判は批判として、自分はこっちの方が生きやすいし安心だし満足だったし後悔はないので、これからもこれで行こうと思うが、人に勧めるのはどうだろう。万人に向いているという自信はないが、ドクターと同じような悩みやすい人には向いていると思うので、良かったらご一緒に「導かれた人生」「流れに任せた人生」を歩んで行きましょう、悩みやすい皆様。

 ☆導かれて議員になったり、こんな喫茶店を訪れたりしています。

Dr.893 自分の意思(1月28日)

時に「自分の意思で決めなさい」というようなことが言われる。この場合の多くは「自分の意思で決めたのだから、その結果がどうなろうとそれも引き受けなさい」みたいな含意がある。これは正論で、正論には歯向かえないので、小さな声で言うが、ドクターなどは「流れに従って行き、その結果やってくること(善悪を含むが、物事は簡単に善悪は判断できない)はやってくるままに受け入れる」生き方を善しとする者にとっては「流れに従う」のが自分の意思だともいえる。それではあまりに情けないということであれば「出来ればこっちの方が良いなという気持ちはあるが、そうなれば良し、そうならなかっとしてもそれが流れなら仕方がないと受け止める」ということになる。自分の意思かどうかにムキになるのではなく、その意思が起こってくる縁起(流れ)も含めて、個人のちっぽけな考えでない大きな力(天啓・神意・仏縁等)のなせる結果だと思うようになってきた。この考えが正しいかどうかは知らないが、この方が自分にとっては生き易く、かくして今日も流れを大切に生きて行きます。

 ☆水の上で寝たり泳いだり、無私の境地を池のカモに学ぶ。

Dr.892 天命に従い(1月27日)

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。精一杯やった後はあれこれ悩まず結果を受け入れるということで、これはこれで一理あると思うが、ドクターとしては「自分が精一杯できるのもそういう環境が与えられたお陰である」ことを忘れないためにも、「天命に従い人事を尽くす」という方が自分には合っているように思う。「天命」を「流れ」と捉えれば、自分がいつも言っている「流れに従い、その流れの中で出来ることをやり、その結果も受け入れて生きて行く」ということになる。「天命」「流れ」だから何もしないということではなく、自分にできることは精一杯というのか、その時の状況の中でベストは尽くすが、ベストを尽くしたら何でも思い通りになるなどと思いあがってはならないということだ。今日も自分に与えられた天命に従い、流れを大切にしながら歩んで行きたい。

 ☆昨日は朝から村の人と村の大事な堰の修理を業者の方に依頼するという天命(水利組合長としての役目)に従った。

Dr.891 やっぱり流れに任す(1月26日)

ちょっと悩ましい事態に遭遇している。悩みや苦は結局自分の思い通りにならないと起きるということだろうか。ドクターの人生哲学である「流れに任す」ということは、仏教的に言うと「縁起」(すべてのことはつながりの中で起こっている:ドクター解釈)や「空」(結局こだわってはいけない:ドクター解釈)ということかもしれない。ともかく、いろんなご縁でやってくる出来事に流れに従って流されていく「流れに任す」哲学の奥義に近づくと、いろんな悩みから解放される。時々「流されてるだけでいいのか」という疑問が湧き上がることがあるが、そこで自分の意思とか大義とかを持ち出すと生き辛くなる。現在「ちょっと悩ましい状況」にいるということは、まだ自分を捨てきれていないということだ。でも若い時よりは悩む程度は深刻にならずに助かっている。それだけ「流れ」哲学が身に付いてきたと言うことかとも思うが、まだまだ完全ではない。この中途半端が自分の持ち味とも思うが、中途半端ながら少しは生きやすくなってきたのかな。そういう訳でまた流れに任せた人生を流れが終わるまで続けたい。人生の終わりまで流れに任せられるか、ここはもう一段の修行が求められている。

 ☆とりあえず定期検診では現在の健康状況でやって行けるということだが、この先の状況は流れに任すしかない。勿論健康には気を付けるが、気を付けていたからと言って永遠に生きられるわけではないんですよね。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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