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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.291 噂話(3月12日)

ドクターの最近の第一関心事は「定年後(週5日勤務を終えた後)の生き方をどうすればいいのか」ということだ。自分を実験台にどのようなことやどのような考え方が定年後生活を充実させるかについて模索し、そこでの発見をこのブログやおしゃべり時などに発信している。この機会(といってもブログネタがなくて時間があるということだが)に問題点を整理すると、一般的には定年後の問題点は①健康、②お金、③孤独などと言われる。ドクターの場合、①については耳鳴り、入れ歯(前歯6本)、高血糖などはあるが今のところ日常生活には問題なく、②については沢山はないが何とか暮らしていける程度はあり、③については少し慣れてきたのと地域の用があってそんなに毎日悩まなくてよくなっている等、ありがたいことに何とかクリアしつつある。人間贅沢なもので最低ラインがクリアできれば次のライン(問題点)が気になってくる。それがこのテーマの場合は④退屈だ。退屈で悩むなど何を贅沢なことを言っているのだというお叱りの声は重々分かるが、当人にとっては結構真面目な問題だ。この退屈対策としても身を削っていくつかの知見を発信してきた。(イ)やる流れ(羽目)になったこと何でも引き受ける。この中には仕事も地域の役(まちづくり協議会副会長など)も頼まれた役(PTA会長、大河ドラマ推進協議会・地元就職支援委員会・日本遺産等推進委員会などの委員長、市長後援会支部長など)も含まれている。これらがやりがいや面白い場合はそれに越したことはないが、そんなことばかり言ってられない場合もあるし、やってみないと面白いかどうかも分からないから、ともかく基本は引き受けることだ。(ロ)子ども。子育ての主目的が暇つぶし等と言うつもりはないが、子育てでドタバタしている間は退屈に悩んでいるどころでないことは確かで、子どもの存在が退屈防止につながっているという一面はあるように思う。今回これらに、(ハ)噂話を付け加えたい。おしゃべりやSNSで他人の噂話をするなど何も生産的でないような気もするが、それで時間がつぶれ、退屈で悶々しているよりはマシである。そうはいっても他人の噂話など嫌だという人もあろうからそんな人にはこれ以外の方法を勧めるが、退屈対策として噂話は有効であるということは知っといて損はない。
 定年後の生活には他にもまだまだテーマはあるだろうが、それらについてはおいおいその時が来れば対策を考えていきたい。何やかやとこれまで1時間くらい書いてきたが、結構閑がつぶれて良かった。ドクターの閑潰しにお付き合いさせてすみません。
 ☆ブログ用の写真撮影(庭の枯れかかった梅の木に咲いた花)や頼まれた挨拶(卒業式・入学式などの祝辞等)やあいさつ文(PTA広報誌あいさつ)書き等も退屈対策には有効だ。かくしてドクターの退屈対策レパートリーは広がりつつある。


Dr.290 閑忙自在(3月11日)

「閑忙自在」こんな言葉があるかどうかは知らないが、これまでの閑な生活が一変この土日は会議やら飲み会やら催しがいくつも重なって超忙しかった。その最後の会議のテーマが「スローライフ」だった。そしてスローライフ生活のキーワードが「緩急自在」だという。私の解釈では、スローライフが良いとは言っても何でもかんでもいつでもどこでもスローではスローに飽きてしまう。ここは一つ「スロー」な生活の良さを自覚しながらもその時々の情勢に応じて「ファースト」な状況も楽しむ。スローを大事にしながらもそれにこだわらない柔軟な生き方が「緩急自在」だと思う。そんなことを考えながら今日はまた何も特に決まったすることがない閑な時間を過ごしている。行事のある時は忙しく、無いときは閑を楽しむ。適度に「忙」と「閑」が分散されればよいがそう都合よくも行かないで、「忙」が続くことも、「閑」が続くこともあるが、行事をいつにするかなどは自分の都合だけでも決められず、やはりこれはいろんな関係、いろんな流れでやってくる。閑忙にこだわらず柔軟に消化しながらバタバタと終いまで行けたら退屈しない人生だと言える。
 ☆忙しく重なった会議も参加者の多寡はいろいろだったが、そんなことには関係なくどの会議も学ぶことが多かった。

 ☆私的な時間も弧族(移動のJR中)と賑やか(高校剣道部同窓会)いろいろあっておもしろい。ドクターとしてはやはり流れに従って緩急自在に生きて行きたい。

Dr.289 楽しみ(3月9日)

面白かった仕事を辞めた後は何が楽しみ・生きがいになるだろうか。いろんな人がいろんな言い方で言っているが、その一つには人から頑張ってるねと認められることがある。昨日は娘の中学校の卒業式でPTA会長として祝辞を述べるという久しぶりの表舞台だ。もちろん卒業式の主役は卒業生だが、最近裏方が多かったドクターとしては久しぶりに人前でスピーチをする機会をいただき、面白く感動的なスピーチをして子どもたちや保護者等からさすがと言われたいとがんばった。もちろん内容も自分が一番言いたいことを分かりやすく伝えようとがんばった。しかし言い訳するが6番目のスピーチであり、子どもたちの表情を見ると明らかに退屈感が見えた、ここで現役時代なら咄嗟に別のパーフォーマンスに行くところだが、PTA役員としてはそんな自由もないし期待されている訳ではない。終わってから控室に戻ると知り合いの市会議員から「(校長式辞は慣れられているかもしれないけど)PTA祝辞は慣れられていないんですね」と暗にいま一つであったことを告げられた。妻からはいつものように「今日のどこかのPTA会長祝辞は長くて校長式辞みたいやった」と皮肉られた。他に楽しみは無いものかとその後の流れに従って過ごしていると、JRのある駅で前の学校の卒業生に出会って彼女が前校長を懐かしんでくれ楽しいひと時を過ごせた。そういえばこんばんは高校剣道部の同窓会があり、楽しみだ。このように退職後、人から認められるスピーチも出来なくなった者には過去の楽しかった思い出が楽しみになる。

 ☆現役退職後の楽しみは過去の思い出とその人たちに出会うこと。これだけでは寂しいような気もするがまた何かみつかるかもしれないと期待したい。

Dr.288 適当な剪定(3月8日)

母親にせかされて雨の隙間を縫って梅の剪定をやった。ネットで調べたら12月~1月が適期だと書いてあったが、3月上旬もまあ適期のうちに入るかと適当に考えて実施した。剪定の仕方も見たが梅は樹勢が強いので少々切り過ぎても大丈夫というコメントだけに反応して適当に切った。すべて適当なので、この剪定が良かったのか悪かったのかは今年の梅の取れ具合を見ないと分からない。もっと言えば梅は実がつく枝と付かない枝が年ごとに変わるらしいので、今回の成否は数年先でないと分からない。万事がこんな感じで適当に成り行きで人生を歩んでいて結構面白い人生を歩ませてもらっているので、このような生き方をこのブログなどで発信しているが、今回このブログ愛読者のA高校U谷君から卒業と今後の進路の嬉しい報告をいただいた。第一次希望とは違う進路になったが、それはそれで面白そうだと書いてあった。完全にドクター流を理解している。決まったところが自分が行くべきところだとも言っていて、私も驚くほどドクター流に染まっている。彼の今後の幸せな人生を祈らずにはいられないが、敢えてアドバイスするとすれば「ドクター流生き方も適当に解釈して自分の生き方を」だが、彼のことだからこんなことはとっくに理解しているか。
 ☆成り行きに任せて適当な時期に適当に梅を剪定するドクター。適当でも結構生きていけるが若い人に推奨するのはどうかと心配にもなるが「まあいいか」。まあこんな感じです。お気楽にU谷君。報告ありがとう。

Dr.287 祝辞(3月7日)

娘の中学校卒業式でPTA代表として述べる祝辞の内容を考えた。これまで卒業式で校長として式辞を述べたり「大笑い」の舞を舞ったりしたことはあったが、保護者代表として祝辞を述べるのは初めてだ(多分)。保護者として、教職員の皆様や地域や行政で子どもたちを支援してくださっている皆様、これからお世話になる高校やこれまでお世話になった小学校の先生方などに感謝の言葉を述べるのが中心になる。それでも少しは巣立つ卒業生に人生の先輩として(中学校の先輩でもありますが)言うとしたらと考えて「夢のある人はそれに向かって、まだ自分の道を模索している人には焦らなくて良い」ということを言おうと考えた。特にこれまで長く学校にいて「夢が決まっていない生徒が多いこと」を知っているので、「焦らなくても自分の行く道は決まるべき時にいろんな流れで決まっていく。それまではとりあえず今やらなければならないことに精一杯取り組んで行こう」と言いたい。自分の人生を振り返っても、目先のことに夢中で打ち込んでいるうちに人生は進んでいったような気がする。何度か人生の岐路で決断はしてきたはずだが、どこが大きな岐路だったかは後からは分かるが、その時にはそんなに意識できない。例えば授業のマンネリに悩んで別の仕事がしたいと軽い気持ちで指導主事試験を受けたら通ってしまい、そこで冒険教育に出会ったり管理職につながったりした。そこでもいろんなご縁でたまたま校長になってとても面白かったが、初めから「自分は校長になって自分の理想とする教育を展開するんだ」みたいな夢があったわけではない。校長退職後の仕事は一部の方を除いて碌なものはないが、それがためにかえって自由に声がかかる仕事は手当たり次第に受けて自分では思ってもみなかった業務を体験させてもらっていて、これはこれで面白い。というか面白いと思わないとやっていけない。というほど悪くもない。ともかく人生の最初に夢なり計画なりがあってそれに向かって一本に進んできたわけではない。大方の人がそうではないだろうか。でもどんな人生でもそれなりに面白いことがあるのも事実じゃないでしょうか。だとすれば中学校卒業時点でそんなに気張らなくても良い。ぼちぼち行っても人生結構捨てたもんじゃない。やっぱりこのことを言いたい。
 ☆あれこれ考えても結局は「流れに従って自分の人生を楽しもう」みたいな文章になってしまった「PTA代表卒業式祝辞」。たたんで折るのが結構大変。

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