Dr.2311 やりたいことを(6月30日)
この間、同期に校長をやっていた人と話をしたら、退職後自分がやりたかった研究をやって、大学で教えたり講演会をしたりしているという。何もどこかの大学の教授になりたい訳ではなく、自分の研究したかったことをして、それを現場の方に伝えたいということで、その生活が今できているという。
羨ましいと言えば羨ましい生き方だが、その人がそんな生活が出来ているのも、流れとご縁による。はじめから今やっているような生活が出来ると思っていたわけではなく、ただ自分が研究したい分野をやっていたら、いろんなところから声がかかり、今に至っているらしい。
これからの自分の人生の展開も分からない所があるが、自分に出来ることを精一杯やって、そこから出て来る人生の流れを歩んで行くしかない。何が良くて何が悪いか等そう簡単には決められない。人生なるようにしかならず、なるようにはなる。
大事なことは、自分に関わる方に気持ちよく元気を届ける、この気持ちは忘れないように歩んで行きたい。そこはぶれずに、進んで行きます。皆様も、ご自分の人生、自分の大事にすること、やりたいことを大切に歩んで行ってください。後は大きな流れが支えてくれると思います。
☆5年前の黒豆畑。今もあんまり変わっていません。人の本質ってそう変わりませんよね。自分の良い所を大事にして行きたいと思います。

Dr.2310 地域人(6月29日)
昨日は村の集会、少し前には地域(小学校区)の運動会「スポーツフェスティバル」の役員打ち合わせがあって、自分が地域と関わるのは久しぶりだという感触を持った。言うまでもなく、地域で暮し地域で生きている。地域には移住の方もいるが、大方は昔からの知り合いで、先輩後輩の関係もずーっと変わらない。
これからも地域で生きて行くのだから、地域との関係は大事にしなければならない。その時々の個人的な置かれた環境で、地域での役割の濃淡はあるが、出来る限り地域の役割は大事にしていかなければならないと思っている。
定年前後は地域の「まちづくり協議会」の副会長も勤め、体育行事や夏祭りを中心になって関わった経験もある。それから比べると、今はメインは「水利組合長」ぐらいになっている(他にも小学校区の体育委員や農業法人にも関わってはいるが)。「水利組合長」も大事な役で、緊張はするが毎日用事があるわけではない。
自治会長をはじめ地域の大事な役を担ってくれている方々がおられるので、地域が回っている。自分も地域の一員であることは忘れず、できるだけ今の自分にできる役割はしっかりと果たしていきたい。
☆ちょっとした隙に見つけたホッとするシーン。頭の中は休日でもなかなか緊張しているが、束の間のホッとする時間を大事にしたいですね。皆さん今日も頭の中は休日とはいかないかもしれませんが、一つのことにとらわれ過ぎずに、大きく柔らかく優しく寛大な気持ちで行きましょう。

Dr.2309 自己肯定感(6月28日)
昨日もいろいろとあり、精神的にも辛い一日だったが、自分にも至らぬところはあるが、良い所もあるという自己肯定感が支えとなって何とか一日を終えることが出来た。生きていると、誰でも大変な事辛いことに出会うと思うが、それを超えて生き抜くためには、歩みを止めない力がいる。それが自己肯定感ではないかと思っている。
人間完璧ではないので、いろいろ至らぬところがあり、そこを指摘されたりクローズアップされるとなかなかしんどいが、そんな自分にも良い所はあるという気持ちは大事にしたい。
ドクター的には、なぜ自分に自分を支える自己肯定感があるかと言えば、小さい頃から甘やかして育てられたこと(言葉を変えれば愛情いっぱいに育てられたこと)と仕事に就いてからの子どもたちとの触れ合いから来ているように思う。
子どもたちと心を通じ合えること、笑顔で交流できること、ここは今でも自信があるし、自分を支えている。だから、その子どもたちのためになることがしたいと思ってやっている。
いろいろあっても、生かされていることへの感謝とそれに報いる自分にできる貢献が大事だと思っている。自分にできる貢献は、置かれた場所や立場で違ってくると思うが、流れとご縁でやってくる場所で、自分にできる精一杯をやっていくしかない。置かれる場所に上下はない。年齢や心身の体調も含めて、自分の出来る精一杯をやっていくしかないし、それで十分ではないでしょうか。
ということで、皆様今日もいろいろあると思いますが、周りの人に笑顔とその方の自己肯定が上がる触れ合いを心掛け、今の自分にあった最善の日にして行きましょう。ボチボチ精神も忘れないようにしながらですけど。
☆6年前の今頃です。同じような景色です。人ってそんなに変わりませんね(変われませんね)。それでいいんじゃないでしょうか。


Dr.2308 原点に戻る(6月27日)
何でも迷いや不安が出来てきた時には原点に戻ることが必要だ。どこまで戻るかというと、「なぜ生きているのか」「人生で何がやりたいのか」まで戻ると、最も原点のような気がする。
ドクターで言えば、周りの人(特に子どもたち)を元気にしたい、自分の陽気で出会う人を元気にしたいというのがある。そうは思って生きていても、いろんなしがらみで誤解されたり、真意が上手く伝わらないこともある。そういう時は残念で、落ち込むが、また切り替えて(それこそ原点に戻って)、生かされていることのへの感謝と貢献の気持ちを持って、自分に出来ること、しなければならないことを精一杯やっていきたい。
このブログも何で書いているのかと原点に戻れば、自分の気持ちの整理と読んでくださる方の少しでも力になれればと思ってやっている。こんなブログを読んでくださる方は、ドクターと同じような考えの人、同じような悩みを持っている方が多いと思うので、そういう方のために続けたいと思っている。
そういう思いで続けてはいるが、もう「校長ブログ」から数えれば、13年以上になるか。ドクター生き方の原点にもなりつつあり、自他の励ましのためと思っているが、中には言葉足らずで読む人に嫌な気持ちを与えてしまったこともあるかもしれない。そういうことがあれば、謝りたいが、ドクターの原点はここで書いた通り、周りの人、読んでくださる人を元気になってもらいたいという気持ちからで、ここに嘘偽りはありません。でも、出来るだけ誤解を生まないように配慮しながら、言葉には気を付けてやって行きたいと思いますので、お気づきの点があればご遠慮なくお申し出ください。(「これ、辞めたら」という申し出はちょっと困るんですけど、少なくとも数人の方は待ってくださっているはずですから)。万人から肯定される人生、目指したいけどなかなか難しいですね。
☆いつもの裏山の緑です。今日もいろんな心配事がありますけど、何とか少しでも良い方向がでるように精一杯やって行きたいと思います。皆様も原点に戻られて良い一日を。

Dr.2307 励まし(6月26日)
厳しい状況が続いている。「がんばって行きましょう」と委員の皆さんから励まされたりするほどだから、傍から見ても落ち込んでいるように見えるようだ。
睡眠が十分でなかったり、声もおかしいようで、「のどの調子がおかしいみたい」と奥さんに言ったら、「そんなのしゃべっていたら治るわ」と言われた。確かに、昨日も大きな声を出していたら、ましになった。
励ましにもいろいろあって、直接「がんばりましょう」も良いけど、奥さんのように落ち込みに同調しないでポンポン言うというのも、「気にしていたら余計落ち込むよ」という真意がつたわってきて、結構いい励ましになる。
そんなこんなで皆さんに励ましてもらいながら、何とか持ちこたえているが、ギリギリのところはある。自分がしたことというより、いろんな事態の最終的な責任を取らなければならないと言うことで、なかなか重責を感じる。
ともかく、歩みを止めるわけにはいかないので、自分に今できる最善をやりながら、いけるところまでやっていくしかない。皆さんもいろいろ大変でしょうけど、歩みを止めず、出来ることを精一杯でもボチボチの精神も忘れず、何とか今日を乗り越えましょう。
☆6年前に撮った写真。ここがどこなのか、何を撮りたかったのか定かではありません。
