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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.786 心を穏やかに(9月30日)

定年後や老齢に限らず現役や若者でも心配や不安、怖れや怒り等心が安らかでない状態は起こる。今日読んだ本によると、これらの感情を否定するのではなく、母親が赤ん坊に接するように穏やかに接すると、それらの感情は泣き叫ぶのをやめて大人しく穏やかになるという。心配・不安・怖れ・怒り等は誰にでも何回も訪れるもので、それらがやってくれば「こんにちは」、そして「さようなら」という感じで接すれば良いという。まだ読んだばかりで、この対処法がどれほど有効かはこれからだが、結構いけそうな感じはしている。皆さん、ドクターとともに実践し合っていきましょう。自分の心や身体にダメージを与える負の感情については何でも良いと思ったことは実践して対処して行きましょう。何よりも大事なことだと思うからです。

 ☆お隣の市の市議会選挙が気になって様子を見に行ったが、自分の心を穏やかに保つ方法を見つける方が先ですよ、ドクター。

Dr.785 バランス(9月29日)

議会の委員会で丹波篠山市の第3次総合計画について調査した。そこで自分の言うことのバランス感覚に驚いた。例えば、河川の管理について計画原案では「環境や生物に配慮してコンクリートで固めるのは見直した方が良い」みたいなことが書かれているが、それに対して「環境や生物への配慮も大事だが、河川は農業用水の確保にも大事な働きをしているので、農地の維持の観点から管理しやすい河川という視点も大事だ」というようなことを発言した。従来なら環境保護一辺倒の主張だったように思う。屋外広告物の規制についての項目では、原案では「市の良好な景観形成に資するため、事業者に屋外広告物等への配慮を求める」ことが大事だみたいなニュアンスだが、それに対しては「景観への配慮も大切だが、事業活動のしやすさも大事なので、一方的な記述にならないように配慮すべきだ」みたいなことを言った。これも以前なら丹波篠山の景観の維持の大切さのみ強調していたように思う。何事にも両方の主張があり、バランスを取ることが大事だということに、気付きだした自分がいる。これはドクターが成熟したのか純粋さが消えたのか。ここでも両者のバランスが必要ということだろう。

 ☆遠くに見える高城山。眺望を良くするために山頂の木を切るのか、下から見た山の形を崩さないためにも木を切らないのか。ここでもバランスがいる。

Dr.784 それぞれの悩み(9月28日)

著名な女優さんが亡くなった。ドクターはあまり知らないが、多くの作品に出演され容姿端麗、私生活も充実されていた方のようだ。ご冥福をお祈りするとともに、外からは幸せそうに見える人も皆それぞれの悩みを持っているんだなあと改めて教えられた気がする。ドクターの目下の悩みの中心は、定年後に仕事を離れた後の人生の充実と心身の老化とその先の死あたりだが、これらは60代から70代ぐらいの人に多い悩みか。若い時は定年後や老化や死に悩むことは少なく、もっと別の悩みがあったような気がする。「気がする」などとお気楽な言い方をしているが、若い時の悩みを詳細に思い出せないのと今ではそのほとんどに悩んでいないからだ。とすれば今60代で悩んでいることも80歳や90歳になれば悩みではなくなるということか。同様に自分の悩みは他の人にとっては悩みではないこともある。事実、同年齢の友人は定年後の生き方についてあんまり悩んでいないという。悩みは人それぞれ、同じ人にとっても年齢によりそれぞれあるということと、悩みの種類はいろいろあっても、その大きさと種類はリンクしないことは押さえておきたい。他の人にとっては「そんなことぐらい」と思うような類の悩みでも、その人にとっては生死を懸けた大問題であるということはいくらでもある。それで目下のドクターの大問題、定年後人生の過ごし方だが、目下の解決策は「ご縁と流れに任せてたんたんと生きる」だが、これに「人は死んでも無になるわけでないから、老化や死を怖れなくてよい」というのを加えたらさらに完璧になる気がするが、後者はまだ学んで日が浅いので自分のものになっていない。こちらも「流れ重視生き方」のように深化させ、1日も早く発信していきたい。同じ悩みに深く悩む人の力になるためにも。

 ☆昨日は村の集会場を当番なので掃除した。この公民館集会場ができて20年余、いろんな人がいろんな悩みを抱えながら生きてきた。

Dr.783 心の整え方(9月27日)

相変わらずいろんな本を読み、そこに書かれていることや自分の体験をもとに「定年後人生の幸福な生き方」について考えている。本にはいろんな考え方が書かれており、中には相反するようなことも多い。例えば、ある本では「年齢のことは忘れろ」と書かれてあるが、別の本では「人は誰も老いる。このことをよく理解せよ」とある。他にも「人との交流は無理に増やそうと思わなくてよい」というのもあれば、「人との関係が幸福の決め手」というのもある。結局は自分が納得できる自分に合う解を選んだり、自分で考えるしかないということになる。それはそうだろうが、多くの人が定年後に限らず「自分の心の整え方」について悩み、問い続けている。傍からはそんなことにはお構いなく元気に生きているように見える人でも、結構悩み、答えを求めて摸索していることはあることは分かった。ドクターも人からは「ノー天気でお気楽人生を絶こうちょうに生きている奴」と思われているかもしれない。「生き方で悩んでいる人は多い」と分かったところで、自分の生き方が楽になるわけではないかもしれないが、各自が自分に合った「心の整え方」を見つけてほしいとは思う。そのための参考になればと、ドクター流考え方を思い付き次第発表しているのだが、もしかしたら「誰かの役に立つ」というのも、人生幸福(充実)の極意かもしれない。ともかく、今のところのドクターお勧めは、「流れに従いその日にやる流れ(羽目)になったことを淡々とやり、今を(この状態で)生きてやることがあること自体に満足を感じ感謝する」だ。

 ☆昨日のドクターの「やる流れ(羽目)になったこと」は、法人黒豆畑の草刈りという共同作業だ。まあまあな1日だった。

Dr.782 満足感と感謝(9月26日)

昨日の嬉野台生涯教育センターでの冒険指導は満足感のあるものだった。1日中雨の中、体育館での活動とはなったが、担当した小学校5年生も元気があったし、引率の校長先生をはじめとする先生方も冒険教育に理解のある方で私達ファシリテーターもやりやすかった。指導者仲間も気心が知れて気持ちよくできた。センターの担当者も熱心な方で指導後の振り返りも意義ある時間に感じた。何より帰りのバスを見送った時、担当した子どもたちが「ドクター」と言いながら窓から手を振ってくれたのが嬉しかった。こんなことがあると今年で一区切りをつけようと思っている冒険指導ももっとやりたくなる。ただこの「欲」には気を付けなければならない。「欲」はエネルギーにもなるがストレスにもなる。「もっともっと」と際限がなくなるからだ。定年後生活の充実に必要・有効と言われる、お金や健康や用事、肩書や役職、友人や関係する団体等にしても多い方が良いと欲張ると、昨日のブログではないが多忙やストレスに疲れてしまい「全く用事や役割が無い方が良い」等と極端なことを望んでしまう。流れとご縁でやってきた現在の用事や人付き合い等が少なくても良いじゃないですか、今ある回数や関係に満足と感謝ができれば。「もっともっと」という感覚は若い時(現役・第一の人生)には有効かもしれないが、第2の人生では問題が多い。それより今あるものに満足感謝できるかどうか、これが定年後人生充実の秘訣のように思う。今のところは。ただこの秘訣、あんまりあっさり掴んでしまったので今後どこまで持ち続けられるか心配な面もあるし、「今」に満足・感謝するにはどうしたら良いかという方法の研究もいる。これからの展開をお楽しみに。

 ☆昨日冒険指導した小学生の後ろ姿。校長先生からは、「前から撮ってもらってもいいですよ」と言ってもらったが、ここでも欲には気を付けないといけない。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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