Dr.2105 思い出(10月31日)
20数年前に勤めていた県立のフリースクール「神出学園」から、学園祭の案内メールが届いた。その日は用事があっていけないが、案内を送ってくださった校長先生にお礼のメールを書いていて、あの頃の懐かしい思い出が頭をよぎって来た。
神出学園は、ドクターが県の指導主事になって初めて赴任した施設で、当時は不登校とも言っていた学校へ行きにくい子ども(中高生から20歳未満?)の居場所として、神戸市西区の神出町に作られた今でいうフリースクールだった。
学校のイメージを取り除くために、施設は山すそにあるスイスの山小屋風のオシャレな建物だった。当時は4泊5日が原則だったので、職員は交代で宿泊した。宿直当番の時に子どもたちとそこでしかできないような話をしたのを思い出す。
昼間のプログラムも、勉強の時間もあるが、指導者が独自に作る自由な時間もあって、何をするかワクワクしながら考えたものだ。宝塚歌劇を見に行って、公演後に出演者の方からお話を聞かせて頂いたり、アウトドアバイクで山の中のコースを走ったり、農作業をやったり、いろんな活動を子ども達と一緒にやった。
そこでは、パーマをかけたり化粧を始めたりすると風紀違反で指導するのではなく、異性に関心が出て来て元気が出始めたようだととらえ、勝手にアルバイトを始めたりすると無断アルバイトで処分するのではなく、「これでもう神出は卒業だな」と肯定的に捉えていた。子どもたちにとって生きる上で何が大事なのかを考えさせられたものだった。
神出学園も含めて多くの経験をして今の自分がある、これまでの経験をこれからも生かしていきたい、公務にも自分の生き方にも。本質的に何が大事なのかを忘れないようにする、これも大事ですね。
☆また、カメラ(記憶カード)壊れたので、5年前の写真です。どこでやっているのかは定かでないですけど、やっていることは大体わかります。
Dr.2104 何それ(10月30日)
体育常任委員として、地元小学校区の小学校・地域合同運動会(スポーツフェスティバル)の反省会に参加した。冒頭、小学校PTAの方から、アンケート結果とそこに書かれた意見が発表された。
厳しい意見もあったが、それらを改善しながら来年度もやって行こうというような話の中で、PTAからアンケート結果と一緒に配られたのが、市内各地の地域運動会の改革について書いた回の教育長ブログ『教育長きょういくじょう』だった。
こんな場で配られるとは思ってもおらず「何それ」って感じで先ず驚いた。市内全体に向かって書いている教育長ブログを地元小学校の保護者の方も見てくれているのかと一瞬喜んだが、PTA会長の説明の様子から、この教育長ブログで紹介していた自由参加型で新しい取り組みをしている地域もあるということを知らせるためであって、教育長ブログが面白いのでもっと読みましょうということではなかったことが分かった。
こちらの『ドクターブログ』でも、内容が面白いから、共感するから読んでいるという人ばかりではないだろう。何か変なこと言っていないかチェックの意味で見ている人等もいるかもしれない。
公に発信しているのだから、いろんな人がいろんな目的で見るのは当然ありだと思うが、ドクターとしては見てくれている人に元気を与えたい(自分にもですけど)と思って書いているので、いろんな見方をする人にも、少しでも元気(生き易さのヒント)が届けば嬉しい。それにしても、ブログ記事があんな場所であんな形で使われるとは、いろんな使われ方がある、いろんな人が見ているということは、こちらの想像を超えている。「自分の想像を超えた世界がある(小さな自分の世界を抜け出さなければならない)」あっ、これっ、又明日のブログねたに使えそうです。
☆想像を超えたことが起こる地上の世界を見下ろす大書院。「何それって」驚くことがあっても、動じない姿勢で悠然と行きたいですね、ドクターにはまだまだ遠い境地ですけど、まあボチボチ頑張ります。
Dr.2103 みんな違ってみんないい(10月伊29日)
久しぶりに金子みすゞさんの「みんな違ってみんないい」という言葉に触れる機会があった。小学生が文化のつどい標語コンクールで使っていたのだが、金子みすゞさんはもう100年以上前の人物だと思うが、今の子ども達も知っている。
改めて「みんな違ってみんないい」という言葉を噛みしめてみると、本当に大事なことを言っているのが分かる。金子さん自身は、私と小鳥と鈴など幅広いものを比べているが、そこまで行かなかったとしても、人間同士でも違いを認めることは大切で、この場合特に自分と違うタイプ、考え方・行動の仕方の人も認めて行くという視点が大事だと思っている。
さらには、違いを認める前提には、違いがなければならない。人と同じではなく、自分の思い、自分のやり方を大事にして行くということも忘れてはならない。
そのようなことで、自分のやり方も大事に、他の人のやり方も尊重する、そのような寛大かつ広い心で、人に自分に温かくやって行きたいと思います。
☆「みんな違ってみんないい」という言葉に出会った文化の集いで頂いたお抹茶とお菓子。いつもと違った雰囲気でいつもと違う味わい、みんないいです。いろんな生き方、やり方を「みんないい」と認めて行きたいですね。
Dr.2102 丹精より適当(10月28日)
黒枝豆を送らせてもらった相手の方から「丹精を込めて作られたから美味しいです」みたいなメールを頂き恐縮して、「丹精と言うより適当です」と返信した。「適当」はドクター的には、「大雑把、雑」のイメージで使ったが、「適当」本来には「ちょうどよい。ふさわしい」の意味もあることも思い出した。
「丹精」も漢字を見ると、丹の付く人(丹後など)が精を出してやる、みたいに見えなくもない。
このようなことをひっくるめて、自分の生き方を考えると、性格や仕事ぶりは雑だけど(手を抜いたりいい加減にするという意味ではなく、緻密にできないんです)、自分のカラーを大事に(人に喜んでもらう、笑顔で明るく等)、全力で(でも無理はせず、自分のペースで)取り組んできました。これは、「適当」の両方の意味(ちょうどよいと大雑把)が入っているような感じです。
黒豆づくりも、畝も植え方もグネグネ、肥料のやり方も適当ですけど、自分がやりたいときには全力で(毎朝の土寄せ等)やりました。暑い時に水もあまり入れてませんので、豆が膨らまなくても仕方ないはずだけど、お陰様で結構大きな実が出来ました。
人生も同じく、適当に流れとご縁に従ってやってきましたが、豊かな実りを頂いています。有難いことです。これからも適当人生、適当百姓やれるところまでやって行きたいと思います。皆様もボチボチ、ご自分にあった人生を、楽しみながらお歩みください。
☆昨日も地域の文化祭へ行ったり、百姓したりしました。有難いことです。
Dr.2101 ありがたい健康(10月27日)
2か月に一回の隣保の集会が昨夜あった。10名ちょっとの村の人が集まった。小学校の頃に一緒に登校していた人が多い。数軒は代が変わって後継ぎの若者(といっても40代50代)が出ているが、ほとんどが同年代の人だ。
その中に、1カ月入院して退屈だったという人、腰を痛めて3週間ほど家で寝ていてほとんど農作業はしていないという人がいたり、ここ数カ月の間に足を怪我した人もいる。皆さん、今は集会に出られるようになって、健康状態も徐々に回復しつつあり良かったのだが。
そう考えると、入院も大病もせずバタバタと暮らせているドクターとしては幸せな限りだ。健康の有難さを感じる。しかし、いつ何時同様の怪我・病気にならないとも限らない。節制や予防は大事だが、いくら気を付けていても、なる時にはなる。
ドクターも詳細に見ると、腰が痛かったり、以前痛めた股関節が未だに痛かったり、視力や記憶力が衰えたり、血圧が高かったり、朝のランニングが朝の散歩並みの早さになったりしているが、何とか日常生活は送れている。
健康面でも他の面でも、上を望めばきりがない、現状を改善する努力は尊いとは思うが、無理をしないで現状を受け入れ、今出来ること、今の現状(健康状態も)に感謝して、今日出来ることをボツボツやって行きたい。
☆昨日は村の池の点検にもいきました。何と言うことはないですが、できること、出来たことに感謝して、笑顔で暮したいと思います。皆さん、自分の恵まれている所を忘れないようにいきましょう。