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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.836 すごい人も(11月29日)

ご縁によりある国会議員の国政セミナーに参加した。その方もさることながら、来賓あいさつや講演をされた国会議員や県会議員のみなさんのお話がとても上手で感心した。ドクターも大勢の人の前で話をするのは得意だが、そんな比じゃなく話の内容、筋立て、ユーモア、オチまですごい人たちがいるものだと圧倒された。そらまあ考えて見ると、この人たちは元々人前で話すのが得意なうえ、何回もそういう機会を経て話術に磨きがかかっているのだ。これでは到底人前で魅力的な話をする合戦では勝ち目はない。少し落ち込みかけてる時に「人は皆何かしら自分の役割を持って生きている」という内容の本を読み返した。人前での話がうまくて聴衆を惹きつける人も、聞く人がいなくてはその力を発揮できない。世の中の人が全員人前話し力満載なら、そういう人は得てして人の話を感動して聞くのは得意じゃないので、感動を呼ぶ講演会は成立しない。世の中には、人前で話すのが凄くうまい人も必要なら、そこそこ上手い人、普通の人、聞くのがうまい人、そこそこ上手い人などすべての分野でいろんな種類の人が必要で、各自が夫々の役割を果たすからこそ世の中は回っている。人は各自の役割を与えられてこの世に生まれて来ているのであり、他人の役割をうらやむ必要などなく、自分の役割を果たして、気持ちよく生きるのが良い。ある分野では凄い人もいるが、世の中は凄い人ばかりも必要ない。もがきながら生きる人、中途半端な人、お気楽な人、小心な人みんなが自分の役割を生きればいい。

 ☆人前で話す力が優れた凄い人たちを見た政経セミナー。自分にもちょっと特異な分野もあれば多くの弱い分野があり、ちょっと優しい部分もあれば多くのセコイ部分もある。中途半端でも、みんなそれぞれの役割がある。臆することなく自分を生きよう。

Dr.835 一度に一つだけ(11月28日)

母親が住む母屋と妻と娘が住む新宅を行ったり来たりして生活している。2~3mしか離れていないが、どちらもドクターの居場所(新宅にそんあものがあるとすればだが)は建物の2階なので忘れ物があると取りに戻るのが結構面倒だ。特に一つしかないものでドクターの必需品である①手帳、②スマホ、③カメラ(三種の神器)をどちらに持っていくかは神経を使う。三種の神器以外のものもあるので、新宅から母屋に行く時には何が必要かを前もって考えて持っていき、その後新宅に戻ることも考えて不必要なものは持っていかないようにする。いろいろ先を読んで効率よくモノを移動させるために、今回はカメラは置いて手帳とスマホだけ持って移動しようかとか何とか考える。これまではこの先読みが結構できたが、この頃では自分の行動の先読み(次に何をしてその次に何をする等)が難しくなって、必要な時に必要なものがなく、なくても良い時に妙なものがそこにあって、何でこんなものがここにあるんやと驚くことが続いている。そこでこの頃では、先読みは止めて直前にすること一つに専念することにしている。すると一つのことが終わってまた移動しなければならず非効率かつ二度手間ということもでてくるが、そこは移動や階段上り下りは運動と考えることにした。「一度にやる事は一つだけ」これは他の事にも適用できる原則で、定年後人生時間はあるのだから効率にしばられることはない、用事を一つづつこなしながら「モタモタでも身体は動かす」原則でゆっくり元気に生きて行こう。

 ☆ドクター丹後の三種の神器、どこでも必要なら全部をずっと持って移動すれば良さそうなものだが、3つとも常にというのはかさばる。

Dr.834 世の中は狭い(11月27日)

築30年余になる応接間の床板が腐って業者の方に来てもらって張り替えてもらっている。元請けになる業者さんや下請けの工務店、カーペット屋さん等いろんな方が出入りして、いろんなお話をする中で、それぞれの方といろんな繋がりがあることが分かった。ある方の息子さんと甥っ子が親友で時々お宅に伺ったりしているらしいこと。また別の方がPTA会長をされていた高校には私が師匠と仰ぐ人が教頭でいたことがわかったり、私が以前から会いたいと思っていた本市の学校支援職人チームの代表がカーペット会社の社長であったり、いろいろ思いがけない繋がりに世の中は狭いと改めて感じた。狭いだけに、どこで誰に自分の普段の振る舞いや言行が知れるか分かった物じゃない。いま聞く限りでは自分の評判は悪くないが(もっとも悪い評判は本人には直接言わないと思うが)、今後より一層気を引き締めないと悪い評判を聞くことになるかもしれない。でも自分の評判のために生きているのではないので、評判を気にして普段の生活が縛られるというのも頂けない。理想としては自分らしく振る舞って、それで評判もいいというのが望むところだが、まだまだ未完成な人格故にいろいろ良くないうわさが立つこともあるかもしれない。世の中は狭い、どこでだれとつながってるかも分からないということを肝に銘じてちょっとは言行に気を付けるとともに、これからの思いがけない出会いを楽しみにしたい。あくまでも自然体で振る舞い、それで喜んでくれる人が一人でも増えることを目標にして。

 ☆カーペットの下の腐った板を張り替える工事をしていただいている職人の皆さん。皆さん気持ちの良い方ばかりだ。おしゃべりで繋がりに気付くのは楽しいが、お仕事の邪魔をし過ぎないようにしなければならない。さらには自分の普段の立ち振る舞いを高め中ればならないが、これが結構難しい。

Dr.833 レベルの低い感謝(11月26日)

多くの方が人生を充実して生きる生き方として「感謝」「ありがとうございます」の大切さを説かれている。ドクターも幸せに生きるコツは感謝と貢献だと思っている。でも長い人生、時には感謝を忘れる時がある。素直に感謝できなかったり、不平や不満が襲ってきた時には、ドクターは自分が調子悪かった時(病気で死にそうだった時等)や日本でも世界でも自分よりもっと辛い体験をしている人のことを考えて、今の自分はまだマシ、あの時(あの人たち)よりは恵まれていると思いなおして、感謝の心を呼び戻すように努めている。でもこの感謝のやり方はレベルの低い感謝だとある本に書かれていた。レベルの低い感謝でも、しないよりはマシだがよりレベルの高い感謝(他と比べない絶対感謝)の域を目指すべきだという。その通りだとは思うが、ドクターの説く比較方式感謝はやりやすく初心者には効果大だ。将来的にはより高位の感謝方式を目指すとして、今の自分の魂レベルではこのやり方が有効か。しかし、これはあくまでもレベルの低い感謝方式であることを忘れず、絶えず感謝の常態化目指して精進したい。いつレベルアップするかは拘りませんけど。

 ☆家の風呂桶の蓋が緩くなって新しい蓋を買いにホームセンターへ行ったのだが、サイズが微妙に合わずに何個も買いなおした。こだわらずに生きる術を会得しているはずだったが。栓に拘らなければ風呂の水が確保できず、やはり生きる術はブラッシュアップしていかなければならない。

Dr.832 仕事と休みの境(11月25日)

勤労感謝の日に関する新聞記事で、昨今では仕事と休みの境が無くなる傾向にある、休暇を楽しみながら仕事をするワーケションもその流れの中にあるみたいなことが書かれていた。ドクターは現役の頃から勤務時間を時間で区切るのではなく、勤務時間外であっても勤務に関する閃きがあればそれを仕事に活かす作業(つまりは仕事)をし、勤務時間内であってもボーっとしたり頭を遊ばせる(つまりはそれが創造性の陶冶につながる)時間を持っていいと思っていた。このドクター流「公私混同の勧め」は公務員の働き方としては許容外だと思うが、定年後なら大きな声で推奨できる。仕事も趣味もボーっとした時間も入り混じって、全てが生きるということにつながっている。仕事と言ってもそこに生産性や効率ばかりを追求しなくても良いし、体力づくりや時間つぶしの要素が入っても良いというのか、1日を楽しく飽きないで過ごせて、1日の終わりに程よい疲れとお腹の空きがあるのが良い。「人生は所詮生きてる間の時間つぶし」という観点に立てば、仕事と休みを分ける必要はなく、どうせ時間を潰すのなら、「自分も楽しく人にも喜んでもらえるような過ごし方が良い」ということになる。さらに言えば「人が喜ぶかどうかは人の都合による」のであまりそれを意識し過ぎず、人が嫌がることは出来るだけしない範囲で、自分が満足できる時間の過ごし方をするのが良い。そうして上手く行けば人が喜んでくれるみたいな脱力感人生論が良いように思うのだが。

 ☆お気に入りの喫茶店でモーニングを食べながら、仕事と休みについてボーっと考えるドクター。そのこと自体が良い時間の過ごし方だ、結論は上の通り大したもんじゃないけど。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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