Dr.2365 過去一(8月31日)
昨日の熱さの中、息子と一緒に稲刈りをやった。田んぼまで行く間に、コンバイン(稲刈り機)のハンドルが不調で心配していたが、案の定一周もしない間にハンドルが効かなくなり、農機具屋さんに電話。しばらくして、来てもらって診てもらったが、ハンドルの完治は難しく代替え機を準備するけど明日以降になるとのこと。
代替機が来るまでは何とかこの機械で行こうとしたが、他にも稲ワラが詰まる事態になって、また農機具屋さんに戻って来てもらって診てもらったが、明確に原因は分からなかった。結局、藁を切らずにそのまま田へ落とすという苦肉の策でやれるところまでやろうということになった。この間1時間余り、正午の炎天下で日陰のない田んぼで、修理をする業者の方も大変そうだったけど、それに付き合う我々も暑さで大変。結局この日のペットボトルで飲んだ水分は10本以上。
その後も、藁は切らずに落とすのだけれど、それでも排出口が詰まりそうになるので、絶えず後ろに人が付いて、詰まる前に手で詰まりをとる作業が必要になった。あんまり早く刈れないし、軽トラで乾燥機まで米を運ぶ間、一人で作業は出来ないのでコンバインは止めなければならない。そんなこんなで、朝9時過ぎから始めて、何とか一つの田んぼを刈り終えて、乾燥機に入れ終わったのが18時半ころだった。
この暑さの中の作業で、息子が言ったのが「過去一やな」という言葉。「自分のこれまでの人生で過去一番に~なこと」を意味する言葉らしいが、今回の過去一は「過去一番きつい」「過去一番しんどい」という意味だ。これから使う「過去一」は、「過去一番楽しい」「過去一番嬉しい」という時に使いたいですね。
皆さまも、過去一の熱さが続く日々を、ご無理され過ぎませんように。
☆過去一体験で日焼けしたドクター。今日もできるところを頑張りますけど、無理はできません。なるようにしかならない農作業と人生ですね。

Dr.2364 昔を思い出す(8月30日)
昨日は中学校で部活動の様子を見た後、生徒の一人と一緒に自転車で、その生徒の家の近くまで帰った。熱中症の危険のある中、部活動や登下校の様子を実際に見てみようと言うことで、行ったのだが、生徒と一緒に話をしながら一緒に帰るというのは、かつて校長時代によくやっていたことで、昔が思い出され懐かしかった。
昔と言っても10年ほど前のことだが、随分昔のような気もする。高校生と中学生の違いはあるが、昨日の中学生は人見知りせずよく喋ってくれる子で(そういうタイプの生徒を学校が選んでくれたのだと思いますが)、かつての在校生と一緒に帰るのとそんなに違いは感じなかった。
その子のうちの近くまで行った後は一人で中学校まで戻ったのだが、その一人で田んぼの中の道を通っていると、それこそかつて自転車で通勤していたこともあることを思い出した。
結局、人ってそんなに変わらず、やること考えること感じることって、本質的なところはそんなに変わらないって言うことですね。だとすると、これまでの自分の人生、言動、考え方等をもう一度再確認して、これからの生き方に活かすのがいい。
もちろん、新たな状況や、自分の変化もあるだろうから、全く同じという訳にはいかないだろから、そういう変化も織り込みながら、自分の本質を押さえて、これからの人生の快適な過ごし方を考え実践して行きましょう。
☆久しぶりに生徒と一緒の自転車下校。人ってやることそんなに変わりませんね。これを踏まえて、これからの人生設計、良い方向に考えて行きたいですね。皆さん、ご自分の特質、持ち味考えて、良い方向に使って行きましょう。10年立っても、面白がりのドクターでした。内面はいろいろあるのも、その当時もだったような気がします。


Dr.2363 良いこともある(8月29日)
この前に、早期に倒れた稲を刈り取ったのだが、それを何とか乾燥させて、脱穀をしてお米にしたら、青いコメがものすごく混じっていて、これではなかなか出荷できないので、家で食べることにした。家でもこんな青いコメが混じったのは食べたことが無かったので、果たして食べれるかどうか心配だった。
それでも、玄米をついてみたら、何と青い部分が無くなっていつもと変わらぬ白米が出来た。これは奇跡かと思いながら、それでも実際に食べてみないと食べられるかどうか、味がどうなのか分からない。今朝実際にそのご飯を食べてみるのは、期待と不安が入り混じって、ワクワクドキドキだったが、実際に食べてみると、これまでと変わらず美味しい味だった。
良かった。これで倒れた稲を刈った分、6袋ほどが無駄にならなくてよかった。もし家でも食べられなければ、くず米として引き取ってもらうしかなかったので、せっかくここまで育ったお米に対しても、採算的にも厳しい状況になるところだったが、それを逃れることが出来て、こんなに嬉しいことはない。
久しぶりの無条件に嬉しいことだ。でも、実際にはくず米が多く出たり、ぬかも多かったので、成熟米よりかは分量が減ることにはなった(あっ、又心配性がでてきてしまいましたね)。心配や不安に用心することは大事だが、そればかりでは精神的に参ってしまう。
たまには、何も考えず嬉しさや喜びに浸る体験も大事にしたい。いつまでこの嬉し感情が続くか分かりませんが、これも流れとご縁に任せて、ハッピー感情が続く間はそれで行きたい。多分また直ぐ、厄介・心配感情が出て来るでしょけど、出てこないうちから心配せずに、明るくいきたいと思います。
☆今朝頂いた、今年の新米。こけていた稲早狩り部分です。写真アップも好調の様です。どうもカードリーダーの不調だったみたいです。何でも調子の良いこともあれば不調もありますね。皆様も大変なことも、ちょっと良いこともあると思いますので、油断はしないまでも、たまーにある嬉しい感情は大事にいきましょう。

Dr.2362 山は終わりではない(8月28日)
気になる当面の課題の山場が終わればホッと一息は着けて、これで明日からは当面快調だと思う瞬間が一時は味わえるが、そこを過ぎると又心配事案が頭に浮かんでくる。結局心配性かなとは思うが、人生生きてる限り、いろんな懸案事項がやってくるというのが事実だろう。
それでも山の高さはいろいろあって、今超えた山と比べれば、これから心配な山はそれほど高くないとは思うが、それでも山は山で気がかりではある。山の比較「あの山に比べれば、今度の山はしれている」という考え方は、心配心を押さえるのに少しは効果があるとは思うが、山であることは変わらず、やはりそれ対処するのはエネルギーがいる。
逆に、今山に苦しんでいる場合に、「この山さえ何とか越えれば」と考えていても、それを超えたところで次の山が待っているという心構えというのか備えは要るとは思う。備えのない所に来る山はきついので、一山超えても油断はできないという心持は要るということ。
結局は山に慣れるというのか、山が来ても慌てず、人生いつも何かあるということを忘れず、その時その時に自分に出来るベストをやっていくしかない。人生最後まで、このようにその時その時自分にできるベストを尽くしていく、ベストの尽くし方も客観的な基準があるわけではなく、人と比べるわけでもなく、自分だけが知っているその時の自分のベストでいい。
というようなわけで、今日は今日で今日の山(しなければならないこと)に全力というのか、出来る範囲の力でやって行きましょう。皆さん、(山が来たからと言って)落ち込み過ぎず、(一山超えたからと言って)喜び過ぎず、ボチボチ行きましょう。
☆今回はカードリーダーを変えてみたら、最近の写真がアップできました。この前紹介した、以前の職場の方々です。いろいろやってみると、いい時もありますね。これからも、いろんな場面でいろいろやってみましょうか。

Dr.2361 感謝(8月27日)
最後の校長をさせてもらった時の事務職員の方が、これまたお世話になったもう一人の事務職員の方と一緒に、ご自分がこの8月で長年勤めた学校事務職員をお辞めになると言うことで、ご挨拶にお越しになった。
お世話になったのはこちらの方で、その学校の開校からお勤めになっている学校の象徴のような方だった。いろんな校長や職員がいたけど、ドクターの時が生徒も学校も元気だったと言ってくださった。
現役時代もこちらがお世話になり、退職後も時折訪ねた時、先ず一番先にお会いしたい方だった。いろいろと懐かしい学校時代の話をして盛り上がった。久しぶりの本当に楽しい充実した時間っを頂いた。また、感謝です。しかし、それは束の間で、その前後またいろんなことが待ち構えていた。何とか終えた一日だが、いろいろ宿題や課題も多い。
人生いろんなことが起こるが、時に嬉しい時間もやってくる。そういうこともあるということを忘れず、たんたんと自分のやるべきことをやって行かなければならない。嬉しい時にもしんどい時にも、何時の時にもある感謝の瞬間。感謝の気持ちを忘れず、自分も向上させながら前へ進んで行きましょう。
☆来ていただいたお二人の写真を載せたかったのですが、このパソコン写真更新は限界みたいです。また6年前の今日ですみません。皆様、いろんなことがありますが、大事なことはいつも言うように歩みを止めないことだと思います。ボツボツできることをして行きましょう。昨日の写真がダメなら、6年前の写真とか、出来ることを出来る範囲でいきましょう。
