Dr.1909 第2・第3ステージ(3月30日)
市役所や教職員の退職者辞令式やお別れ会があった。定年は延長されたが、60歳で役職定年やこれまでの人生に一区切りをつける人は多い。60歳前に辞める方も何人かおられる。
いずれにしても、30年~40年間(若い人はもう少し短いが)勤めた職業に区切りをつけて、次の分野に進まれれる。第2または第3(人によっては今回お辞めになる職の前に別の職を経験された方もいる)の人生(ステージ)が始まる。
人が幾つのステージを生きるのかは人それぞれだと思うが、何にしてもステージが変わると環境は激変する。環境は変わっても、自分の中身はそんなに変わらないので、どの環境でも自分が出来ることを自分のやり方でやるしかない。そして、その環境が自分に合っていれば花開くし、あっていなければしばらく待つか、自分を変えるか、環境を変えるか等して人生は進んで行く。
ドクター人生を振り返っても、60歳で教員を辞めるるまでも、転勤や大学院や行政やと場面転換はあったけれど、定年後のステージ転換の方が激しかった。思いつくままにあげても(必ずしも時間軸通りではありません)、冒険教育指導者、大学の営業担当、通信大学の添削指導講師、一般社団法人の空き家相談窓口担当、市会議員、現職など、1年または数年単位で変化していった。この先、どういう転換が待っていることかしらん。
ステージの転換は、自分の意思と意思を超えたご縁(人によっては運と言う)が入り混じって起こる。ドクターとしては、ご縁を大事に、見込まれて回って来た役割はできるだけ引き受けていくのが良いと思っている。これから先、どういうステージがやってくるのか、ワクワクしながら楽しむというほど達観はできてませんが、たんたんと受け入れて、自分の出来ることをやって行こうと思っています。
それでも、今回退職された皆様のステージ転換は、人生の中でも一大事の大転換であることは間違いない。次のステージが決まっている人も、これから決まっていく人も、しっかりと受け入れて進んで行ってください。またどこかでご縁が重なった時、お出会いできるのを楽しみにしています。
☆この年度末で一これまでの人生ステージに区切りをつけ、次のステージへ進んで行く退職者の皆様。前途に祝福あれ。
Dr.1908 感謝(3月29日)
今日が本年度の平日最後の日と言うことで、テレビやラジオの番組で担当が変わる方があいさつをされていた。「この1年有難うございました。多くのことを学ばせて頂きました。又来年度も〇〇でお世話になりますけれど、よろしくお願いします」みたいなあいさつだった。
これは、自分の周りでも当てはまる。この1年(数年間の人もいるけど)お世話になりました。本当にありがとうございました。何とか年度末を迎えられたのも皆さんのおかげですという気持ちはドクターも強い。
いろんな方にお世話になって今があるというのは、年中同じだが、年度の代わりには余計に感じる。頼りなくお気楽な(心配性の顔もあるけど)自分が何とかやっていけているのも、いろんな方に助けてもらっているからだと思う。
これは仕事面だけでなく、それ以外の人間関係も含めて、ドクターと何らかのご縁がある方全ての方に感謝の気持ちを持っている。その中には自分と考え方や肌合いが違う方もいるけれど、そういう人も含めて、ご縁がある方皆さんに支えてもらって今生きていると思っている。
自分と意見・考え方が違う人も含めて感謝するとは、ドクターもなかなか成長したと思う(こういう自画自賛なことが出来るというのがお気楽ですね)。ここまで大きな心は、今だけかもしれないけど、それでもこんな気持ちになれたということ自体嬉しい。出来れば長く続いてほしい(ここを自分の意志でなく頼みごとにするのがまだ甘いですね、でもそれが自分です)。
今日も来年度も、ご縁とお導きを大切に、大きな心、感謝の心で、ぼつぼつ行きましょう。
☆これ昨日も見てもらったやつですけど、こんな感じで大きな心や感謝の心、昨日も今日も明日も変わらなく行きたいと思います。単に昨日写真撮らなかっただけやんというツッコミあり。有難うございます。
Dr.1907 とらわれない力(3月28日)
地域起こし協力隊の活動報告会を聞いた。11名がこの1年(場合によっては2年の任期中)の活動を写真を入れて報告し、その協力隊員を受け入れた地域の代表の方がコメントをされた。
よく地域づくりには、「よそ者、若者、ばか者」等の力が必要などと言われるが、要するにこれまでの風習や考え方、固定観念にとらわれない、若い(実際の年齢とは別)エネルギーが必要だということだと思う。
報告を聞くと、どの隊員も地域に溶け込み、地域の応援を受けながら、自分がしたいコト・自分の得意な分野(鍼灸・木工・アロマ・農業・教育…)で活動し、中には起業や出店に結びつけた方もいた。
隊員を受け入れた地域では、これまでの停滞を打ち破って、明るさや賑やかさが戻りつつあるという。道のりはそう簡単ではないだろうが、一つの希望を見出したように思う。これを他の地域にも広げていくには、隊員の獲得もそうだし、地域にも受け入れていく土壌が必要で、それをつなぐキーパーソンがいるということもよく分かった。
従来の閉塞感を打ち破る、とらわれない発想と元気なパワー、これが必要だが、これがなかなか難しい。ただあきらめないで、出来るところから、出来る範囲で、始めよう。ここでも、ご縁と、自分も楽しみ周りの人にも元気さを与える心構えが必要だと思う。
☆地域起こし協力隊の発表の様子と堀端の景色。青空が明るい未来を暗示している。まあ皆さん今日も明るく前を向いてボチボチ行きましょう。
Dr.1906 送別会(3月27日)
本年度末で退職される職員の送別会があった。30何年間勤められた感謝とホッとした気持ちを口々に話された。今後が決まっている人も、これから探すという人もいる。
ドクター6年前を思い出すと、定年を迎えて重責を下ろしてホッとする気持ちで解放感に浸れたのは、1・2週間、長くて一月ほどだった。それからは、暇を持て余すというほどではないが、何かすることがあるのがありがたいと思う気持ちが強まった。
だからと言って、すること(仕事など)は何でも良いという訳ではないということも、幾つかやってみた今となっては分かる。やはり自分の得意な分野ややりがいのある(と自分で感じられる)分野にこしたことはない。
中には4月からの自分がやりたいことを明確に計画している人もいた。暇を持て余すのは嫌だが、ご縁でやってくる仕事(役割)を待つというドクターの姿勢とは大違いだ。だが、どちらがいいかはその人の性格や環境による。自分に合う生き方が良いのだ。
ドクターも当初は自分の意思を強く出して、冒険教育(HAP)指導を中心にやり始めた。やってみると、思っていたのと違う部分もあり、別のご縁でやることになった仕事もやってみて、そこから次々とつながって今に至る。
そのままもう少しHAP指導を続けていた方が良かったのか、今に至る人生展開の方が良いのか、さらに大きく自分のこれまでの歩み全てがどうだったのかの良し悪しは、簡単には決められない。そもそも良し悪しではなく、自分の人生を自分で受け入れられるかどうかのような気もする。
定年、60歳頃を一つの節目に変わっていく人生、どう展開していくかをワクワク感を持って受け入れて行ければいいですね。節目の皆様の人生に幸多かれんことをお祈り申し上げます。
☆先日見てもらったドクター机の桜の鉢植え。確実に芽を出しているようです。いつどれだけ花を咲かすかは、大きな流れに任せておけばいいように思います。心配しないで、前に進んで行こう。
Dr.1905 無心(3月26日)
降りしきる雨を見ながら無心になっている。なろうとしている。いろいろ考えても、世の中なるようにしかならない。流れを信頼して身を任せ、自分の出来ることを自分なりのやり方でやれる範囲でやっていく。そういう自然な生き方で良いのではないでしょうか。
いろんな思いや欲を持てば振り回される。あんまり考え過ぎずに、たんたんと自分の道を歩んで行く。そんな生き方で行けるところまで行く。どこまで行くのかにこだわらない。そんな生き方で楽しさを忘れないように、周囲を暖かくしていきたい。今朝は何故かそんな感じが湧いてきました。
無心、無為自然、いいですね。これで今日も明日も流れるようにいきたいものです。
☆今日の無心を呼んだ雨の景色。皆様、何事もあんまり考え過ぎずにボチボチ行きましょう。