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ドクターのお気楽な毎日ブログ

Dr.286 退屈(3月6日)

定年後(実は定年後だけではないが)生活は時間的なゆとりはあるが退屈が大敵だとは再々書いてきたし、今のところ最大の関心事だ。考えて見れば「時間に余裕がある」を肯定的に見れば「ゆとり」と言い、否定的に見れば「退屈」という。ここでも物事をどう見るか(解釈するか)がポイントなることが分かる。それはともかく今回はこの退屈に抗するのが「子供」(子育て)だという説を紹介したい。勿論、子供は自分の退屈凌ぎに育てるものではないが、確かに子育ては大仕事で子育て中は退屈など感じている暇はないというは一面の真実を言い当てている。昔の日本社会のように子供の数が多く平均寿命が短かった時代には、最後の子育てが終われば間もなく人生が終わっていたわけで、子育て後の長い退屈に悩むことはなかったということだ。子育て後・定年後の期間が長い現代は、その分退屈を紛らわすものがなければ退屈に悩むことになる。この説を知るまでは子育てが退屈防止策にもなっているという発想はなかったが、子育てに絡んで時間がとられることを退屈防止に役立っていると考えれば、より一層子育てのやりがいが増すような気もする。やりがい・生きがいにもなり退屈防止策にもなる子育てにより一層関わって行こうと思わされた。
 ☆子育てには嬉しさもあり、ハラハラドキドキの心配や悩みもあり、確かに退屈を感じている暇はなくいいのだが、子供も成長していくのでいつまでも子育てができるわけではない。子育て以外の退屈防止策を持っておく必要がある。ドクターの子育て以外退屈防止策の一つが百姓仕事だが、これも同じ作業が続くと退屈してくる。

 ☆もう一つの退屈防止策が「景色を見ながらのスローランニング」だが、この前見た梅の蕾が昨今の陽気で一段と花開いた。この梅の花の成長から子供の成長が連想され、おちおちゆっくりジョギングしている場合ではない気になってきた。

Dr.285 たら れば定食(3月5日)

レバニラ定食ならず「たられば定食」(もしあの時~してたら、もしあの時~さへあれば、と過去を後悔しありもしない幻の生活を思い描く空想癖をレバニラ定食のように誰でも一度や二度は食べてみたくなるという意味でドクターがこう名付けた)は誰でも一度は食べたことがあると思うが、現実には人生は一度きりでやり直しが効かない。現実の人生がうまく行っていなければ余計にちょっとした差であったかもしれないもう一つの人生を夢想したくなる気持ちは分かるが、逆のことも言える。先日冷たい雨が降る平日を特に特別な用事もなく過ごす日があったが、現役時代の忙しい毎日が続く日々には1日でも良いから何も予定の無いゆったりとした時間を過ごしたいと思ったものだが、定年後いざ実際に何もすることのない日々が続くと、「頼むから何か用事・しなければならないことをくれ」という気持ちになる。人間贅沢なもので、今の自分の恵まれているところは見えにくく、無いものは実態以上によく見えるものらしい。冒険教育に時間が取れない現役校長時代は冒険教育三昧の日々が夢だったが、実際にこの一年そこそこ指導をやってみると「冒険指導ももういいか」などと勝手なことを思ったりする。
 ☆雨の日には農作業も出来ず何もすることがないから、時間つぶしと腹ごなしに雨の中を傘をさして路べの梅を見ながら走ったが、こんな時には「もっと仕事をくれ」「やることが一杯あった方が良い。週5日か勤務の再任用の方が良かったか」と自由時間がある今の境遇を後悔したりするが、忙しい毎日を送る現役の方から見ると「何を贅沢なことを言っているのか。自分が望んだ結果だろ」とおしかりを受けそうだ。人間勝手なもので「やること・やらなければいけないこと・仕事」が毎日続く日々を手に入れると、今度は毎日自由時間がいっぱいある人生を夢見たりする。「たら れば定食」困ったものだ。

Dr.284 今度は支える側(3月4日)

篠山ABCマラソンのボランティアをやった。若いころは篠山を含めてあちらこちらのマラソン大会に出させてもらっていた。フルマラソンなりハーフマラソンなり長い距離を走る選手はもちろん大変だが、一つの大会は実に多くのスタッフ・ボランティアによって支えられていることを忘れてはならない。選手で出ている時にはそんなこと考えもしなかったが、裏方ボランティアをやってみると、あの頃いろんな方にお世話になっていたことが分かる。これはもしかしたら他のことでも言えるのではないかと、遅ればせながら気が付いた。HAPの冒険指導でも、嬉野台生涯教育センターのスタッフの方が受付から、利用者との連絡、施設の維持管理など裏方をやってくださっているので出来ている。式辞でどんなギャグを入れようかとそんなことばかり考えていた卒業式でも、案内状の送付から式場設営、当日の受付・警備などいろんな人が裏で動いていただいているので成り立っていたのだ。退職で表の舞台を降りたドクターとしては今度は裏で表の人を支える側に入ることが役割かもしれない。

 ☆現役引退後は「今度は支える側か」と考えながら、篠山マラソン当時ドクターがやったのはマイクでランナーの番号を呼んでスペシャルドリンクの準備をする人に知らせる役だった。最初は真面目に番号を連呼していたが、そのうち調子に乗り「本日は篠山マラソンにお越しいただきありがとうございます」「ここまでよく頑張られましたが、まだ半分とちょっとあります。是非諦めないで最後まで完走を目指してください」「いや正確には完走でなくても自分のベストを尽くしていただければいいと思います」「完走は諸条件が揃ったときにできることで、自分の力だけで完走できたと思ってはいけません」などといつもと同じく、自分の考えを笑いを取りながらしゃべり出してしまった。ドクターにとって完全な裏方は難しいのかもしれない。いずれにしてもマイク係が言うようなことではなかった。

 ☆マイクを持つとつい調子に乗り、自分が裏方であることを忘れて目立ちたがるドクター。困ったものだ。

Dr.283 自分らしさが出る(3月3日)

HAPの講師登録研修会に嬉野台生涯教育センターに行ってきた。この研修を受けないと次年度のHAP指導ができないという厳しいものだ。研修参加者の中にはこれまで何度も冒険教育を指導してきた指導者達も多く、安全面や指導者(ファシリテーター)のあり方について厳しい意見が出された。咄嗟に頼まれてやったドクターのデモンストレーションやファシリテーション、参加の仕方についても注意が相次いだ。「トラストリーンで相手を受け止める時に下がってはいけない」「トラストフォールやクライミングタワーの時の指導者の立ち位置がおかしい」「一生懸命やりすぎだ(『だるまさんが転んだ』等)」「若作りだ」「何故自転車で来ているのか」「腰は直ったのか」「はしゃぎすぎ」「うるさい」などだ。いずれも的を得ているが、ドクターとしては冒険教育のエッセンスは(命に係わる安全は確保した上で)楽しさ・面白さにあり、それには指導者・(参加者の時は参加者として)自身も楽しくなくっちゃと思っている。思っているというよりは自然にそうなる。地が出るというのか、自分らしさが出てしまうのだ。これは研修会だけでなく、冒険指導をしている時も、さらに言えば日常のあらゆる場面においてもだ。当然と言えば当然だが、自分らしさが土台にある以上、何かを改善しようと思えば「自分らしさ」を改めるしかない。ただ「自分らしさ」には誰でもプラスとマイナス両面があり、改善というとすぐマイナスを直そうとするが、ドクターのこれまでの教育経験からはマイナスを直すよりプラスを伸ばす方が良い。突き抜けたプラスはマイナスを補うからだ。プラスに引き上げられて、マイナスもある程度カバーされると言った方が良いかもしれないし、マイナスの改善は気が重いと言った方が正直かもしれない。ともかくこれからも「Fun(楽しさ)」を中心に気張らず自然体で冒険指導に日常生活に取り組んでいきたい。

 ☆久しぶりに参加した冒険の世界、仲間との交流は楽しかったし、いろいろ役に立つ知見もいただけた。スタッフ参加者の皆さんありがとうございました。

Dr.282 次のステージへ(3月1日)

昨年3月退職した高校の卒業式へ行ってきた。卒業生は彼ら彼女らが1年生の時と2年生の時の2年間濃いいつきあいをした連中だ。1年間会ってないので顔つきが変わっていた(全く変わっていないものもいたが)が、卒業生呼名中にはいろんな思い出がよみがえって熱いものがこみ上げてきた。「校長と帰ろう」で生徒の家まで押し掛けた思い出、留年が心配される生徒に担当の先生の機嫌を取って何とか進級しろとはっぱをかけた思い出、試合を応援に行って『校長が目立ち過ぎないようにしてください』と引率顧問から注意された思い出、オーストラリア短期留学を引率して生徒以上に楽しんだ思い出、生徒達と廊下や教室や校長室などでワイワイガヤガヤいろんな話をした思い出、どれも校長としては品のないものばかりだが、きれいに着飾った思い出よりも、そんなドタバタの熱い思い出が懐かしい。式では来賓なので式辞も舞もしなかったが、来賓紹介の時に「西陵の思い出を胸に次のステージで羽ばたいてください」というようなことをしどろもどろになりながら怒鳴って失笑を得た(どんな時でも笑いを取ろうという根性はまだ残っていた)。まだ次のステージが決まっていない者もいるようだが、どんなステージにしろ4月には次のステージがやってくる。狙い通りのステージだけが良いのではない。いろんなご縁や流れで自分が立つことになったステージでがんばってほしい。一番の願いはそのステージを楽しんでほしい。どんなステージにも楽しみの要素はあるはずだ。それを見つけてほしい。次にまたステージが変わっても(どこに置かれても)そこで楽しみを見つける技量を身に着けてほしい。高校生活と言うステージを上機嫌で送った西陵生たちだからきっとその素質は十分に持っているはずだ。自信を持って次のステージへ進んで行け。
 ☆卒業式を終え次のステージへ進んでいく生徒達。多くの生徒たちが次のステージの報告に来てくれたが、前校長ドクターの次のステージが心配される。でも生徒たちに言った手前自分もどんなステージに立ってもそのステージで面白く踊って笑いをとりたい。

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