Dr.831 お天道様は見てる(11月24日)
いつも行くトレーニングセンターの駐車場が一杯だったので、遠い駐車場にするかトレーニングをやめて帰るか思案しながら進んで行くと、通常は駐車禁止の「歩行者用通路」に停めている車があって、その向かいが空いていたのでつい停めてしまった。逡巡しながら停めて外に出ると、それをたまたま近くにいた顔見知りの人が見ていた。「やっぱ(ここに停めるのは)まずいですよね」と言うドクターに対して、その人は「今日は雨も降っていて歩行者もいないので、(そこに停めても)いいんちゃいますか」と言ってくれたが、公明正大に生きるドクターとしては恥じ入るばかりだった。滅多にしない、たまたまの悪事だが、「お天道様は見てる」というのか、「悪事はばれる」というのか、つくづく悪いことは出来ないと実感した。たまたま、その時に限ってと言うことが、たまたま、その時に限って見ている人がいるものだ。今後はこの教訓を忘れないように裏表なく生きたい。それにしても、たまに良いことをした時には、誰も見ていてくれないのは不公平なように思うが、誰かに褒めてもらおうとしてやるようなせこい善行ではだめだということか。これも時々だが、自分の行為が良い方に過大評価される時がある。お天道様は本当に見てくださっているのか。いやいやお天道様を疑うのではなく、お天道様の目を警鐘として、自分の行いを正していきたい。そうすればお天道様は時々褒美をくださる。勿論、褒美を当てにするのではないけれど。
☆お城前広場で行われたイベント。この日はちゃんと駐車場にとめて見に行ったが、高校生やら子ども店長やら、嬉しい子どもの成長の姿を見せてもらった。やっぱりちゃんとお天道様は見てはる。
Dr.830 物忘れ功罪から(11月23日)
新聞の新書紹介欄で気になる本を見つけて、いつか購入しようと手帳にメモしようとしたら、以前のメモが残っていて数か月前に購入した本であることが分かった。慌てて机の上を探したら埋もれた書類の下から出て来た。以前に買った本と同じ本を購入したということは過去にもあったと思うが、こんなに時間が近いのはショックだ。でももう一度読み返してみて、この内容なら忘れても仕方ないとちょっとホッとした。文章が軽いというのか曖昧というのか、結論がはっきりしないというのか沢山ありすぎる。そのくせ掴みの章立ては上手いというのか、心惹かれるキャッチコピーにあふれている。新聞でもその章立てキャッチコピーに惹かれて買おうとしたし、そのコピーにある事柄自体は今でも関心がある。テーマは「定年後の生き方」や「孤独との付き合い方」「元気な人生の送り方」みたいなことで、日頃からドクターの関心があるコトだ。このショックな物忘れから二つのことがいえる。一つは脳の老化、物忘れがますます進行しているということだが、もう一つは自分が関心のあるテーマは追求しようという意欲は衰えていないという、あながちマイナスとは言えない側面だ。そもそも自分には(その年齢にあった)「よりよい生き方」への関心自体が旺盛にあるということに気付けたことは嬉しい。齢を取ると、物事への意欲や関心自体が衰えるらしいので、自分はまだそんなに衰えていないということだ。もの忘れ自体も不便なところはあるが、また新しい本を買った気分で前に買った本を読めるというメリットもある。「もの忘れ」も他のあらゆることと同じくプラスマイナス両面あるということか。ともかく生きてると嫌でもやってくるものなら、その事のマイナス面ばかり見ずに、プラス面を認識して元気に自然に生きて行きたい。
☆黒豆の乾燥機を組み立てるドクター。1年ぶりなので忘れていることも多いが、依然と同じようにきっちりではないとしても、以前より時間が掛ったとしても、何とか組み立てることはできた。時間はいっぱいあるし、何とかなったのなら、それでいいじゃないという気持ちだ。人生の他の事にも言える。
Dr.829 新たな発想(11月22日)
黒豆の葉っぱ取りに追われている。定年後の生き方やE判定を受けた検診結果への対応や将来の不安や天井裏の動物(イタチか?)の物音等にも追われている。後の不安はさておき、葉っぱ取りについて新たなやり方を聞いて実践してみた。これまでは葉っぱをとってから軸を切って、数本寄せ集めて乾燥させる(専門用語で「島立」という)という一般的な方法でやっていたが、今回ある人から先に軸を切って(葉っぱの付いたまま)干してから、乾いたところで枝を持って振ったら乾いた葉っぱや枝が簡単に落ちるというのを聞いてやってみた。ちょっとした違いで誰でも思いつきそうなことだが、これまでは従来通りのやり方に縛られてそれでないといけないと思っていた。言われてみると、先に軸を切った方が乾きやすそうだ。何故こんな簡単なことが思いつかなかったのだろう。固定観念というのか、これまでの習慣というのか、周りの人が誰もやっていないというのか、いろいろ理由は考えられるが、大変でも面倒でもこれまで通りのやり方でやっていた。新しいやり方はまだ乾燥後の枝振りをやっていないので結果的に効率的なやり方かどうかは分からないが、新たな発想で新しいやり方をやってみたという満足感は大きい。結果的に前のやり方が良かったということになるかもしれないが、そうなったら前に戻せばいいだけのことだ。何事も新たなことは成功するかもしれないが失敗するかもしれないというリスクはある。でも新たな発想、新たな視点がないと発展はない。今回黒豆の乾燥作業で新た取組が出来たことは本当に何か気持ちよい。これは是非、他のことにも応用して、定年後の生き方や人生の捉え方についても新たな発想や実行をやってみたい。
☆新たな発想でやってみた黒豆の葉付き乾燥。新たなことをやってみるワクワク感を教えられた。ちょっと大層な言い方ですけど。
Dr.828 おちゃめな指導者(11月20日)
ドクターは冒険教育指導者の中では最年長に近い。海外にはもっと高齢でも現場に立たれている方が多いと思うが、日本では少ないように思う。一つは一日中自然の中で立ちっぱなしで指導する体力的な問題があるように思うが、それよりも大きいのが指導することが多い子ども達との心のギャップが広がることではないかと思っている。無邪気な子ども達との心の交流を無心に楽しめるかどうか、ある面子どもと同じレベルで触れ合えるかどうかにかかっているように思う。若いうちは純粋に子どもと関われるのが嬉しかったり、冒険教育の教育的効果に魅了されたりして心弾んで活動で来ていたのが、年齢や経験を重ねるにつれて慣れや大人の常識が邪魔をして、心から楽しめなくなる場合が多い。その点、成長しない指導者を自認するドクターは、年々子ども達の精神年齢に近づいているのではないか。子ども達と一緒に活動するのが面白くって仕方がない。精神年齢も若返るというのか、年相応の落ち着きに欠けるというのか、おちゃめ度が増してきた。先日も指導が終わって子ども達から挨拶を受ける時、他の指導者が並んでいる時に一人だけ柱の陰に隠れようとして、側にいた新人の指導者から「隠れないで出てください」とばかりに押し出された。途中で飛び出して子ども達を驚かせてやろうとしたのを、挨拶はきちんと並んで受けるべきだという常識を持つ若手に注意された格好だ。年長者が注意することの方が多い世間一般の流れとは逆だ。このような場面は過日の学校運営協議会でもあった。子ども達(中学生)と触れ合える機会があって興奮したドクターが、その後の校長挨拶の時にもはしゃいでいて年長の委員から「うるさい」と注意された。齢がいっても落ち着きを欠くドクター、傍からは困った存在だろうが自分ではそんな自分が好きだ。だから指導の現場にまだ立てると思っている。この気持ちが亡くなった時が潮時かな。
☆紅葉の好天の中で実施できた過日の冒険指導、風で落ち葉が舞うのも美しかった。ドクターの行き当たりばったり指導はいつまで続けられるのだろう。
Dr.827 言行不一致(11月19日)
講演会やいろんな機会に「(頼む人はあなたを見込んで頼むのだから)人から頼まれたことは出来るだけ引き受けよう」と言っている。自分では無理だと思っていることや最初気乗りしないことでもやってみると意外と面白い、自分に合ってると思うこともある。自分の可能性を広げることにもつながるので、先ずはやってみようと言っているし、実際その通りだと思っている。でも現実的には、何でもかんでも引き受けてると身動き取れなくなるし、時間や出費が膨大になることがある。従ってどこかで線引きをせざるを得ない。こうした実際を知りながら「人から頼まれたことは先ず引き受けよう」と呼びかけているのは、自分を過小評価して自分の可能性を狭めている人が多いと思うからだが、言ったことは自分に返ってくる。自分が言う以上、自分もどんな役でも引き受けなければならない。そんなこんなで随分多くの役をやらせていただいているが、今回また新たにある会(怪しいものではなく、伝統もあるボランティア団体)に入会しないかというお話を頂いた。その会の活動には全面的に賛同するのだが、これ以上出なければならない時間が増えると、ちょとゆっくりする時間が無くなってしまう。他にもここには書きにくい事情もあって、今回は参加はお断りする方向だ。これでは言行不一致、言ってることとやってることが違うと責められても仕方がない。これを機に今後は「頼まれたことは断らない」という提案はしないようにしたい。あまり前向きな解決策でないような気がするが、生きていればこんなこともある。まあ、こんな決断をするようになったのも流れと観念し、ぼつぼつ行きたい。でも、「出来るだけやれることはやる」(あんまり過度にならない範囲で)という貢献の精神は忘れないようにしたい。
☆学校訪問で見かけた、ある小学校の廊下に置いてあった水盆。こんな感じで役を引き受けるのが賑やかでいいが、これもこれ以上多くなると美しくない。何でも「ほどほど」が大事だ。これは良い断る口実に結びついた。