Dr.1046 やりたいこと(8月30日)
毎朝聞き流しているラジオ英会話で「あなたのやってみたいことは何ですか」みたいな話題をしていた(日本語の解説の部分で聞き取れた)。聞かれた若者は「楽器演奏だ何だ」と多くのやりたいことを答えていた(これも日本語解説部分で判明)。
長年やっている英会話も含めて、そんなに殊更やりたいことがない自分に残念な気持ちになった。
元気で(身体と頭が動く状態で)寿命まで生きたいという希望はあるが、それはやりたいこととはちょっと違う。
世の中には80歳や90歳でもバリバリやっている人がとり上げられる。あんまり例がないから取り上げられるのかもしれない。
現役時代はそれなりにやりたいこともあったような気がするし、何よりも仕事を全うすることがやりたいことと言うのか、それが全てだったような気がする。
退職後の第2、第3の人生での「やりたいこと」や「生きがい」探求が難しい。でも引退後の人生が長くなっている昨今では大事な課題だ。定年を伸ばそうという動きも出ているので、それなりに悩む期間は短くなるようにも思うが、いずれにしても第一線を引いた後の過ごし方は重要になる。
現役中、その仕事を全うするとともに、それ以外の「やりたいこと」や「定年後に携わるコト」にも意識を向けるのも大事かなと思うが、どうせやってみないと本当のところは分からない。
現役時代を考えても、何が一番面白かったかは、自分が見つけたというよりは、成り行きでやる事になったことを後から考えて見ると、それが心に残ったと言えるような気がする。
この感じで行くと、退職後も流れでやる羽目になったことをやって行く中で、後から考えて「あれが面白かった」ということが分かるものだろうかとも思わないでもない。
☆百姓も何とかやってるけど、後から(出来なくなってから)考えると、あの頃が懐かしいってなるのだろうか。
Dr.1045 落ちる(8月29日)
これまでも校長試験をはじめ、いろんなものに落ちてきたが、今回はお米の乾燥機の給油缶の上から落ちた。
お米の刈り取りに備え、コンバインや乾燥機などをチェックしている時に、乾燥機の上方にある排出ホースが破れていたので、テープで補修しようと、給油缶の上に乗ったところ、もともと人が乗るように出来ていない細い足が耐えきれなくなって、ドクターを載せたまま1mほど下に落下した。
落下の衝撃で給油缶から出ていた給油ホース接続部が壊れて灯油が漏れ出した。
ドクターは幸い、手首と二の腕に少しばかりの傷を負ったが、それ以外は大丈夫だった。
給油缶が壊れたのと打った手首は痛いが、これぐらいで済んで良かったと考えるべきだろう。
世の中何事でも良い面悪い面があって、悪い面でもその程度で済んで良かった悪い面とそれ以上の悪い面がある。
こうなると考え方によると思うが、起きてしまったことは後からどう考えても取り返し付かないのだから、どうせなら良いようにとって、その事態からの悪影響を最小限に止めるのが得策だ。
ということで、今回の給油缶から落下事件はこの程度で済んで良かったと思って事後処理(修理依頼など)に当たりたい。これからが、思考方法(人生哲学)の真価が問われる。
そんな大層な事でもなく、たんたん丹後とやらなければならないことに、たんたんとやって行きます。
☆もうすぐ刈れますドクター米。でも、給油缶落下も含めて、まだまだ予期せぬ出来事をクリアーしていかなければならない。人生と同じです。
これを大層と考えるのか、なるようになると考えるのか、これもまた人生と同じだ。
Dr.1044 愛読書(8月28日)
久しぶりに、T賢二さんの文庫本を買った。
かつて大学教授で哲学者であったTさんの脱力エッセーで、もう何年もフャンだ。このブログもT師匠の文を見習って面白く書きたいと思うが、素質が叶わないのと、最近読めてなかったので、笑いに欠けて来たのかもしれない。
やはり人生には笑いや余裕が必要だ。普通にしていると緊張感や心配することに溢れる日常だが、そこを何とか工夫と多少の無理をしてでも明るくお気楽に行きたい。
この本を読むと、これまでの本も同様だが(正直に言うと内容はどうでも良いことばかりなので、どの話がどの本に書いてあったのか何か覚えていないし、今回買ったのが以前に買っていなかったかどうかも定かではない。過去には2度同じ本を買ったこともある)、そんなに頑張ったり気張ったりしなくても良いという気になってくる。
世の中には真面目な人が多いが、真面目過ぎるとしんどいし気が滅入る場合がる。真面目を否定する気持ちはないし、真面目な生き方で問題ない人はそれで良い。
ただ、少し世の中の真面目圧力を減らしたいとは思う。お気楽でも生きていける、生き易いスペースは確保したい。
ドクターは最早人生のメインステージともいえる現役は、真面目圧力をかいくぐってお気楽校長として何とか終えることが出来ているので、少しは余裕をもって、自分や自分に近い真面目圧力に弱い人でも働きやすい環境を作って行きたい。
失敗やお気楽が許される社会、気の弱い人も打たれ弱い人も生きていける社会を呼び掛けて行きたい。そういう社会、雰囲気は誰にとっても生きやすいはずだと思うから。
☆久しぶり購入のお気楽、脱力・笑いの文庫本を読み原点を思い出すドクター。
Dr.1043 いろんな人がいる(8月27日)
当然と言えば当然だが、世の中にはいろんなタイプの人がいて、自分と相性の良い人もいれば相性が合わない人もいる。
どちらかというと、生きにくいタイプというかしんどさを抱える人が共感してくれることが多い。
ドクター自身、いろんな人のタイプを気にしているようでは生きにくい生き方人かもしれない。どんなタイプの人でも気にせず、自分のペースでやって行ける人は生き易いだろう。もちろん、そういう人にもそれなりの問題は出てくるとは思うが。
周りを気にする自分自身のタイプを知った上で、どう考えどう行動したら比較的楽かという生き方(人生哲学)を模索してきたように思う。
そこで現在のところ辿り着いているのが、「人生なるようにしかならないし、なるようにはなる」「運とご縁と流れをを大事にして、こだわらないで生きる」みたいなことだ。
ドクターに共感して頂く生きにくいタイプの人にも、この考え方を紹介したいが、この人生哲学もまだまだ未完成の段階なので説得性に欠けるかもしれない。
何より、そこにも拘らない方がいい。
やはり先ずは自分自身がお気楽陽気に生きることから始めたい。これがなかなか難しいですけど。
☆陽気な友達と作業現場で。「その道具持たしてください」と何でもやりたがる、どこでも行きたがる傾向はお気楽人ですね。自分が思ってるほど生きにくいタイプでないかもしれない。
Dr.1042 気の許せる人(8月26日)
職場でも周囲の人と喋ることは多いが、仕事がらみであったりもして、そこにはやはりある種の緊張感が常にある。そんな時、時折気張らなく話せる気の許せる人と話すのは元気が出る。
一番の友人は昨年亡くなってしまったので、1年に何回か出会う友人と言うのは無くなった。
こちらから連絡をとればあってくれるであろう人はいるが、そのちょっとした手間がおっくうなめんどくさがりなドクター。
この調子では仕事を辞めたら、家族以外はあんまり話もしない生活になるような気がする。
人間、「一人で生まれて来て一人で逝く」と言われるから、話せる人がいないことをそんなに気にしなくても良いかもしれないが、どうなることだろう。
ともかく、何の遠慮もなく話せる時間は楽しかったしありがたかった。
何でも飽き性なドクターとしては、孤独もたまにはいいけどずっとはチョットね、和気あいあいもたまにはいいけどずっととなるとどうだろうかという感じ。
いくら飽き性と言っても、自分との付き合いは飽きるわけにも行かないし、今のところは結構毎日ワクワクしながら過ごせている。
ここまでの人生展開、自分では思いもかけなかったことが多く、大変な場面にも出くわすが、なかなか面白い。
これからの人生、一人になったり、時々心を許せる人と話す時間が合ったりしながら、どう展開していくのだろうか、楽しみながらいつか来る終わりまで過ごしたい。
☆思いがけない人生の一つ。校長経験が始まった篠山S高校。