Dr.436 お気楽な人(8月31日)
知人のお気楽な人(50歳代 女性)と話していて、「丹後さん、悩みないでしょう」と言われた。「何を言ってるんですか、私は悩みやすいタイプなので、いろいろ研究してようやく何とか日々を安楽に生きる方法を身に着けたんです。でもまた不安が襲ってくることがあるから油断はできないんです。根っからお気楽なあなたと一緒にしないでください」と抗議したが、周囲の人は二人をマイペースで生きる同じタイプと見ているようだ。それに聞いてみると彼女にも一応悩みと言うのか思い通り行かないこともあるらしいのだが、そういう時は『まっいいか』と言って諦めると言う。『まあいいか』はドクターの口癖だ。「『まあいいか』を建設的でないという人もいますが、そんなこと言ったってどうしようもないことはしゃあない(仕方がないの意)やんね」というと、『仕方がない』は彼女もよくつかうと言う。自分は根っからのお気楽人間でなく、苦労してお気楽に生きる道をみつけて、見つけた知見を同じ悩みを持つ人に紹介する求道者と思いたいドクターとしては、天然お気楽キャラの彼女と一緒ではないと思いたいが、もしかしたらそう変わらないのかもしれない。人間50年以上も生きて来て何も悩みがないという人はいないので、彼女もそれなりに考えているのかもしれないし、血液型も同じB型らしい。天然であろうと求道の成果であろうとお気楽道は大事なことだ。
☆流れに任せて生きる、頼まれたことは引き受ける生き方がお気楽道には大切だと公言していたら、急に特別支援学校小学部の先生がいるようになったからやってくれませんかという言うオファーが来た。やりたいのはやまやまだが、教員免許の問題に加え先約優先のため断わらざるをえなかった。何事も原則通りには行かない。写真は原則通り言われたままに引き受け参加した大河ドラマ意見交換会会場で。
Dr.435 頼れる若者(8月30日)
数年前Uターンして丹波篠山市でIT関連会社を立ち上げたHさんと話をする機会があった。彼は地元の高校を出た後情報関連の大学に入学したが、卒業時が就職氷河期で企業に就職せず自前でやっていたようだ。数年前故郷の丹波篠山市が消滅可能都市に入っていたのが気になって帰郷し起業したとのことだ。彼の下には何組ものUターン組が集まり、Iターンも巻き込んで結構大きな規模になってきている。市関連の仕事も引き受けて、今では当市になくてはならない存在だともいえる。立派な地域貢献をしてくれている。IT関係の知識に疎いドクターにはできない活躍で、最新技術を持った若者が地域づくりに力を貸してくれるのは本当にありがたい。自分の事しか考えていなかった自分の若い頃が恥ずかしい。恥ずかしいのは恥ずかしいが、いつまでも恥ずかしがっていても始まらない。自分は自分の出来る範囲の役割を果たさなければならない。最新技術はないし、何かに特に秀でている訳でもないので大した役には立たないかもしれないが、頼まれることはできるだけやるようにしていこう。前から漠然と考えていたことだが、頼もしい若者に出会ってその意を強くした。流れに任せてですけど。
☆この前登った高城山ではベテランの森林組合員さんが眺望をよくするための伐採をしてくださっていた。若者であろうと年配であろうと、自分の特技を生かした貢献が出来るのは素晴らしい。
Dr.434 ちょきん(8月29日)
定年後生活に必要なものとして、「きょういく」「きょうよう」は有名だが、同じような感じで「ちょきん」というのもあるらしい。ご存知のようにこれらは、これらの言葉を聞いてまず思い浮かぶ「教育」「教養」「貯金」ではなく、「今日行く」「今日用」「貯筋」のことだと言ってその意外性でまず関心を引き、後者がそれぞれ定年後生活充実のために必要だという一理ある説明で多くの人を納得させる。今日行くところがある「今日行く」と今日やる用事がある「今日用」は、定年退職後の居場所の必要性を言ったもので、居場所もなく家に引きこもっていると自己の存在意義(自己肯定感)が感じられなくなって精神的に不安定になりうつ病になったり不健康になったりする危険性があるので、それを取り除くためにも、その日に行くところややる事があるように心がけようということだ。そして、その場所に行ったり用事をやったりするためにも健康で筋肉が必要と言うことで、筋肉を蓄える「貯筋」が出てくるという説明だ。定年後生活2年目に入るドクターとしては、何もしないで家にいることの虚しさや危険性を身をもって感じ、「今日行く」「今日用」の大切さを実感したので、積極的に何でも引き受け手帳が毎日予定で真っ黒になるように心掛けているが、今日行くところや趣味も含めた用事を入れるためにも「教育」や「教養」と言った知識や素養はあった方が良いので、本来の意味での「きょういく」「きょうよう」も大事だと思う。同じように「ちょきん」も老後生活の経済的安定のために本来の意味の「貯金」も大事だ。さらに思うのは「今日行く」「今日用」はなくても自分はゆっくりしたいので大丈夫という人はいるかもしれないが、老後生活を維持する貯金と健康を維持する筋肉が要らないという人はいないと思うので、「ちょきん」は他にも増して大事だということだ。
☆今日の用事で言った場所で見かけた検診の車と筋肉の貯筋のために言ったトレーニングセンター前のドクター。定年の前でも後でも健康は大事ですね。
Dr.433 雨が心配(8月28日)
雨が続く日が続き、九州などでは特別警報も出て心配だ。兵庫県ではそれほどでもないが雨が続いている。百姓ドクターとしては刈り入れ時が近づいている米が、雨で田んぼが乾かないとコンバインを入れることが出来ないので、刈る時期がどんどんずれ込み心配だ。元気に立っている稲なら少々時期がずれても問題ないが、ドクター米のように軟弱な米は倒れだしているので心配だ。完全に倒れて稲穂が水に浸かると芽が出たりして米の品質低下につながる。主人と同じくドクター米は中途半端で完全にこけてもいないが元気いっぱいで真っすぐ立っている訳でもない。中途半端な状態でよろけている。これで雨が続けばこけてしまうかもしれない。ここは何とか根性を見せてほしいが、主人と同じならあまり期待はできない。というわけで降り続く雨に心痛む状態が続いているが、心痛む状態を続けているのは心理衛生上よくない。こういう時にはこれまでの人生経験から学んだ教訓⑬「どうしようもないことは諦め、できることをしたなら後は心配しないで受け入れる」というのが生きてくる。これを発揮して心配連鎖から脱出しようとするが、そこはまだ悟りに達しきれていない悲しさで、時折心配が頭をもたげてくるが、これも教訓通り、どうしようもないので諦めよう。
☆雨が続く状態で稲刈りが心配だがどうしようもないので、お気に入りの茶店でコーヒーを飲むドクター。茶店でモーニングを食べるのが雨の日にできる最善のこととは思えないが、こういう時には「細部にこだわらないで大体で大まかに生きる」という教訓⑰が生きてくる。
Dr.432 第2の人生の仕事(8月27日)
50歳からか60歳からか65歳からかはともかく、第2の人生をほとんどの人が経験する時代となった。第2の人生は、主に結婚・子育て・主生産を目的とする第1の人生とは違う心持が要る。第2の人生を第1の人生と同じようにやろうとすると無理があるし、それでは折角の第2の人生の意味がない。第1の人生では社会の主構成員としてバリバリ働き、時に休憩・休暇を楽しむ。ところが第2の人生を生きる者はそんなにバリバリ働けないし、働く目的も働き方も金稼ぎやバリバリだけでなく多様性があった方が良い。趣味や社会貢献や地域貢献、友との触れ合い(人間関係の充実)なども入れていくと生活が充実し生きがいも湧いてくる。とはいっても年金だけでは食っていけないので、生活費を稼ぐ仕事もやらなければならない。こんな第2の人生では生活費を稼ぐ仕事だけを仕事と言わずに、趣味の活動や地域のための活動も自分の人生を支える仕事と考えた方が良い。第2の人生の仕事にはお金が入ってくる仕事と入ってこない仕事(むしろ出ていく仕事)があるわけだ。ここまでの大筋はある本の受け売りだが、その著者に言わせるとドクターが昨日書いたボランティアもボランティアと考えず(金は入ってこないが人から喜ばれる)仕事と考えた方が良いという。なるほどなるほど等と読んでいたが、今のドクター人生も結構いろんなタイプの仕事にあふれていることに気付いた。お金のための仕事もあるが生きがいのための仕事(冒険指導等)や人から頼まれたことは何でも断らない主義で引き受けた仕事(お金をもらえる場合ももらえない場合もある)、家族や自分のための仕事もあって、第2の人生の仕事としては理想的なことがわかった。意を強くしてこれからもいろんな仕事をして行きたい。
☆一昨日の小学校ボランティアの写真。実はこれも第2の人生の大切な仕事だった。昨日は人に喜んでいただける写真を撮る仕事をさぼってしまったのでこれで勘弁してください。仕事をさぼって謝るのは第1の人生の仕事でも第2の人生の仕事でも変わらない。