ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.356 マロニー(5月31日)

20年近く冒険教育界でやっていると(途中10年ほど関りが薄い時期がありましたけど)その関りで知っている人は多い。但馬の鉢伏高原に中学生を指導に行った時にかつて嬉野台生涯教育センターに来ていたマロニー(確かこの冒険ネームだったと思うが間違っていたらゴメンナサイ)に出会った。10数年前彼に出会ったときは確か高校生ぐらいだった(ドクターではなく彼が)。今も大阪の子ども会に関わり時々指導をしているという。最近の記憶は不確かだが昔のことは覚えていて、その時彼が思いついたティッシュペーパーを薄く剥がして吹き合うアクティビィティは今も時々使わせてもらっており、それを彼が編み出したのもよく覚えている。久しぶりの再会に当時のことが思い出され、それにつられて以前このブログで取り上げた「リョウチン」の姿も出て来た。そうこうしているとその場にかつて嬉野台生涯教育センターに研修しにやってきていた人にもお会いした。なんとその人は態々その日のドクターの指導に付き合ってくださった。あまり成長のないドクターの指導で参考にならなかったであろうことは申し訳ないけど、こうした昔の知り合いに出会いながら新たに出会う若い指導者とも一緒に活動できるのは幸せだ。指導が終わってからも若者指導者はいろいろと語り合っていたが、おっさん指導者ドクターは早めに切り上げ、その日の疲れを癒すべく近くの温泉へ向かった。温泉へ行くのはただ単にサウナで汗を流して晩酌を美味しく飲むためだろうという声もあるが、ともかく同じ業界に長くいると専門性の向上は別にしてもいろんな引き出しは増えてくる。
 ☆山深い但馬での冒険指導でかつての知り合いマロニー達に会い、その後ドクターが入った温泉は「合格の湯」だった。今更何の合格を祈願するのか、いやいや成り行きで引き出しが増える60歳、まだまだこれから挑戦しなければならないことも出てくるかもしれない、しっかり浸かろう。あくまでも成り行き自然体ですけど。

Dr.355 餅は餅屋(5月30日)

この前鋤いた畑をスコップで直していると、通りがかられた息子の小学校時代からの友人のお父さんが、北海道で大学生活を送る息子さんのところまで車で行かれたという話をされた。「青森まで北陸道を12時間ほど走って、フェリーで北海道へ渡って、そこから又車を走らせて息子の下宿まで行き、帰りはまた逆コースを車で帰ってきました」といわれる。その間ずっと一人で運転され奥さんは横で寝ておられたらしい。その方は普段から大型ダンプを運転されている方で、言わば運転のプロだからこそできたのだ。常人では考えられない。「丹後さんとこの息子さんは横浜ですよね。横浜なら下道(したみち、高速道路ではないという意味)で行きますよ」とも事も無げに言われた。その道の専門家の力、恐るべし。餅は餅屋と言う言葉があるけれど、やはりその道一筋のプロの力量は半端ない。改めて餅屋(プロ)の力や考え方の凄さに気付かされた。そして社会で活躍(仕事)されているみなさんもそれぞれその道のプロとして確かな実力を持っておられることも思い至った。とここまで考えて、自分はいったい何のプロだろうかという疑念が湧いてきた。冒険教育のプロと言いたいけれども(またある意味言わなければいけないのだろうが)、そこまで自信があるわけでもない。かつて教えていた高校日本史のプロかと言われても、一番覚えている授業が「仏道のマネ」と言うのだから推して知るべしだ。それではその後成り行きでなった学校管理職のプロかと言われても、生徒と遊ぶのは得意だったがそれを管理のプロとは言わない。こう考えて見ると、自分にはこれといった餅屋の分野がないことが分かる。それでも何とかこれまでやって来て、今でも何とか生きている。これは強いて言うなら自分は「特に専門が無くても何とかそれっぽくやっていくプロ」と言えなくもないか。仏縁や神恩、天の助けで何とかやってこれたのも忘れてこんなことが言えるとは「お気楽道のプロ」かもしれない。
 ☆自分のことを「特に専門がないのに何とかやっていくプロ」とほだきながら日課のスロージョギングをするドクターはもちろん走りのプロではない。

Dr.354 無くしたものを数えるな(5月29日)

気合を入れて「空白の一日」をどう過ごしたのかと言えば、結局、溜まっていた雑用処理を除けばとサウナと筋トレだった。結局自分がしたいこと、好きなことはサウナで汗を流し、トレーニングで汗を流して夕食に美味しいお酒(ビール&焼酎等)を飲むことだということが分かった。自分が美味しい晩酌を飲むために生きているということが分かってショックだったが、その時ラジオから「無くしたものを数えても仕方ない、前を向いて生きて行こう、だんだんよくなる だんだんよくする」というような歌が聞こえてきて胸にしみた。無くしたものは気になるが、生きがい、仕事、お金、若さ、体力、記憶力(これを無くしたおかげでもっともっとあるはずのこれまで無くしたものがこの程度しか思い出せない)等、いくら数えても嘆いても返ってこない。帰ってこないモノをいつまでも気にするのはエネルギーの無駄、建設的でないことは思考力を無くしつつある頭でも理解できる。なかなかスパッと割り切れはしないが、歌の歌詞ではないけれど、無くしたものばかりを気にせず、今あるものや恵まれているコトに感謝しながら、今出来ることや自分に出来る「貢献」をしていきたい。これもホントにそう思うけど、実際には今晩も無くしたものを数えながら酒を飲むのでしょう。
 ☆空白の一日は結局、お気に入りのモーニングを食べてちょっと大学へ行って、水辺のある公共の風呂屋でサウナに入ってトレーニングで汗を流して、一杯やって快眠した。これで無くしたものを数えなければ結構いい時間の過ごし方をしたかもしれない。

Dr.353 空白の1日(5月28日)

今日は久しぶりに特に予定の決まっていない空白の1日だ。しなければならないこともあると言えばあるが、後日に回してないと言えばないようにすることが出来る日だ。こういう日こそ余裕を持ってゆったりと過ごしたら良いのだろうが、酉年バタバタ症おまけに何かしていないと不安になる貧乏性ドクターとしては落ち着かない。定年後生活者にとってもこの空白の1日、何も予定のない日は危険だ。定年後生活者を元気にする「きょういく」(今日行くところがある)、「きょうよう」(今日用がある)にも反する、これが続くと定年後人生の危機につながるらしい。これを防ぎたいと4月からいろんな用事や業務、役を引き受けて超バタバタで今日まで来て、それはそれでしんどかったが毎日人との関りもあり退屈を感じる暇もなかった。充実していたと言えば充実していたとも言える。何度か言うように、忙しさとゆとりのバランスが丁度よければ一番いいが、人生そうは問屋が卸さない。だとすれば性格的にも、定年後生活指南書的にも、毎日何かの用事がある方が自分にはあっているようだ。そういえば昔「忙中閑あり」の言葉を書いて、今でも部屋に貼ってある。人の性格や本性ってそう変わらないので、ドクターとしては昔から身辺を忙しくしておいて、その中に息抜きを入れるのが得意と言うのかそういう生き方を目指していたようだ。とはいっても定年後いつまでも仕事や用事のある毎日が続くとは限らないので、そういう時にどうするかにも慣れておかなければならない。とりあえず本日の空白の一日を上手く過ごして練習しよう。
 ☆本日は雨で日課の傘さしランニング(ピントあってません)を終えた後は農作業も出来ず空白の一日だ。写真も特にテーマのない自宅軒先の山の芋グリーンカーテンとお向かいの屋根にとまる小鳥。やはり毎日はテーマ(やるべきこと)のある忙しい時間で埋まっている方がピントもあって良いのだろうか。

Dr.352 人それぞれ悩みあり(5月27日)

いつも行くトレーニングセンターでよく顔を合わせる人に思い切って「いっぺん飲みに行きませんか」と声をかけた。ドクターよりもいくつか年上のおっさんだ。退職されているようで昼間の一般的でない時間にお会いすることも多い。気が合って(と勝手に思って)会えば必ず2こと3こと言葉を交わす。定年後の男子は地域に友達がなく孤立しやすいというのを読んだので、もっと仲良くなれるかと思い勇気を出して(しかし表面上はさりげなく)声をかけたのだが、その人曰く自分は血圧が高く運動すれば下がる、医者に自分はいつでも自分で血圧をコントロールできるから大丈夫と言ったら叱られた。やはり飲みすぎや食べ過ぎに注意していないと今後何かあっても知らないぞと言われたという。話の要領を得ないが、要するに一緒に飲みに行きたいのは行きたいが、身体のこともあって飲酒は制限されているので今は行けないということらしい。元気そうな方だったのでそんな健康上の悩みを抱えておられるとは思いもよらなかった。話は変わって地域の飲み会で一緒に盛り上がった40代男性は家庭的な悩みを酔った勢いで話してくれた。こちらも酔った勢いでいろんな話をした。要するにみんな外からは元気そうや幸せそうに見えても、それぞれ悩みを抱えているということだ。当たり前と言えば当たり前だが、偶然内実を聞く機会が重なり、自分も含めて元気で何不自由なく暮らしているように見える人もいろいろな問題を抱えていることが分かった。悩みを抱える同士の皆さん、問題を解決しようとか何とかしようなどと思わず(簡単に解決できるぐらいなら問題とは言わない)、それはそれとして自分のなすべき日常の細々としたことをたんたんとやって行きましょう。そうすれば思わぬ嬉しいことや問題を解決できることもあるかもしれません。
 ☆問題は問題、悩みは悩みとして、黒豆畑の準備はしなければならないので、草の生えた田んぼを耕して畑にしました。畝は曲がってますけど気にしてる場合ではない。この日も何とか終わり美味しい一杯飲んで眠れました。サンキュー。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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