ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.464 営業に来たんですか(9月30日)

県の人権教育研究大会の分科会で発表をした。分科会のテーマは「人権文化の創造」でドクターの発表要旨は、冒険教育でもなんでも自分の特技や地域の課題に前向きに取り組みそれで地域を元気にし交流を盛んにすることが、地域の人に元気と自信を与え、引いては差別の解消につながるというもので、各地域で実践されているホタルの再生や祭りの継続、地域カフェや寺子屋学習塾などと同じく、自分は冒険教育で地域づくりに貢献したいというものだった。パワーポイントで冒険指導風景を見てもらった後、いくつかの実践(ジャンケン叩き・イースター島モアイ等)をやってもらって、いつもの研修会と同じ感じで報告した。後の質問では人権に関するというよりは、「写真のあの人たちは何故あんな格好をしているのか」「人権研修会などの最初にアイスブレークをしたいが良いネタはないか」「あのフライングチキンはどう使うのか」「あなたは本当に定年したてか」等の冒険ネタに関するものが多く、ドクターとしては得意分野なので勇んで回答し、「自分の指導範囲は0歳から高齢者までなので、ここにいる人は全て対象者です、いつでもどこでも指導に行きますよ」と調子に乗ってしゃべった。会の終了後にその会に出ていた知人が「今日は営業で来られたんですか」と言うので、「役員の方から頼まれたから来たんですよ」と否定したが、こんなことならもっと名刺を持ってくればよかった。
 ☆豊岡市で行われた県人権研究大会の様子と去年の村祭りの様子。どこでもなんでも自分らしく行きたい。

Dr.463 日々の変化(9月29日)

ご近所の法要と村のお葬式に出た。出席者の中には日々お会いする方もあれば、何年かぶりでお会いする人もあった。親しくお会いしている方はそんなに変わった気はしないが、久しぶりでお会いする方の変わりようには驚く。人間は日々変化しているが、その変化は小さく連続的なのでいつも会っているとその変化に気付かないが、久しぶりだとその小さな変化の積み重ねが大きくなった結果を見るので、前に会った時との落差に驚くことになるのだろう。特に80歳を超えてからの変化(老化)が急に早まるような気がしている。日々変化するのはしかたのないことだし、嘆くことばかりでもないと思うが、この人は変化するということ(人だけでなく万物は流転するという言葉もある)を忘れないようにしたい。そしてできればその変化を受け入れ、変化した状態に慣れ、変化を肯定的にとらえられるようにしたいものだ。
 ☆黒豆畑を見て回っていると、表面からは変わらないように見える畑も、葉っぱの下を覗いてみると結構豆が膨らんできたことに気付く。ドクターの自撮り写真もいつも変わらないように見えるが、1年前と比べると結構くたびれてきている。いや成熟してきているでした。

Dr.462 農業がしたい(9月28日)

丹波篠山で農業がしたいという40代の男性二人にあった。彼らは都会(大阪)でそこそこ収入がある定職についていながら、子どもが卒業し家のローンが終わったら篠山に来て農業をするのが夢だという。耕作放棄地を耕して地域に貢献したいともいう。さらに入植地は田舎の付き合いが濃いど田舎の村が良いという。今時こんな人がいるのだ。しかも二人も。少し前までは3人だったらしいが、一人は仕事が忙しくなり休暇をやりくりしての篠山通い(農業スクール出席など)がむつかしくなったらしい。昔から篠山の田舎村に住み、兼業農家のドクターとしてはびっくりすると同時に、この機会に自分の村や農業について考えて見た。三方を山に囲まれた自宅は自然が近いと言えば近い。農業は自然相手でやってみないと分からないところもあり不安定だが、自然の中で自分のペースで仕事が出来、自分で仕事の量を調節すると適度な運動にもなり健康にも良い。何より定年がなく、農作業がある時期は毎日用事や行くところ(田んぼ)があり、「きょうよう」「きょういく」を実行しやすい。こう考えると自分が田舎に生まれ自然の中で農業に従事できるのがありがたいことだと分かった。今まであんまり考えたことのなかった自分の恵まれた点に気付いた。どの土地でどの仕事をしていても恵まれたところはあると思うが、要は何かのきっかけで自分の恵まれている点に気付くことだ。不平や不満な点は放っておいても直ぐに気付くが、自分が恵まれたところや感謝すべき点は見落としがちだ。お二人の農業愛好者にお出会い出来て、いろんなことを考えるきっかけを頂けた。ありがとうございました、そして今後お二人の夢が叶いますように。
 ☆前に行かせていただいた小学校での冒険指導の様子を撮った写真を送っていただいた。指導の機会を頂けたことも指導の様子の写真を送っていただけたのも当たり前のことではない。感謝いたします、ありがとうございました。

Dr.461 良かったことを数える(9月27日)

毎日を幸せに暮らす具体策に「毎日良かったこと・嬉しかったことを10個数える」「嫌なことは忘れる」がある。前半は結構難しい(特に10個挙げるというのが)が、後半は忘却力がかなり進んできたドクターとしては得意なところだ。良かったことも悪かったこともどんどん忘れる。もしかしたらこの快適に暮らす秘訣もかつてブログで取り上げたかもしれないが、忘れてしまっているので勘弁してほしいほどだ。で、前半の良かったことを日に10個数えるという話だが、今言ったようにどんどん忘れるので、良いことが見つかった時には直ぐにカウントするようにしている。今日などは①朝起きた時(午前4時頃)に奇麗な星空が見えた、②朝ランニング中の朝焼けの雲が美しかった、③歯と足首以外特に痛いところはない、などだ。まだ3つだが、そのうち今日これまで幾つ見つけたのかも忘れるので、良かったことの個数はあまり問題ない。問題は出だしの3つが好天の日はほとんど同じことだ。③などは、その日の痛い所をあげて、それ以外は特に痛い所がないとするので、毎日これで行ける。要するに今の自分の恵まれている所に目を向けよということだろう。これは結構効くので皆さんお勧めです。
 ☆いつものカフェでいただくランチ。これも頂ける日には毎回10個の中に入る。この日は特に丹波篠山名産栗ご飯。これは2ポイント級だ。

Dr.460 それぞれの生き方(9月26日)

定年後(定年前の方にも参考になるかも)生活研究者のドクターが数ある定年後生活充実の本やブログを見ていると、何歳にしろ週5日~6日のフルタイム勤務を終えてからの生活で勧めているのは、趣味やボランティアなどの活動に打ち込む生活や自営業など生涯現役で働くことなどが多い。週3日程度パートタイムでお金がもらえる仕事をすることには否定的ではないが、その時給が安くその職務内容が誰でもできるような安易なものの場合は、「60歳や65歳まで一生懸命それなりの仕事をしてきてそれなりの貯えもあるのに、何故それ以降にそんな仕事をして貴重な人生の時間を浪費するのか。これからは自分の好きなことをして過ごせばいいのだ」というような論調があって気になる。人にはそれぞれの事情・考え方・生き方があって、一般的に多くの人から見てよさそうな生き方でなくても、その人がそれで良いと思ってやっている生き方を否定するのは如何なものだろうか。他人がうらやむような生きたをしようと、多くの人がしょうもないという生き方をしようと、寿命が来れば人生は終わり、やがては忘れ去られる。どの人生にも貴賤はない。他人がとやかくいう必要はない。一番大事なのは本人が満足かどうか、幸せかどうかだ。もっと突き詰めて言えば本人の満足感や幸福感さへ、大宇宙の流れから言うと大きな問題ではないのかもしれない。何か投げやりな意見のようだが、そう考えた方が肩に力が入らず楽に生きられるように思う。これまでの研究からそういう結論に達したが、ドクターの研究とて大したことではない。
 ☆人はいろいろ思うけど、そんなことには関係なく植物は咲くころには咲き、枯れるころには枯れる。雲は何も考えず悠然とそこに現れ姿を変えていく。人生の奥は深い(丹吉師曰く)

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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