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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2094 欲望を捨てられるか(10月18日)

 著名な俳優の西田敏行さんが亡くなった。10歳も違わないと思うと、自分の人生も後そんなに長くないと思ってしまう。この裏には、いつまでも元気で長生きしたいという欲望と言うのか執着があるのかな。

 この欲望と執着が苦の元であると仏教などでは言われている。逆に言うと、この欲望と執着を無くすというのかコントロールできると、毎日を不安なく過ごせる。しかし、人間、欲望を無くすというのは簡単ではない。

 欲望そのままで、機嫌よく生きられればそれにこしたことないが、これがなかなか難しい。日々を不安なく上機嫌で生きられる、心の整え方を模索してきたドクターとしては、これにはやはり欲望・執着を何とかしなければと思っている。

 欲望・執着も一概に悪いものでもなく、これがあるから生きるエネルギーにつながるという見方も出来ないことはない。何事も度が過ぎるとよくないというのは、ここにも当てはまるように思うので、欲望や自分の思いにとらわれ過ぎず、日々を機嫌よく生きられる道を探っていきたい。

 ☆復活したカメラで撮った昨日の風景。欲望に振り回されず、機嫌よく過ごせましたけど、西田さんの訃報で、この先の不安が出てきて、まだまだ悟りの道は遠いって感じです。自分の限界にも目を向けながらも、それでも機嫌よく生きる道探していきます。それが今のところは、流れとご縁を信頼して、感謝と貢献で生きるです。いつもと同じですけど。

Dr.2093 何もしないで正解(10月17日)

 3~4日行方が分からなかったマイカメラが見つかった。先週の金曜日に使った記憶はあるものの、翌日のドクターブログ執筆時にカメラがないのに気付き、ブログ写真は過去のもので勘弁してもらって、多分職場にあるだろうと思っていたのが、連休明けに出勤したものの見つからず、焦りはしたもののそのままにしていた。

 それが昨日職場で使う車の中にあるのを見つけた。もう少し見つからない時間が続けば、新しいカメラを購入しなければならないかなと思っていたところの発見だった。相棒カメラが見つかって良かったし、慌てて何かをしないことの値打ちにも気づかせてもらったので、ちょっとこれについて書いてみます。

 即反応や即行動することも大事だということは分かっているが、場合によっては何もしないで成り行きを見るということもアリということだ。今回も慌てて、新品カメラ購入に動いていれば、新品と新品からまだそれほど使ってないカメラの二つ持ちになるところだった。

 即動くのも、しばらく様子をみるのもありということで、この事態はどっちで行くのか、その見極めが難しい所だが、ここは成り行き、流れに任せるとしたい。世の中には、どちらもありと言うことは多いので、結局は流れとご縁に任せるということになるとすれば、ドクターこの頃のいつもの主張「流れとご縁に任せて日々を送り、あれこれ悩まない」ということになる。

 いつもは早反応で動くことの方が多いドクターですけど、今回のカメラの行方不明事態では、なぜかもう少し様子を見ようということで即行動(カメラ購入)に移らなかった。このなぜか即行動にうつさせなかった何かが、大きな意思の表れ(今回の事態は小事案ですけど)の象徴のように思います。

 ☆カメラ発見後に即撮った昨夜の満月と駐車場のライト光。カメラが見つかろうと、5年前の写真であろうと、そんなに変わり映えしないですね。即反応も、しばらく何もしないで様子見反応でもそんなに変わらないのかも。

Dr.2092 いつ何時(10月16日)

 近所の同世代の人が、一人は入院し、一人は寝込んでいる。昨日会った同世代の人も腰が痛いといっていたし、ドクターも腰がいたい(前から腰は弱ってましたけど、医者へは行っていません)。

 近所の同世代の人は二人とも元気な人だった。また、どちらも回復してこられると思うけど、いつ何時誰にでも何かが起ころか分からない。しかし、片や88歳でヨーロッパまで旅行したという人の話も耳にした。

 いつ何時何が起こるか分からないのも事実だし、ずっと高齢期まで何も起こらないかもしれない。用心していても起こるし、用心していない人に何も起きないこともある。要するに、人生は分からない。とすれば、用心はするけれど、用心中心の生活ではなく、いま自分がやること、やる流れになったことをやっていき、用心していてもなることは受け入れ、その後できることをやっていくしかない。

 それが人生。いま動けている人は、今に感謝し、自分にできる貢献をして行きましょう。

 ☆今日もカメラ見つかっていないので、5年前のこの頃です。5年は長いと思うけど、今振り返るとあっという間ですね。流れに従ってボチボチ行きましょう。

Dr.2091 元気を与えられているか(10月15日)

 最近、ドクターに会ったり電話で話をしたりした人から、「元気をもらいました」という嬉しい感想を聞くことがあった。社交辞令もだいぶ入っているとは思うが、そういってもらえるのは嬉しいことだ。

 自分も悩みやすい性格ではあるが(奥様に言わせると自分勝手にデリケート)、何とか心身の元気を維持する考え方や方法を探して、取り入れてこれまできている。

 最近では、「莫妄想(まくもうそう)」妄想することなかれで、不安や心配は妄想だからしないほうがいいというのがある。何やかやと、元気な毎日のヒントを探し求めているが、お陰様で何とか、身体も精神も見かけ元気な日々を送れるだけの頑張りは見せてくれている。

 人に元気を与えようと意識している訳ではないが、自然体での振る舞いが誰かに元気を与えられているとすれば、本当に嬉しいことだ。ただ、こんなことも狙っては逆効果だと思うので、これからも自然体で、先ずは自分が元気に陽気にいられることを考えて行き、そのことが誰かに良い影響を与えられるのであれば、これほど有難いことはない。

 ☆まだカメラ見つかっていませんので、5年前の写真です。何をしてるんでしょう。今とそれほど変わってないと思いますが。今日もボチボチ自分らしくいきましょう。

Dr.2090 子どもは元気をくれる(10月14日)

 黒枝豆の発送で、この時にしか行かないお店に行ったら、隣の文房具店で小さな男の子が店番(お母さんも一緒にですけど)していて、かわいらしくて話しかけた。

 「何年生」「幼稚園ですけど、来年は小学校に行きます。今日はお店手伝っています」

 「大きくなって、がんばってや。そしたら、このボールペン一本もらいます」

 「毎度ありがとうございます。150円です。」

(財布から100円玉と10円玉を4枚出しながら)「今、サイフにあるのはこれだけやな」

(お母さんに助けてもらいながら)「あと、10円ですね」

(うちの奥様に10円玉出してもらって渡すと)「ちょうど150円、ありがとうございました」

(と言ってから、商品とレシートを渡そうとする母親をさえぎって)「ぼくがわたす。ありがとうございました。これをどうぞ」と、商品を渡してくれた。

 予定になかったボールペン購入だったが、こんなかわいい店長さんならつい余分な買い物もしてしまう。店に、まちに元気を与えてくれる若い力。やっぱ子どもは元気を与えてくれますね。

 ☆5年前の今頃。同じようなことしています、今年も。

 

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