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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2049 心持ちが体に影響(8月31日)

 暑い夏中、エアコンをつけて寝ている。いつもの起床時間の1~2時間前に目が覚めることがあり、それから寝ようとしても汗が出て来て寝られないことがある。

 エアコンの温度調整中(機会が自動でやるやつ)かなと思って、枕もとの温度計付き時計を見ると、室温は寝る前とさほど変わらない。何も考えないで寝ている時には、汗もかかず快眠しているが、一旦起きてあれやこれやと考えていると(どうしても不安や心配なことを考えることが多い)、体が熱くなって汗が出て寝付けないという状態になるように思う。

 そこで分かったのは、心理的な状態が身体的な状態(体調)に影響を与えるのではないかと言うこと。何も考えない時は熟睡出来て(一杯後の即寝の状態です)、何かの拍子で起きて(トイレなど)あれこれ不安なことを考え出すと、汗が出て来たり眠れなくなってくる(身体的に不調な状態)。

 だから、心を整えて、無の境地(瞑想など、やったことないですけど)やプラス思考で肯定的なことばかり考えられれば体調も良いはずだが、人間なかなか肯定的な事ばかりが考えられるわけではない。

 眠れなかったり体調がよろしくないのは困るので、できるだけ心を良い状態に保ちたい。だからどうすればいいのか、まだ妙案はないですけど、これからまだしばらくは自分の心や身体と付き合うのだから、ここでも又良い策を見つけて行きたいですね。当面はまた、自然体と言うのか、なるようにしかならないという「無為自然」で行くしかないですけど。

 いろんな本読んだり、いろいろ考えたりしながら、できることをやっていきますわ。流れでなるようにしかならないとは思いますけど。自分にやってくる「流れ」、信頼してますので何とかなると思っています。この世に生かされている皆様も大丈夫、皆さん大きな力に祝福されています。

 ☆5年前の今頃です。同じような事やってますね。

Dr.2048 何事も準備が大切(8月30日)

 奥様が家の片付けに精を出している。親が貯めた沢山のモノが家の中の、あちらこちらに山積している。自分たちがいなくなった時、子どもたちが苦労するだろうと、身体が動く今のうちに片づけなければという気持ちのようだ。

 ドクターはといえば、日々を生きるのが精いっぱいで、そこまで手が回らないし、昔のいろんなものを見たり片付けたりするのは精神的・肉体的にしんどいので、任せっきりになっている。

 しかし、この間「不自由や孤独を受け入れる準備をしておくことが大切」と書かれている本に出会い、心の準備をしておくことは必要だと思ったが、何せ「人生は考えた通りには行かない。流れとご縁を大事に、感謝の気持ちを持って生きて行く」をモットーしている自分としては、精神的な準備も流れ任せと言う始末だ。

 股関節の痛みはかなりマシにはなってきたが、今でもそう早くは歩けない状態が続いている(もともと歩くのや走るのは遅かったですけど)。怪我が老化に結びつく実感はあるので、老化や老化から来る不如意に備えておかなければならないという気持ちは出て来た。

 そんなことで、悪い状態を意識し、最悪に備える覚悟と言うのか、精神的な備えはしていきたい。「あきらめる」ということが一つのポイントにはなると思っている。何せ「諦める」は「明らかに見る」とつながっているということは学んでいますので。「諦める」これだけで準備はいいのでしょうか。ちょっと自信はないですけど。

 ☆特に写真撮るの怠ってましたので、以前のやつです、すみません。備えなってませんね。何事も、思った通りにはなかなかいきません。そういうもんですかね、人生は。

 

Dr.2047 自然治癒力(8月29日)

 股関節の痛みがだいぶ和らいだ。特に医者に行ったわけでもなく、ストレッチなどの対応もしていないので、自然治癒力と言うことだろう。

 なかなか大した力があるものだ。これは何もドクターだけでなく、誰にも備わっている力だと思う。そして、この力は外傷だけでなく、内傷というのか内面的精神的な傷というのか、落ち込みや不安にも効くのではないか。そう思いたい。

 人間には生きる本能というのか、生を続けたいという欲があると思うので、それに適するように、身体や心の傷を治そうとするのではないだろうか。そりゃあ、自然治癒力を超える大きな傷や衝撃はあると思うので、そいう時には医者や薬の力も必要だと思うけど。

 自然治癒力を高めるには、あまりそのことを気にし過ぎず、気楽に自然体で暮すことが有効なように思う。外傷にはそうして対応できるが、心の不安には、それを自然治癒するために不安なくお気楽に生活しろといっても、これはなかなか難しそうですけれど。

 何にしても、自然治癒のおかげで足の方はだいぶよくなったけれど、以前と同じくらいの元気な状態に完全に戻ったわけではない。だいぶ良くなりつつも、だんだんと力が落ちていく、これが老化だろうか。体や心の老化に上手く対応しながら、日々の暮らしをできるだけ快適にして行きたいですね。

 ☆奇麗な雲を見ながら、ぼちぼち過ごす時間も大事にしたいと思います。いろんな傷やへこみに、ボチボチ対応しながら、前へ進んで行きましょう。まあ、何とかなるでしょう。

Dr.2046 自分の都合だけではいかない(8月28日)

 いろんな条件で世の中は動いている。自分の都合と言うのか、思い通りにいかなかったとしても仕方がない。特に農業などをやっていると、その思いを強くする。

 稲刈りなどを次の休みにしようと思っていても、雨が降ればできないし、雨は降らなかったとしてもコンバインなどの農業機械が動かなければ予定通りには行かない。

 予定通りに行かなくても、当初の思いと違っても、少しでも出来たら、それを良かったと思うのか、ダメだと思うのかで精神的な負担は大きく違う。世の中、自分の都合だけではいかないので、できることをできる範囲でやっていく。それしかできないし、それで十分有難い。

 農業以外も含めて、自分の思い通りに行かないことは多い。自分の思いを持つこと自体が苦しみを生むという考え方もある。自分の思いに固執しなくてもいいけど、ぼんやりとでも思いを持たないと人生を進めて行けないようにも感じる。

 どの程度の思いを持つかどうかも流れとご縁に任せ、出来ることをやりながら、進んで行きたいと思います。

 ☆塔の上にとまった鳥。生きていると見かける、美しいものに目をとめながら、できることをやって行きたいと思います。

Dr.2045 日頃の有難さ(8月27日)

 何気ない日常の有難さは、それを無くしたり支障が出たりしないと分かりにくい。昨日左の股関節を痛めて、歩いたり階段の上り下りに支障が出ている。普通に歩けることの有難さを痛感している。

 きっかけは、レスリングの小学生が全国大会の結果報告に来て、終わりの方で一緒にポーズをとろうということで、低い姿勢をとっていて股関節を痛めた。こんな笑い話のような切っ掛けでも、足の痛みは結構きつい。

 日にち薬で直ると思うが、特に支障も感じることなく動き回れていたこれまでの日常生活や健康の有難さが分かった。当たり前の日々に感謝とは言っていたけれど、本当に当たり前の日常がどれだけありがたいかは、失くしてみないと分からない。

 今回は股関節の痛みで、足の大事さは分かったけれど、まだまだ支障なくできていることはあるので、まだまだ今できていることの有難さ、健康な体の有難さに気付かなければならない。今回の痛い教訓を生かして、今後は無くさないうちから気付けるようにして行きたいと思います。

 ☆全国大会の報告に来たコーチと小学生。この子たちに何の責任もありません。ドクターが一人ではしゃいで足を痛めてしまいました。こんな幼稚な大人がいることは学び(反面教師)になるかしらん。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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