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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1307 昔覚えたこと(6月30日)

 今朝ラジオ英会話を聞いていて(正確にはラジオをかけていて)奥様が、プロナンシエーションって何やったって聞かはるので、「発音ちゃうか」と答えたけど、昔々に中学か高校で習ったことを今でも覚えている。

 最近のことはでんでん(標準語的にはぜんぜん)覚えてないのに、昔覚えたことは忘れへんというのはどういうことだろう。多分、覚えてるのを思い出すのと、新しいことを覚えるのと脳の違う機能(分野)を使うのだろうとは思うけど。

 普段よく使うから覚えている、意味があるコトは覚えている(どうでも良いことは忘れる)ということでもないような気もする。プロナンシエーションなんて実用生活では全く使わへんから。

 よくわからん言うたら人の一生を通じて一杯ある。分からんことだらけと言うた方が良いかもしれない。どんな一生を送るかもよくわからない。今の人生がかつて予測した通りと言う人は少ないのではないかしらん。

 よく分からないから、目先の損得、一喜一憂にはとらわれず、たんたんと今日やる事、人生の今の時期にやることに全力でとりくむしかありませんね。何が役立って何が思い出されるのか、全くわかりませんから。まあ皆さん、ボチボチ行きましょう。

 ☆かつて子どものPTA役員として行ったこの公園に、また違う立場で行くとは予想も出来ませんでしたが、役員としてゲーム指導したのはよく覚えています(結局そんな役やる人生は昔からですね)。

Dr.1306 いつまでもいつのまにか(6月29日)

 昨夜久しぶりにテレビで歌番組を見た。青春時代によくお目にかかった歌手の方がお元気な姿で歌っておられた。多分60代70代になっておられると思う。容姿も少しは変わっているものの、一般的な年代の方よりは随分若いし、動きも柔軟でキレがある。

 多分日頃のお手入れや努力の賜物だろう。がんばれば、いつまでも若さと言うのかエネルギーを維持できると言う例だろうか。

 ところが今朝いつものコースを走っていると(世間的には歩いていると)、枯れた木の大きな枝が道に落ちていた。いつのまにか枯れて落ちて来たのだろう。

 人の若さもいつまでも維持できてるように見えても、いつのまにか老化は進んで、ある日今朝の枯れ枝のようにバサッと朽ち倒れるのだろう。でも、朽ち倒れるまで元気でこれまでと変わらないような感じで生きられるのは悪くない。

 いつか来る朽ち倒れる日のことは心の片隅に留め置いて、それまでは元気に生きられるように歌手の皆さんのように若さ体力維持に努めたい。

 ☆久しぶりにある用事で行った初校長校。変わらないようで、よく見ると変わっている校舎とドクター。まあ皆さん、無理しない範囲でボチボチ出来ることしていきましょう。

Dr.1305 後年の生き方(6月28日)

 人生の後半をどう生きるか。晩年と言うほどでもないけど、60歳定年で60歳以降は何もしないというわけにもいかない60歳、70歳(80歳90歳以降はまだ視野には入ってませんけど)をどう生きるか。50歳代くらいから考え始めるだろう。

 ドクターの場合は何度か言うように(言ったかどうか定かには覚えてませんけど)、校長を辞めて冒険教育を中心として、百姓とあと少しのアルバイト的な仕事なんかで生きて行こうとした。

 最初はそのようにしていたが、冒険教育や講師依頼がそう多くないことが分かってきた。ボチボチはあったので、もう少しこの生活を続けて行けば何とかなったような気もするが、生来の飽き性が邪魔をしたのか冒険教育ももういいように思えてきた。特にここ1年あまりは現場で指導していないので、余計続けるのは難しいように感じている。

 そうこうしているちに、空き家相談窓口勤めから、市会議員、教育長と流れに従ってやらせてもらってきた。流れの中で良いことも大変なこともあるが、やりがいはあるし、スタンスは自他に喜んでもらえることをやるということ、この生き方は変わらない。

 生き方はそれで良いとして、具体的にはどんな業務を日々やって行くかということは気になる。かつては外国で日本語を教える日本語教師にも興味があって勉強を始めたこともあったが頓挫している。

 頓挫と言えば生きてること以外にずーっと続けていることはないようにも思う。ともかく、自分の持ち味を生かして、自分にできる、自分がやる流れになったことをやって生きて行く、これしかないように思う。その試行錯誤の過程でまた何かやろうとしてまた頓挫、そうこうしているうちにバタバタ人生が終わるような気がしている。これって決して投げやりでも悪いことでもないように思います。

 みなさん、ボチボチ行きましょう。流れが導いてくれます、きっと。安心して行きましょう。

 ☆流れでいろんなところに行かせてもらっています。バタバタして後年の生き方備え不十分ですけど。

Dr.1304 自然の中で(6月27日)

 母の満中陰が終わり、納骨を済ませた。先に逝った父の骨の横に母の骨を納めた。ものすごい暑さの中だった。

 午後には農作業をしようと思ったが、これも凄い暑さであまり進まなかった。しかし今朝がたには少し涼しくなり、4時過ぎに小鳥の声で目が覚めた。昨日の農作業で少し足が痛い。若い頃にはなかったことだ。村の方も黒豆植え作業は子どもさんがやり、補助役をやられていた。

 自然は進み時は進んで行く。変わらぬように見える自然もあり、人間関係や老化など時の進みを感じることもあるが、これが自然の摂理だろう。子どもたちも成長して行っている。

 このように自然の中で自然の理に従って生きている。やはり、これからも自然の流れに従って、自分の生を紡いでいくしかない。皆様も、夫々の生を精一杯、楽しみながら、笑顔で進んで行かれますように。熱さ厳しい折柄、大変ではありますが、鶯のさえずりにように良い自然もありますから前向きに生きましょう。

 ☆朝から熱い自然の中で人工のクーラーつけてしまいました。

Dr.1303 やはり何か(6月26日)

 昨日は朝から黒豆苗の移植をやった。熱い一日で、移植器具も壊れて手植えしなければならないなどもあって、なかなかへばってしまった。

 午後からは休憩しながら無理のない仕事をやった。その中に水利組合の配りものがあって、御家に届けて、留守の家にはポストに入れて、おられたら言葉を交わしたりした。

 こうして田舎集落で生活するのも悪くはないが、これが毎日だとやはり何かものたりなくなるように思った。特にすべきことが無くて、かえって自分のペースで充実した時間を過ごせる人もおられるだろうが、ドクターの場合は何かやることがあった方が良い。

 週1~2回の田舎生活(村から出ないで百姓仕事などで過ごす)でさえ、持て余してしまうのだからこれがずっと続くとなればどうなるのだろう。

 贅沢な悩みであることは百も承知だが、今後に備えて、何もしなくてもご機嫌よく暮らせる方法というのか考え方を見つけなければならい。しかしまあ、今のところは定年後も何やかやとやらせて頂いているので、これからも何とかなるような気もするが、何でも準備しておくことに越したことはない。

 かくして、定年後生活充実法の研究がまた始まることになる。ひょっとしたら、定年後生活の研究がライフワークかもしれない。研究してる間に終わりが来たりして。それはそれで仕方ないか。これもまあ流れに任せよう。

 ☆黒豆の移植が進む村内の圃場。この景色もすばらしいが、いつもずっとこればかりだと落ち着かないかなあ。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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