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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.628 犬も歩けば(3月31日)

「犬も歩けば棒に当たる」という言葉があるように、ドクターも近所を歩いていると思わぬ光景にでくわした。最初はよくわからなかったが、カラフルな盛り上がりが民家の屋根の向こうに見え、何だろうと思ってさらに近寄ってみてみるとその盛り上がりが浮き上がっているのが分かり、ついにそれが気球であることが分かった。こんな時期にこんなところで大きな気球を、しかも3つも目撃するなど全く思いもよらなかっただけに、驚き、やがて興味津々で、やはり家に閉じこもっていては見られない面白いものをみられないので、何でもどんどん外に出かけていけば時には面白いものに出くわすことができると肝に銘じた。この日は、まち協でお世話になった事務員さんが本日限りでお辞めになるというのでご挨拶に行った際に、この滅多に見られない光景に出くわしたのだ。やっぱり人に感謝を伝える行為は福につながる。この気球ウォッチングを機にこれからも人に感謝を伝えたり、人に喜んでもらえる行為のために、犬のようにどんどん歩き回ろう。

 ☆「犬も歩けば棒に当たる」の諺の通り歩き回っていると、民家の屋根から気球という思わぬラッキーな光景に巡り合った。これからも市の絶こうちょう化のために歩き回れば思いもしないラッキーに出会えるかもしれないので、積極的に歩き回ることを心がけよう。でもこの諺には、「でしゃばると思わぬ災難に遭う」という逆の意味もあることが後から分かった。こっちにも気を付けなければならないし、いったいどっちにしたらいいねん。

Dr.627 また聞きの応援(3月30日)

ドクターの4月からのチャレンジについて、「だれだれも応援したいと言ってますよ」という話をまた聞きで聞くことがある。もちろん直接聞くのも嬉しいのだが、間接的にまた聞きで聞こえてくる声もしみじみと心に届く。直接ご本人に「ありがとうございます」が言えない分、余計にいつまでも心に残る。さらにまた聞きの良い所は、本人の意思が直接ドクターに伝わらないかもしれないが、そんなことには頓着せず、「ドクターのチャレンジを応援したい」という意思を表明されているわけだから、その気持ちの純粋さは疑いのいない点だ。 ドクターモットーの「自分がしてもらって嬉しかったことは人にもする」から、これからは直接その人に言う機会がなかったとしても、応援や支持の気持ちは周囲に発信したい。そのことがまた聞きで相手に伝わればいいし、伝わらなかったとしてもそれはそれでいい。そんなことには拘泥せず、人の応援や嬉しい感想はどんどん表に表していきたい、その逆(悪い噂は直ぐにその人にも伝わるので、悪い言葉は使わないようにすること)にも気を付けながら。

 ☆気付いてくれる人がいるかどうかなど気にせず咲く裏山の白い花。何かの拍子にこの姿に気付くとその印象はより強く心に響く。

Dr.626 見かけでは分からない(3月29日)

一緒にトレーニングに行っていた息子が「お父さんの足の筋肉はすごい」と言った。「いやあ見かけ倒しで、走ったらお前の方がずっと早いよ」と応えたものの、子どもから褒められるのは気分が良い。でも気分の良さはさておき、ドクターの足筋は確かに40年以上走っているので一見立派なように見えるが、実際の脚力はこのブログで何度かお伝えするように年々衰え、今では散歩のおばあさんより遅いほどだ。見かけでは分からないのだ。見かけで分からないと言えば、学校が長期休みに入っている高校生の娘が部屋からほとんど出歩かない心理状態だ。親としては随分退屈で、たまには外に出て外気に触れないと気分的にも身体の健康面でも心配だが、どうも本人は出歩かないで部屋で過ごすという状況が全然苦にならないらしい。これも見かけでは分からない。このように世の中には見かけでは分からないことが多い。かと言って全ての事象を内実まで分け入って真実に迫れるかと言うとそうもいかない。見かけと想像力で判断するしかないことがほとんどだ。だとすれば見かけもそれなりに大事ということになる。結局は見かけも大事だが、それが全てでもないことも忘れないようにして、内実にせまる努力もしなければならないということか。丹波篠山市の人口や出生数など見かけの数値は悪化しているが、人口や子どもの数は減っても市の活力はどうなのか、いろんな側面からその内実にせまることが、市の絶こうちょう化には欠かせない視点だ。

 ☆「見かけだけでは分からない」発想のきっかけになったドクターの足(見苦しいものをお見せしてすみません)。見かけでは分からないかもしれませんが、ドクターは冒険教育指導だけでなく教科書も書いた通信制大学の先生でもある。でもこれも教科書は書いていてもその中身が問われますよね。

Dr.625 自分にも影響が(3月28日)

世界中新型コロナウィルスの影響で大変な事態が続いている。イベント中止や外出抑制が続き、観光・飲食・航空業界を筆頭に多くの企業や人々に影響が出ている。ドクターの冒険指導者業界でもイベントや指導依頼の激減で収入が途絶え寄付を募る呼びかけも見られるようになってきた。大変なことになってきた困ったことだとは思いながらも、どこか他所事感があったが、昨日頼まれていた企業研修担当者から「社長が心配されているので、濃厚接触なしで冒険指導ができますか」と問い合わせがあった。このHPの写真(ドクター自撮り写真ではない)を見ていただいても分かる通り、冒険教育では仲間が集まって意見を交換しながら協働して課題を克服していく体験学習なので接触なしでとは考えられない。その旨をお伝えすると、「それでは残念でが今回は見合わせるということで」と指導依頼お断りの申し出があった。初めての企業に冒険教育の真価をお伝えできる好機だっただけに残念だが仕方がない。このことでドクターも遅ればせながら新型コロナの影響を自分の事として感じた。世の中には生死も含めてもっともっと大変な影響を受けておられる皆さんが本当に多くいらっしゃることを自分の事として感じるセンサーを鈍らせてはいけないと気付かさせられた。市の絶こうちょう化でも市の様々な課題を自分の事として感じることが出発点となる。自分の感度を上げていかなければならない。

 ☆たまたま立ち寄った行きつけの喫茶店ではいつものように近所の人がお話をされている日常があったが、その後の講師依頼キャンセルで冒険指導グッズを手に落胆するドクター。これを世の中の困りごとを自分の事として感じるセンサーを磨くきっかけにしたい。

Dr.624 人が喜ぶことをする(3月27日)

毎日を幸せに暮らすには、自分のことだけでなく人が喜ぶことをするようにするのが良いと学んだ。人に喜んでもらえると自分も嬉しくなり幸せを感じられるのだろう。自分の幸せのために人が喜ぶことをするというのはせこいような気もするが、誰のためであってもみんなが周りの人にやさしく親切になるのは良いことだ。で、自分の昨日は何か良いことしたかなと振り返ると大したことはしていないことが分かった。入り口を入る時に後ろの人ためにドアを手でもって開けておいたが、後ろの人を急がせたり、「ありがとうございます」を半強制的言わせたのではないかと気になる。車で走っている時に、信号機のない交差点を渡ろうとする人のために停止したり、右折車を入れさせてあげたりしたが、対向車も止まらなかったら歩行者にとっては危険だったり、自分の車の後ろの車は急いでいたかもしれないなどと考えると、良かれと思ってしたことでも誰かの迷惑になっているかもしれないこともあり、人が純粋に喜ぶことをすることはなかなか難しい。久しぶりに昔の職場に電話したが、「まだブログ見てますよ」等と言われかえってこちらが元気を頂いた。誰かに思わぬ迷惑をかけることはあるかもしれないが、今日もめげずに人が喜ぶことをやっていきたい。人が喜ぶことをするのが生き方そのものになるように。

 ☆母が喜ぶ畑の片づけを手伝ったら、1年以上芽が出なかった原木からシイタケが出ていた。人が喜ぶことをすると見返りもあるけど、それを期待してやるのは良くない。でもシイタケは美味しく頂こう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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