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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2137 あいさつ(12月4日)

 いろんな機会にあいさつするが、大概は原稿無しでやる。原稿無しあいさつが上手なわけではないが、自分の言葉で言う方が原稿を読むよりは通じるものがあると思うからだ。

 原稿無し挨拶と言っても、アドリブでやるわけではない。あらかじ何を喋ろうかとは考えている。ただ記憶力も限界があるので、予定通りのことが言えるわけではない。だいたいこのようなことが伝わればという感じだ。

 それでも場数をやっていると、何となく自分のスタイルと言うのか、あいさつ場慣れはしてくる。しかし、油断して無準備でやると折角聞いてくださる方に、一つも伝わらず失礼なことになるので、事前に構想を練ることはやっていきたい。

 あいさつして、受けるというのか、うなづいて聞いてくれる人がいると、達成感と言うのか、やってよかったなという気持ちは得られる。緊張感とほどほどの達成感、いいですね。やっぱり、あいさつは好きなのかもしれない。

 ☆あいさつとは関係ないですけど、この頃奇麗な青空多いです。青空にあいさつですね、ちょっと無理付けですけど。今日も元気に行きましょう。

Dr.2136 予定通り行かない(12月3日)

 農作業では、天候や農作物の生育状況等もあり、作業が予定通り行かないことがある。この間も、黒豆の乾燥と脱粒をやろうと決めていた日(他の予定が空いていた日)に、いざ豆をこく(雑粒する)日になってというより、少し機会を動かし雑粒してみて、まだ水分が多いことが分かった。

 事前に水分計で豆の水分含有量(乾燥度)は計っていたが、サンプル取り出しで計った為、全体は見えてなかった。やり始めると、水分が多く柔らかかったり、まだ赤みが残っている豆もあったりして、この状態で続けると、出荷できないマメが大量に出ると思って、作業を中止し、乾燥を続けることにした。

 何時間乾燥を続けなければならないか分からないところまあるが、なんせ予定も詰まっているので、今度いつ豆がこけるかは分からない。豆がこけないと、次の豆を乾燥機に入れることが出来ない。

 そんなことで予定は予定通り行かないが、仕方がない。予定通り行かないことも予定に入れて、予定を立てることが求められる。こういうことは、豆こき(雑粒作業)だけでなく、人生にもあるように思う。

 予定通り行かなくてもジタバタせず、その時とれる策をやる(今回だったら、雑粒作業を止めて、乾燥を続ける)。世の中、一分一秒を争う訳ではない。予定通り行かなくて空いた時間にできたこともある(今回なら話をしたかった人と話が出来た等)。大らかに生きる等、今回の予定通り行かないことから、人生にも通じる生き方のヒントも頂いたように思う。教訓に感謝しながらも、ちょっと予定通り行かなくて残念な気持ちも残る小人のドクターでした。

 ☆皆様、予定通り行かないことがあっても気落ちせずボチボチ行きましょう。自分に言い聞かせてます。

Dr.2135 つながり(12月2日)

 「つながり」の大事さを再認識するお話を聞いた。貧困や不登校などの子どもたちや家庭を支えているNPO法人の方からだ。一法人だけで出来ることには限界がある。地域・学校・家庭・行政・スクールソーシャルワーカー等も含めて、いろいろなつながりがあることが大事だという。

 高齢者の生活や、認知症予防にも、つながることの大切さが言われている。全くその通りだと思うが、自分としてはそんなにつながることが得意ではないかもしれない。

 これまでも、今も、仕事上のつながりはあるし、大事に思っているし、大変なこともあるがそれはそれで面白いこともある。地域や私生活上でもそれなりの付き合いはしているが、そんなに積極的と言うほどではない。

 一番の親友は亡くなってしまったし、他にも友人はいるがそれほど積極的に連絡をとりあっているわけではない。一人が好きかと言えば、特に一人の時間を優先したり、一人が楽しいという訳でもないようだ。要するに骨を折って時間を割いて友達づきあい・人付き合いするのが面倒で、誘われればお付き合いをするって感じで、要するに面倒くさがりということかな。

 つながりの大切さは分かるので、これからもそれは大事にしながら、私生活では特に孤立を求めるわけではないけど、流れに任せてマイペースで行きたいと思います。

 ☆このイチョウのような感じで、周囲に迎合もせず、孤高という訳でもなく、堂々と生きて行く(咲いていく)って感じで行けたら、いいちょう(イチョウ)。

Dr.2134 嬉しい声掛け(12月1日)

 市内養護学校の50周年記念式典で、今年そこで講師として働く若者から「その節はお世話になりました」と声をかけられた。ドクターが三田市にある県立高校の校長をしていた時に、私学高校からの転校生として受け入れた生徒だったという。

 当時の事情は薄っすらとしか思い出せないが、私学に行ったものの県立でやり直したいと思っていたところに受け入れてもらって嬉しかったという。この件に関して、当時自分がどれほどの力添えをしたのかは分からないが、今感謝の言葉を向こうからかけてくれるとは嬉しいことだった。

 校長現役当時はこの件の他にもいろいろ大変なこともあったと思うが、今思い出すことは良かった思い出の方が多い。人の記憶ってそういうものだろうか。

 悪い辛かった思い出はかすんで行き、良い楽しかった思い出が強く残っていくというなら嬉しいことだ。ドクターがお気楽なだけかもしれないが、辛い経験は貴重な学びとして活かし、楽しかった思い出を今後の人生のエネルギー、元気の源として頂き、しっかりと感謝と貢献の気持ちでやっていきたいと思います。

 ☆昨日時間があったので覗いた王子山の紅葉です。ここも良い思い出を思い出します。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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