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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1603 禍福は糾える縄の如し(4月30日)

 昔から「塞翁が馬」とか、「禍福は糾える縄の如し」とか言われるが、本当に悪いと思っていたことが、後になって良いことに繋がったり、良いと思っていたことがしんどいことに繋がったりすることは人生において何度かある。

 昨日、お別れを言いに行ったコンビニ店長とは、以前近くの学校で校長をしていた時に、生徒が問題を起こして謝りに行ったのがご縁で、親しくなって、以降も生徒を見守って頂いたり、ドクターの勤務が変わってからも、時々コンビニに立ち寄ってお話をさせてもらったりする仲だ。

 渦中の時には、何度かコンビニの裏の狭い従業員のいるスペースで謝ったり、事後策を話し合ったりしたことが思い出される。何度か会っているうちに、気が合う性格ということもあったのか、仲良くさせてもらう仲となった。文字通り「災い転じて福となす」だ。

 せっかく親しくなって、時折交わす言葉から元気を頂いていたが、この度、年齢的な事もあり、その店の経営は他の方に譲って、ご自分はもう一つのコンビニ経営を中心に、少しはゆっくりしたいとのことだった。

 別れ際に握手をしたが、本当に気の合う方だった。これだけ気が合う方はそんなにはいない。そのご縁が生徒の起こしたトラブルだったというのも、ご縁を感じる。子どもたちは完ぺきではないので、時に失敗もするけど、それを全否定ではなく、以後の成長のきっかけにしてほしいというのも、共通した思いだった。

 お別れは寂しいが、またお出会い出来ることを楽しみに、自分の歩みを進めたい。明るく元気に。

 ☆ご縁で出会ったコンビニ店長と。人生は本当に面白い、油断はできませんけど。

Dr.1602 非日常(4月29日)

 一泊2日の日程で出張があったので、日々の生活(日常)と違う世界を体験した。久しぶりの非日常体験だった。

 その間、会議の他にも修験道の祈祷や滝行などの視察もあって本当に非日常と言うのか、それ以上に珍しい体験をさせてもらった。

 このような日常と違う世界に身を置くと、日々の生活が懐かしく、その有難さや無意識にやって来たことの意味を考えたりした。

 各自が送る日々の生活は、それぞれの人のもので、他人と比較してどうこうというものでなく、自分の世界であり、それが積み重なって人生となっていくものである。

 人生にも軽重はないが、それぞれの人生がある。その土台をなしているのが日々の生活(日常)なのだ。ここはやはり、日常の生活を大事にはていきたい。そんなことに気付かせてもらった非日常の旅、時には必要ですね。

 まあボチボチですけど、自分の日常に戻って、やらなければならないこと、ボチボチやって自分の人生を紡いで行きます。

 ☆非日常の祈祷や滝行の世界を見せていただきました。清めて頂きましたが、本当はドクターが滝に打たれなければいけなかったんですね。

Dr.1601 無邪気(4月27日)

 またまたいい写真を送ってもらった。普段カメラは持ち歩いているが、なかなか自分の姿を自然な形で写すのは難しい。

 時々近くにいた人が、ドクターが写った写真を送ってくれる。昨日の写真は、この前市役所にやって来た、中学生のカンフー(武術太極拳)大会で優秀な成績を収めた生徒と一緒に撮ったものだった。

 カンフーの技も見せてくれたが、最後に記念写真を撮る時、市長もドクターも彼の武器(刀や棹)を借りて、それを振り回して喜んでいた。

 60代のおっさんらが、何と幼稚なことをと思われたかもしれないが、幾つになっても無邪気さと言うのか、状況を楽しむ心は必要だと思う。ただし、こんな遊び心は意識的出て来るものではない。普段から自然な形で、いろんなことを面白がる気持ちがあればこそ。

 自分の遊び心がまだ枯れていないことを嬉しく思うと同時に、これからもいろんなことに面白さを見つける心、状況を真剣に考え過ぎてにっちもさっちもいかなくならないような「何とかなる」「ボチボチ行こう」「お気楽に」の心を大事にしていきたい。今日もボチボチ行きましょう。あっ、今日は泊りなので、明日の更新はお休みしまーす。ボチボチです。

Dr.1600 元気に見える(4月26日)

 この間の「とっておきの音楽祭」の市長と一緒に出た舞台挨拶の写真を送ってもらった。

 この写真だが、これはどう見ても元気そうに見える。ひょっとしたら、自分は思った以上に元気かもしれない。

 昨日出た観光ガイドボランティアの集まりでも、高齢の方も多いけどまだまだお元気な人が多い。会のモットーは「元気に明るくお気楽に」ということらしい。

 このモットーで自分も生きたい。「明るく元気で」はいいとして、「お気楽に」には異論もあるかもしれないけど。人生にあまり意味を求めすぎてはいけない。

 何かを成し遂げたら幸せ、お気楽に生きたら何も残らないからダメと言う考えの人もいるかもしれない。ドクターが思うには、何かを成し遂げようとなかろうと、寿命が来たら人生は終わる。その人の人生が幸せだったかどうかは、他人が決めることではない。

 成し遂げ幸せ派の人達は、成し遂げにこだわればいいけど、生きている間機嫌よく行きたい派(ドクター含む)の者としては、「お気楽に」を大事にして、生きてる間の一日一日を機嫌よく行きたい。

 ここはやはり見かけのように、「内面も明るく元気よく楽しんで毎日、毎時間を送るぞー」「オー」でいきましょう。今日の写真は文中です。このパターン、1600回にして初めてかもしれない。まだまだ初めてのことも一杯やって行きましょう。「オー」

Dr.1599 親切な心(4月25日)

 この前の日曜日にあった『とっておきの音楽祭』は、「みんなちがってみんないい」をテーマに障害のある人もない人も参加した。

 音楽やダンス・パーフォーマンスが誰とでも理解し合える要素があって、それこそ「みんな違ってみんないい 自分のやり方で楽しんでいた」。

 会場の内外にはステージの上だけでなく、親切な心がいっぱい溢れていた。例えば、譜面台がないと困っている人には、さっと後ろの人が自分のを差し出す。

 舞台に上がりたいけどあがれない人の手を引いたり、背中をおしたりして舞台に導くみたいな役をやっている人もいた。

 優しさ・親切が充満していた。人は誰も個性があり、みんな違っている。元気そうに見える人でもそうでない部分やそうでない時がある。

 同じような傾向の人が集まると、競争原理と言うのか、競い合いの気持ちが先行してしまう感がある。それこそ多様な人が集まると、多様な価値観に変わり、一つのモノサシでない環境・雰囲気が出来るのだろうか。

 競争も大事な時はあるだろうが、できればそれだけでなく、多様な価値観、多様な生き方を尊重して、みんな違ってみんないい、やさしさ・親切心が満ち溢れる中で生きて行きたい。

 ☆日曜日に各会場で行われた「とっておきの音楽祭」。どこにも多様な価値観、優しさ・親切心があふれていた。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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