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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2337 何を守る(7月31日)

 ドクターはよく、ここぞという時に「お守りください」と祈る時がある。これは自分を守ると言うこともあるが、事態が上手く収まり、関係者にとっても一番打撃が少ないようにみんなの無事を祈ることにもつながる。

 自分だけを守るというのは違うと思う。世の中は、いろんな人が関係して動いているので、みんなが(と言っても全世界の人というよりは、その事案の関係者という意味かな)落ち着かないと、一番いい形で収まらない。

 だから、自分の無事を祈ると言うことは、関連のある人みんなの幸せを祈ることにつながる。この世の中に生かされている自分なので、関係者みんながそれなりに無事で生きて行けますようにと言うことを祈ることにつながる。

 常日頃からそんなに大きな無事を描いている訳ではないが、ふと自分だけの無事何てあり得ないと言うこと気が付いた。普段の生かされていることもそうだが、自分が生かされていく(生きて行く)には、多くの人が幸せに歩んで行くことにつながっている。

 今日も自分を含め多くの人の無事を祈って(守って)、ボチボチ精一杯やっていきましょう。

 ☆電線にとまるツバメ達。このツバメ達も含めて、今日が多くの人や生き物にとってよい一日になりますように。

Dr.2336 暑さの中で(7月30日)

 ものすごい暑さが続いている。いつも勤務の帰りにトレーニンに行っているスポーツセンターに午後行ってみると、いつものメンバーとは違う人々がトレーニングをしていた。そのうちの一人の女性が自分は70代だけどがんばっているという話をされた。

 トレーニング室の中は冷房が効いているが、横の体育館には冷房が無く、ものすごい暑さだった。この暑さの中で、いろんなことが動いているが、暑くてもやらなければならないことはやらなければならない。

 体調も、精神的なストレスも気がかりだが、こちらも好調でなくても、やることはやらなければならない。

 今日も暑さに加えて、いろんなことが気がかりですが、いつものようにできることを全力でボツボツの気持ちも忘れず当たって行きたいと思います。皆様も暑さの中、身体的にも精神的にもきついですが、何とか今日一日を過ごしていきましょう。

 ☆暑さピークだと思いますが、何とか過ごせますように。皆様まずまずの一日を。

Dr.2335 田んぼの状態(7月29日)

 雨が降らなくて水がないので、田んぼの水の状態が気になる。田んぼの状態もいろいろあって、水に恵まれて絶えず水が溜まっている田んぼ、水は直ぐに入るけど水持ちが悪い田んぼ、丁度良い田んぼ、この前池の水が漏れていて今の水が無くなったら入れる水がなく心配な田んぼ、水を入れるポンプのスイッチが早いもの勝ちの田んぼなど様々だ。

 JAの栽培ごよみ通りの水の状態が理想かもしれないが、大概は思い通りには行かない。人生や各人が置かれた状態に似ている。ただ稲も人も同じで、どのような田んぼの状態がその植物、その人にとって最適なのかは簡単には分からない。

 逆境が上手く作用する場合もあるだろうし、逆もあるだろう。ベストやベターは尽くすけれども、状況がどのようになるかは、いろんな要素が絡むので簡単には結果とは結びつかない。

 今日も出来るだけのことはしますけど、どうなることか。まあしかし、ボチボチ精一杯いきましょう。結果は心配し過ぎず、流れとご縁に任せるしかないですね。

 ☆丹波市のリニューアルした恐竜の館です。動物の進化でも、何が良かったのかどうかは(後からは言えるけど)環境の違いもあって、その時には簡単には決められないと言うことを学びました。

Dr.2334 まとめるのは難しい(7月28日)

 この土日にため池の落水を実施した。水利組合長なので、みなさんの声を聞きながら、いつどれだけ実施するか、最終的に決めなければならない役だ。4つの池があって、基本は朝7時から、夕方6時まで二日間落水する。

 しかし、まだ水が当たっていない田んぼがあって、もう一日追加してほしいと言われるとそれを決めなければならない。いくらでも池の水があれば、いくらでも落とせばいいが、限りがあるのでそういう訳にもいかない。

 一人の意見があっても、全体としてどう判断するのかが難しい所だ。結局3つの池で、半日という妥協策を取ったが、それでいいかどうかも難しい所だ。

 何事にしても、いろんな意見、どちらの意見もあって、まとめるのは難しい。今日もそんな難しさが考えられるが、無功徳の精神で、無心で全力で向かうしかないと思っています。

 いろいろ難しいこと多いですが、くじけてしまわず、できることを出来る範囲でやるしかできません。今日も何とかボツボツ精一杯当たって行きましょう。無理はできませんけど。

 ☆昨日のうちの村で見た夕焼け。こんなシーンもあるんですね。あんまり見たこと覚えてませんけど。皆様お元気で、ボツボツいきましょう。

Dr.2333 無功徳 むくどく(7月27日)

 仏教用語で「無功徳」は、善い行いをしても、その結果や見返りを期待しないことを指します。つまり、功徳を積むことを意識したり、それを期待したりするのではなく、無心で良い行いをすることです。

 言葉自体は知っていたし、前にも紹介したかもしれませんが、この頃身辺の整理をしていて、「無功徳」の色紙が出て来て、今このタイミングでこの言葉に触れるとは、何か大きな力の意志かなと思って、皆様にも自分にも改めて紹介します。

 ここからはドクター解釈ですが、「無功徳」をもっと言えば、自分の一日が(まずは今日一日が)、何かの役に立ったかどうか、意味があったかどうか等も、あまり意識し過ぎず、たんたんんと今自分がすべきこと、できることをやって時を過ごすと言うことではないでしょうか。

 人生の意味なども考え過ぎず、今自分が置かれている状態で出来ること、やることを、意味や結果などあまり考え過ぎず、たんたんとやって時間が過ぎ(一日が終わり)、今日も何とか一日を終えられたことをホッとする(感謝する)って感じでしょうか。

 昨日は特に何ということなく、池の水落としがあったので、それに関してしなければならないことはやりながら、田んぼ畑の見回りや、ガソリン購入や、夕食購入など(奥様外出の為)、たんたんうろうろと一日を過ごしました。ちょっと誰かの役に立ったこともあるかもしれませんが(こんなこと書くこと、思うこと自体だめですね)、全体としてたんたんと時を過ごしたって感じです。

 そして、これでいいと言ってくれているのが「無功徳」だと思います。生きて、一日が送れること自体が有難いことです。その有難さを噛みしめながら、たんたんと自分に出来ること、しなければならないこと、やる流れになったことなどをやって行きましょう。「無功徳」から言うと、ドクターの言って来た「感謝と貢献」の貢献もそんなに気張らなくても良いかもしれませんね。生かされ、生きていること自体が貢献と考えることもできますが、そこにあんまりこだわらず行こうというのが「無功徳」の教えですね。

 皆さま、今日もたんたんと無心で、出来れば陽気にボチボチやって行きましょう。

 ☆6年前の今日の日のドクターです。やること、できること、をやってたようです。見た目は今より元気そうですが。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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