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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1855 最強「まあいいか」(1月31日)

 嫌なことや、やってしまったこと「プチ失敗」等をいつまでも引きずるのは、気持ち的に良くない。そんな時、前に進むというのか次に行くきっかけになるのが、この「まあいいか」。この言葉で、それまでのマイナスな気持ちに一区切りつけて、次の動作、次の思考へと進んで行ける。

 若い頃の成長期には、妥協的ニュアンスの強い「まあいいか」の多用はお勧めでないかもしれないが、日々を機嫌よく生きるのが大きな価値を持つ60代からは(勝手に年代決めてますけど)、この「まあいいか」は最強と言うのか、大きな効果があると思います。

 できるだけ楽しいことを考えていく、物事のプラスの面を意識的に見ることが大事と言っても、人間どうしてもマイナス面や最悪想定をしてしまう(人類の進化や遺伝子的に考えて、人間にはそういう傾向があるというのがドクター説)。

 そんな時、意識的にマイナス思考に区切りをつける「まあいいか」はいい言葉だと思う。他にも「とりあえず」や「しゃあない(仕方がない)」「なるようになる(なるようにしかならない)」なども、落ち込んでいないで次の行動や思考に移る時に有意義だと思ってますけど、若者向きではないか。

 60代以降でも人によって、元気が出る言葉は違うと思うので、自分に合った元気言葉を見つけて落ち込みかけた時に使って行きましょう。ドクターの場合は先ほどの言葉ですけど、他にももっと別の言葉や行動療法的なの(考え込む時間よりも、身体を動かす時間を多くする等)もあります。またその都度紹介していきたいと思いますのでよろしくお願いします。ドクター紹介言葉や療法が気に入られなかったらどうしようと心配癖が出てきたら、こんな時こそ「まあいいか」です。

 ☆ちょっと前に撮った家の庭の梅。寒い中にも芽を付けて春の準備が見られます。この写真、以前にも載せました?(重なったとしても)「まあいいか」。「まあいいか」ちと使いすぎですね。

Dr.1854 良いことを見つける(1月30日)

 昨日は中途半端なブログで失礼しました。今日は今のところ順調ですが、なんせ機械オンチのため、少しいつもと違うとなかなか立ち直りに時間が掛ります。今日はちゃんと更新・アップできますように。

 アップ出来たらできたで、今度はブログの中身が問題になってきますが(汗)。昨日言いたかったのは、思いがけない人から「ブログ見てます」と言われて嬉しかった、元気が出たということを伝えたかったのでした。

 今日もその延長で、日々送っていると、厄介なことや心まいることもいろいろありますが、少しは良いこともあるので、そこを意識的に見て元気出して行きましょうという話です。

 ドクターで言うと、これまで良かったことは、・昨日「内田良」と言うオーラのある有名学者に会えたこと ・いつものように仕事帰りにトレーニングして教え子に会えたこと ・美味しく夕食を頂き即寝できた ・今朝も気持ちよくランニング(ウォーキング)できた ・朝食も美味しく頂き、今のところ朝ブログも順調に推移していること等でしょうか。

 そんな浮ついたことではなく、最悪に備えてしっかりと生きろという声も聞こえて来そうですけど、それも分かりますけど、とりあえず(このフレーズも好きです)先ずは身の回りの良きこと、元気出ることを見て、力貯めて機嫌よく一日を過ごしたいと思います。こんなテキトーでいいんでしょうか。いいんです、「テキトー」は「適当」(適切)に通じています。

 ☆昨日の良かったことの一つ、有名人「内田良」さんの講演聞けました。今日も皆さん、良いこと意識的に見て(当たり前の中に隠れてます)、ボチボチ元気に参りましょう。

Dr.1853 思わぬ読者(1月29日)

 「冒険のやつ、見てますよ」思わぬ方から声をかけられた。このブログ定年後に始めた時は確か『ドクターの絶こうちょう日記』か何かだったと思うが、不確かです。一番最近のタイトルでさへ『丹後まさとしのお気楽な毎日』か何かだと思いますが不確かです。調べればわかると思いますが、テキトーをモットーとしているドクターとしては、タイトル名なんかにはこだわりません(こんなん力説せんでもええと思いますけど)。

 ともかく予期せぬ方からお声をおかけいただき、元気を頂いたのは確かです。こんなことが時々あり映えしない毎日ですけど、これだから面白いと思えます。

 自分にとっては、このブログの反応や、「

 今日はパソコン状況調子悪いのでこの辺で終わります。すんません、適当で。適当を大事にボツボツ行きましょう。あれつ、パソコンの調子もどったかしらん。今度は時間切れです。またまたすんません。

Dr.1852 話さない1日(1月28日)

 昨日も行事には参加したが、特にあいさつの機会もなく(別に挨拶ごっつうやりたい訳ではありませんけど)、奥様が留守で、一人で夕食買って帰って一杯飲んで即寝したのでほとんど誰とも話をしない一日だった。

 午前の学習発表会の時に校長先生と少し話をし、その後図書館で前に同じ職場にいた人と言葉を交わしたぐらいで(そりゃ店員さんに「支払いのカードはどこに入れるんですか」と聞くぐらいはしましたけど)、ほとんど会話らしい会話はなかった。

 午後は講演会やトレーニングや近所の温泉には行ったので、人には会いましたけど、会話をしない日は寂しいと言えば寂しかった。だが考えて見ると、仕事をしないで家にいるとこんな日々が続くのだろう。孤独を寂しいと思うか自由だと思うかは人によって違う。

 一人の時間、会話無しの時間をどう豊かに生きるのか、どう考えれば良いか、現在いろんな本で考察中です。まだまだこれと言った答えは見つかってませんし、もしかしたら、この探索が生きがいかもしれませんけど、「悟り」目指して頑張り過ぎずにぼちぼちがんばりますわ。

 ☆いい講演会でしたけど、一参加者ですから、特に誰とも話しませんでした。孤独な一日、続いたらどうなるんやろ。

Dr.1851 忙か閑か(1月27日)

 ここ何週間も軽トラを動かしていないことに気が付いた。ということは、農作業なり村での行動をしていないということだ。寒い時期なので、農作業は閑散期だが、軽トラを動かす暇もなく家を出ているというところが、今回の問題意識だ。

 家を出ているということは、平日休日ともに行くところがある、用がある、するべきことがあるということになる。前から気付いていることに、自分は閑だと碌なことを考えないので、「小人閑居して不善をなす」の言葉通り、閑を避けるのが良い。

 そう思って、平日休日ともにやることがある今の状態をある面では喜んでいるのだが、こう何週間も続くと、さすがに閑も欲しいなと思ってしまう。だからと言って、これが閑ばかりだときっと参ってしまうのは目に見えている。人間無い物ねだりと言うのか、どこまでも欲が深い。

 暇を持て余すのは分かっているので、現状のやるべきことが一杯ある状態は、ドクターにとっては望ましいはずだ。そのことが分かっていながら、ちょっと忙しすぎると、時にはひまが欲しい等と愚痴を言う。なんと厚顔な事か。

 ここまで分かっているなら、愚痴など言わずに、やるべきことがある状態に感謝して、粛々と行くべき所へ行って行って、やるべきことをやったらいい。そうですよね。ここでこの状態を再確認して、バタバタ人生、バタバタ週末、今日も頑張りたいと思います(ここでの頑張るは、頑張り過ぎずに楽しんでできる範囲で自分らしくという意味ですけど)。

 ☆バタバタしてる間に見つけた雪の被った山。きれいです。今日もボチボチ、バタバタやって、一杯までたどり着きたいと思います。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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