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ドクターのお気楽な毎日ブログ

Dr.306 亡くなったかと思いました(3月31日)

年度末の慌ただしい時に不吉なタイトルのブログですみません。でも内容はとっても暖かいものです、少なくとも私には。「亡くなったかと思いました」というのは、昨日久しぶりにトレーニングに行ったら、ジムで時々一緒になる篠山S高校時代の教え子たち(ちなみにこやつらは筋トレに凝ってムキムキ)が、「毎日のように来ている(丹後)先生の顔が長い間見えないと思っていた時に、市内の葬儀場の案内板に『丹後家御葬儀』の掲示があったので、もしかしたら丹後が亡くなったのではないかと心配した」という話だ。ドクターが亡くなっていなかったのを知って喜んだのか、長く来れなかった理由が免停だったと知って情けをかけたくなったのか、本当に亡くなる時の弔辞のつもりか「先生がいたからS高校へ行きました」「高校時代は先生のお陰で楽しかった」「先生は生徒にも親にも地元の人にも、今自分がお世話になっている会社の工場長にも人気があります」みたいに持ち上げ、でも「同僚の先生方には人気がなかったのは何故ですか」と聞くから、「それは多分、何回も校則違反する生徒でも辞めさせたらあかんみたいなこと言うからちゃうか」と応えたりした。何にしても地元で勤められたこと、地元に住んで成長した教え子に会えること、時々会う教え子や保護者の方が当時を懐かしんでくださることは定年後教職者の冥利に尽きる。寿命が毎回1年ぐらい伸びる感じだ(周りの人には迷惑かもしれないが)。この度の異動で地元が近くなった教職員の皆様、これは絶好のチャンスです。ご存分にご活躍を。
 ☆「亡くなったかと思いました」と心配してくれた教え子に年齢の割に筋肉がついてると褒められ気を良くするドクター。特に褒められた足(こんなもの見たくないか)。

 ☆当番の地元公民館の掃除をしていて見つけた竣工記念の写真。ちなみに最上段右から二人目が27~8年前のドクターで、最下段右端がドクターの父。この中には父も含めて本当にお亡くなりになった方も何人かおられます。故人のご冥福と地元ご転勤の皆様のご活躍をお祈り申し上げます。

Dr.305 旅立ちの時(3月30日)

1泊2日で自家用車で引っ越し荷物を運んで関東まで、この春から大学生生活を始める息子の新居準備に行ってきた。細々とした日常品を買いそろえ、すぐに生活できるように配置するのは大仕事だった。大家さんにも初めてお目にかかりご挨拶をした。ドクターの母親の年齢でとても親切な方で安心する。下宿も築50年はたっているらしいが、前の方(息子と同じ大学の先輩)がきれいに掃除され、冷蔵庫や洗濯機も残しておいてくださるご配慮もいただき、何とかこれから住む最低限の準備はできた。後は息子の心の問題だ。なんせ初めての1人暮らしだから寂しくって仕方ないらしい。食事準備も掃除も洗濯も本格的に自分でやるのは初めてだ。慣れない一人暮らしに慣れない遠い地での生活、寂しさや緊張を感じないわけがない。親としても初めての子どもの旅立ちで寂しく心配でならないが、いつまでも手元に置いておくわけにはいかない。いつまでも親離れしなければ、それはそれで心配だ。何よりも自分が行きたかった大学で自分が学びたかったことが学べるのだから、こんな幸運なことはない。親としてもこれを応援しないわけにはいかない。このような気持ちはどこの親御さんも同じだろう。寂しいような嬉しいような。古巣を離れて新天地へ、どんな旅立ちの時にも付き物の気持ちかもしれない。自分の息子はもちろん、自分自身も含めてすべての旅立ちの時を迎える皆さんに、ボンボヤージュ(良い旅立ちを)。すぐにちゃっかり自分のことも潜り込ませるのはドクターの得意技だが、このセコイ根性にもボンボヤージュと行きたいが。
 ☆ついに我が家から旅立ちの時を迎えて、新大学生生活に入る息子がお世話になるアパート。

 ☆引っ越し準備の朝に届いた先日のイベントの記事。今回のブログは旅立ちの時を迎える皆さんにエールを送るのが主題のはずが、すぐに自分の話題を持ち出したがるセコイ自分中心主義から旅たちの時を迎えがたいドクター。

Dr.304 ホーホケキョ(3月28日)

近所を走っていると(世間の人が言うには歩いていると)、春の陽光とともにここかしこからホーホケキョとウグイスの鳴き声が聞こえる。中にはまだ下手なのもいて余計に新たな旅立ちの春を感じる。我が家も息子がこの春から大学生になり関東で一人暮らしをする。春は新たな世界の訪れと同時に古い世界(これまでの生活)からの旅立ちの時でもある。嬉しいような寂しいような。でも世の中いくら気に入ってもずっと同じ場所にとどまっていることはできない。良いかどうかは別にしてどんどん時は進んでいく。寂しい面もあるがこの現実に目を向け、新たなにやってくる世界で自分に出来ることを探すしかない。ドクター家だけでなくどこの家庭でも新たな4月が始まり、慣れない世界に、下手なウグイス同様練習を始めなければならない。そのうち奇麗なホーホケキョが奏でられるようになるだろう。ドクター自身の生活もどうなるか定かではないが、やれることを自分の出来る範囲でやって行こうと思う。元来の音痴故、上手なホーホケキョは歌えないかもしれないが。心を込めた歌を歌いたい。
 ☆めったに行かない上品なお店で、今まで食べたり飲んだりしたことのない岩茶やお菓子をいただきながら息子との別れを惜しんだ後、陽光の中をホーホケキョを聞きながらいつものように走る。いつもの春と同じようで同じではない春。もの悲しい。

Dr.303 誰にでもある苦難(3月26日)

トレーニングセンターでランニングマシンで走っていると(外から見れば歩いていると)、隣で筋トレをしていた20代30代の若者が「俺はしばらくトレーニングに来られない」と先輩が言い、後輩がおずおずと理由を尋ねると、「子供が大きな手術をすることになり、妻が付き添いで病院に泊まり込むので、その間上の子の世話をしなければならないから」と答えていた。容姿や筋肉にも恵まれ何不自由なく若さを楽しんでいるように見えた先輩にも、子どもの病気という大きな苦難を抱えていたのだ。このようにどんなに幸せそうに見える人にも他人からは想像できない苦難を抱えているということはよくあることだ。この先輩とは比べ物にならないがドクターにも、①家庭で誰も話しかけてくれない、②冒険指導依頼があまり来ない、③菓子パンがやめられない、④走るスピードがどんどん遅くなり今では歩いている人にも抜かれるぐらいになった、⑤若作りにも無理が出て来た、⑥物忘れが激しくなった(時々今日が何日かもわからずブログ日付を間違うことが多くなった)、⑦絶えずジージーという音が聞こえる、⑧テキトーにしか生きられない等数だけはいくらでもあるが、どれも大したことないと言えばそうかもしれない。ただ苦難の大きさ合戦をしても詮無いことだし、第一苦難の大きさは客観的には図れない。「人はその人に超えられない試練は与えられない」みたいなことを誰かが言っていたような気がする。だとすれば、大きな苦難を戦っている方は、それだけ大きな力を授かっているということかもしれない。大きな力など要らないから試練も無しか小さいのでお願いしますと言いたい気持ちもわかるが、もはやこの世に生まれてきている以上、自分の力にあった試練と格闘するしかない。すべてのみなさんが各自に与えられた試練との戦いに勝つか折り合いを付けられることを祈っております。
 ☆ドクターのこの日の試練は「精米前の米から小石を選び出す」というもので、とても苦難とは言えずすみません。もしかしたらこの天気の良い日に一人小石選びをする孤独の方がより大きな試練かもしれない。

Dr.302 知らぬが仏(3月25日)

一陽来復、陽光も春めいてきて多くの方が4月から新年度、新天地での活動を始めるウキウキした時期になってきた。ドクター定年後生活者の生活は大きくは変わりようがない。春になって変わるものに、うちの池の山から引いている水が出なくなるという、皆様方にはどうでもよい現象がある。どなたか知っておられれば教えていただきたいのだが、うちの水は数百メートルはあるホースを川に沿って上流まで伸ばし、その落差で池に注水しているが、毎年冬の間は順調に水が出てくるが、春になると出なくなることが月に数回ぐらいあり、その度にエンジンポンプで水を池からホースに送り込み、その水が文字通り誘い水になってまたしばらく流れるという状態を繰り返す。何故冬場はホースが詰まらず水が送られ続けるのか。謎解きはひとまず置いて、今回はしばらく行ってなかった上流のポンプの取水口を点検に行った。川に沿った山道を登ってポンプの先にたどり着いたが、そこにはあるはずのコンクリート製のブロック枡が無くなっていた。たまたまそこから20mほど川下の岩に引っかかっていた枡を見つけ、エッチらほっちらと川の中を引きずって元の位置にもどしたが、もう長い間ブロック枡は流されたままホース先が運よく水中に入って水を送ってきていたようだ。そんなこととは知らずこれまでは今年は長い間水が出続けて調子よいなと喜んでいたのだが、しばらくぶりに除いた川は去年の増水で川底がえぐれ川べりの木々が流され、以前とはずいぶん違った様相になっていた。うちの古い方のホースも川床に横たわり、このまま放っておいたら絡まったホースが川を痛めるのではないかと心配になってきた。かと言って何百メートルもある結構重いホースは簡単には取り除けない。でもいつかは何とかしなければならない。その算段に心が乱れて、せっかく詰まりが直って再び順調に池にそそぐホースの水を心静かに眺められなくなった。ことほど左様に世の中には「知らぬが仏」知らない方が良かったのにということがいくつもありそうだ。これからは知らないでも済むことは知らずに済ませよう。何でもかんでも知りたがるのも考え物だ。
 ☆エンジンポンプでホースに水を注入する「知らぬが仏」を悟ったドクターと水が止まろうと誰かが直そうとそんなことは知らぬが仏で泳ぎを楽しむ金魚たち。これからは金魚が師匠だ。

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