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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1495 あと二日(12月30日)

 令和4年の終わりまで後2日となった。年末年始と気忙しいが、どの一日もいつもの1日と同じく大切なもの、365分の一の重みは一緒と言うことを、昔の青春ドラマ(さらば青春やったかな)から学んで、今も大事にしている。

 確かあのドラマは大晦日でも普段通り練習していて、「今日ぐらいは休もう」という生徒に監督やったかコーチやったかの主人公が、先のセリフ「どの日も365分の一」を言うシーンがありました。

 そやからという訳ではないけど、ドクターの年末はいつもと同じようにバタバタしている。昨日は、家にあった古い布団をゴミ処理場に持って行って、お墓掃除して、田んぼ鋤いて、夜は帰省中の子どもたちと回転ずしを食べに行った。

 出勤はしないし、子どもたちもいるので、普段の日とは違う行事も入っているが、基本的にはしなければならないことを出来る範囲で精一杯、でも頑張り過ぎずに自分らしくやってバタバタと一日を過ごし、一杯飲んでバタンキュー。

 これが一日を大事にしてるかどうかは分からないし、もっといろいろできそうにも思うが、理想通り行かないのが人生、できるだけのことをやったらあとは「まあいいか」「ボチボチ行きましょう」で心を落ち着かせる。こんな感じで今年も暮れようとしています。皆様お元気で良い年の瀬を。いつもと変わらない一日ですけど、時期が年末なのでこの時期に言う特別なあいさつですけど、思いは変わりません。「流れとご縁に任せてボチボチ行きましょう」です。

 ☆バタバタの年の瀬の隙をついて田を耕しました。時間切れで途中になりましたけど、出来ることはできる範囲で精一杯がんばりました。皆様良いお年を。来年もよろしくお願いします。

Dr.1494 仕事納め(12月29日)

 昨日仕事場の仕事納めの会があった。いろいろあったけど、何とか仕事納めまでこれたことを感謝しています。毎日が出来事の連続で、気の休まる日はなかったように思い出すが、それでも東京行ったり山口行ったりと出張にも行けたし、時間を見つけては現場へも足を運べた。

 現場に行くと、子どもたちや利用者の方がおられ、そこでは活き活きとした姿が見られ、自分も元気をもらっているように思う。その現場へ何度か足を運べるということは、時には気の休まる時もあったということか。

 それでも総じて思い出すのは、次々と案件が出て来る毎日で、その日一日を終えるのを目標に日々を過ごした姿だ。何とか一日を終えて、トレーニングで汗を流して一杯やって寝る、その時を楽しみに一日を何とかやりくりする、そんな日が多かったように思い出す。

 仕事納めまでたどり着いた今、思うのは、大変なことも多いけど、ストレスも多いけど、それがなくなれば平安な日々が続くとは限らないのではないかということ。何もこれと言ってする予定がない日々と言うのは、今度は毎日何をして過ごそうかと考えることにエネルギーを使い、小人閑居して不善をなすの言葉通り、よろしくない思いが渦巻きそれはそれでしんどいのではないかということだ。

 どちらにしても心配の種は尽きないか。心配しても仕方のないことの心配はしばらく置いて、まあ束の間の休みで英気を養います。皆様も良い年末を。

 

Dr.1493 黄金律(12月28日)

 「ブログ見てます」や「この間のあいさつは良かったです」なんて言われたら嬉しくなる。いろいろ心労もある日常だけど、一気に吹き飛ぶほどの元気を頂く。

 「自分がしてもらって嬉しかったことは、人にもしてあげたい」、これ誰でもどこでも通用する黄金律の一つの様です。教えてもらったのですけど。

 自分がしてもらって嬉しかったこと、元気をもらったことや、人の役に立つだろうと思うことや、言葉かけは努めてやっていきたいとは、以前から思っていた。

 はじめは意識して、ちょっと無理があってもやるようにしていれば、それが習い性になって、自然とあるいは無意識にできるようになるかもしれない。なんせ無意識の域まで達すれば、やったかどうかも覚えていないようになるのだから、後は自分を信頼するしかない。

 自分を信頼していても、思いがけず意図でもなく相手に悪く取られる時がある。これも出来るだけ用心して防ぐようにしなければならないと思うが、これも無意識のことなのでなかなか改善が難しい。

 自分を信頼して、無意識で自然体に行動しても、人を傷つけず、逆に人に元気を与える、そんな人間性を目指していきたい。本当にそう思うが、なんせ到達地点は無意識の境地なので、なかなか達成度を図るのが難しいとは思うが、ボチボチやって行きます。

 ☆人にしてもらって嬉しいかったことをする黄金律を心に夕陽を見る。昨日の写真を覚えていなかったなどが溶けました、2年ほど前の写真フォルダを今年のと勘違いしてました。などは溶けて良かったけど、つかんだ黄金律は溶けないようにがんばります。ボチボチですけど。皆さんご一緒に良い年末を。まだ明日も書きますけど、こちらのブログは。

Dr.1492 ちょっとしたこと(12月27日)

 いつものように何とか一日を過ごして、トレーニングして一杯飲んで寝るという楽しみの時間に近づいてる時に、イライラ心が起こってしまった。

 自分がやろうとしていた、トレーニング機器を他人がやっていて、待っていてもなかなか終わらない。あきらめて今日はその器具は使わないで帰ろうとしたら、その人が使い終わって器具が空いた。でも今さら、やるわけにはいかない(整理運動もしたし、気持ち的にも)。

 そんなちょっとしたことで心の平安が崩れる。まだまだ修行不足だと思う。一日の終わりにトレーニングする時間も体力もあるということは、傍から見れば幸せで恵まれたことだと思うのに、ほんの些細なことで心がいら立ってしまった。

 いつも笑顔で機嫌よく、だいたいは出来ているつもりだが、ちょっとしたことで乱れてしまう。これから又修行して、いつでも、何かが起こっても、機嫌よく笑顔でいられる自分にして行きたい。先ずは、嫌な思いを何時までも引きずらないで、忘れることから始めますわ。嫌なことは忘れるに限ります。何でも忘れたら進歩ないことになるか。どっちがいいのかようわからんけど、まあいいか。

 ☆こんな写真がありました。いつどこで、何でこんなん撮ったか思い出せません。ちょっと心配です。

Dr.1491 ブログ見ています(12月26日)

 このブログではなく、お仕事上の「ブログ見ています」という声を聞いた。どちらも自分が書いているものなので(仕事上のは多くの人の手が入ってますけど)、「見てます」という声を聞くのは嬉しい。

 お仕事のブログは、校長ブログの時もそうだったけど、ある程度はその役職の人が書いているからと言うことで割増の閲覧力がある。

 こちらのような個人的なブログはもろに中身が問われる。閲覧数獲得を目標に書いている訳ではないが、あまり誰も見てくれないとなると、続ける意欲が減退するのも事実だ。

 とすれば、中身の充実が、閲覧数アップのためにも、自分自身の考えの深化のためにも重要と言うことになる。

 そうは分かっているものの、このドクターブログ中身は、「日々を機嫌よく生きましょう」「そのためには、こだわらず、流れに任せて、今日一日を気持ちよく過ごせることを先ず目指しましょう」「まあ何とかなるので、ボチボチ行きましょう」みたいなことを、あれやこれやの表現で書いているだけではないのかと言う思いがある。深化が課題だけど、まあそうなれば良し、ならなかったとしても、ボチボチ行きますわみたいな感じで行きますわ。

 ☆昨日アップできなかった、雪の日の朝。まあアップできて良かったです。ボチボチですけど深化を目指しますので、よかったらお付き合いをお願いします。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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