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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1178 みんなのために(1月31日)

 みんなのために活動するという気持ちは常に持っている。みんなの中には、病院から帰って以来以前と変わって全く弱ってしまった母親の面倒を見させてもらうことから、今の業務の関係者から、地域の人から近所の人まで含まれる。

 その間に隙があれば自分のことも少しさせてもらうが、メインは周りの人のためだ。以前はもっと自分のため自分がしたいコトをするという意識が強かったように思う。やっていることは結果的にはそんなに変わらないかもしれないが(例えば、仕事は自分の給料のためでもあるけど、それが結果的にはその分野で関わる人に貢献していることになるから)、60歳定年後はお金のためと言うよりは誰かの何かの役に立ちたい(誰かの役に立てることが結局自分の生きがいにもつながる)という意識が強くなった。

 ただ気を付けないといけないのは、だれかのためみんなのためと思って動いていれば、誰からも感謝されるわけではないということだ。動機は純粋でも、活動していると万人に受け入れられるわけではなく、嫌みを言ったりつらく当たる人も出て来る。みんなのためにがんばって、こんな仕打ちを受けるのは割に合わないような気もするが、ここはもう一歩踏み込んで、辛い仕打ちは自分を鍛えると思って自分磨きのこやしにしたい。

 ☆今、村の事業でドクター田の横の水路を直してもらっているが、この業者さんも自分の会社のためにやっているが、ドクターをはじめ村の人のためにもなっている。動機は何でも周囲の人のためになる活動が大事ということか。

 

Dr.1177 反射神経(1月30日)

 ドクターの記憶力は低下しているが、反射神経はがんばっている。昨日も水利役員として、ため池を点検している時に獣害柵補強のために張ってある針金に躓いて山の斜面に前向きで倒れた。咄嗟に両掌が出て受け身のような形で衝撃を和らげた。もしこの反射行動がなかったら、顔面から石が混じった地面に突っ込んで顔面血だらけか前歯骨折になっていてもおかしくなかった。

 反射神経の中枢は脳ではないようなので(脊髄?)、脳の衰えとは違うようだ。脳みその中身も反射神経のように維持できればいいのだが、無い物ねだりをしても仕方がない。反射神経だけでもがんばって残っていることに感謝したい。

 物忘れや新しいことが覚えられないことなど脳の存在は日常でよく意識するが(もう少しすると自分が物忘れすることも忘れるかもしれない)、反射神経の存在を意識することはそんなに多くない。多くなくても反射神経の有無は昨日のひっかかりこけ事件のように致命的なダメージにつながることがあるので、これが残っているのは有難い。

 よく言われるように、無くしたモノを数えるより残ったものを意識し感謝することが大事だ。これからの人生、自分にある(残っている)ものでやっていくしかない。新たな可能性が加わることもないことはないだろう。これから自分に何が残って、どういう役が回ってくるのか、ワクワクしながら生きて行きたい。

 ☆昨日の反射神経発揮の場となったため池と一緒に点検した同級生水利委員と。

Dr.1176 心の豊かさ(1月29日)

 気ぜわしくせかせかと毎日を送っている。たまには時間を見つけて芸術や文化に触れる必要があると思っている。文化は心が成長する土壌で、効率とか経済的な生活には直結はしないと思うが、人生は効率や経済的な視点だけで生きているのではないから、心豊かに生きるためにも文化的な土壌を耕しておく必要がある。

 具体的には、時間を見つけて展覧会や美術館、芸術鑑賞や文化講演会などに足を運び豊かな時間を過ごすということだろうか。図書館も良いと思う。

 こういうことは分かっちゃいるけど、なかなか日常山積する業務に追われて足を運ぶ余裕がないというのが大方の人の日常ではないだろうか。さらにドクターはせかせかした時間を生きるのを得意というか癖にしているので、もし文化的な施設を訪れたとしても慌ただしく見て回るということになるだろう。

 それでも行かないよりはましだし、どうせ時間があっても心ゆったりとはいかないと思われるので、それはそれで気にしないようにしたい。

 ともかく、セカセカ日常に何とかバタバタ文化時間を取り入れて、少しは心豊かのまねごとに近づきたい。バタバタしながらこんなことを考えました。ここで終わって次の行事にしゅぱつします。

慌ただしくてすみません。これで心豊かの土壌は耕せるのだろうかですね。

Dr.1175 笑顔ですけど(1月28日)

 世の中難問多いですけど、笑顔で行こうと心掛けて多少無理して笑顔で過ごしてますが、昨晩の村の集会では「何笑ってるねん」と叱られた。

 そもそもこの集会では、どうしたら村の農業を守れるか、作れなくなった人の田をどこまで村の法人が預かれるか、どうしたら村落農業法人の売り上げを上げられるか等と言う深刻な話題を話し合っていた。

 営業担当を置いた方が良いという意見があり、進行役をしていたドクターとしては、最後のまとめで、置いた方が良いのは分かるが、外部の人を雇う余力はなく、今でも村の人材でかつかつの経営をしている中なかなか難しい課題ですね、引き続き検討していきましょうみたいなことを言ったら、置くかおかないかハッキリしてくれと言われて、「えっ」と困って苦笑いが出た時、「何笑ってるねん」という言葉が出た。

 普通の笑顔ではなく苦笑いだったのが良くなかったのかと反省するが、「辛くても笑顔」もなかなか厳しいです。それでもまあ、何やかやとはあっても進んで行く(生きて行く)しかなく、まあボツボツでもできる範囲で行きましょうか。

 ☆村の課題を話し合う会議。笑ってる場合ではないけど、元気を出しては行きたいですね。

Dr.1174 奇跡(1月27日)

 ある校長先生が学校だよりで、数ある国の数ある県のかずある市の数ある学校の中で同じ時期に一緒にこの学校で学校生活をお送る友達や先生との出会いは「奇跡」だ。このご縁に感謝して、大事にこの1年を過ごそうみたいなことを書かれていた。

 さらにドクターが思うのは、この地球が誕生したのも奇跡だし(地球の位置がもう少し太陽に近くても遠くても生物は誕生しなかったらしい)、自分が人間として生まれたのも、両親の出会いがあったのも数々の偶然の積み重ね。つまりは自分がこの時にここに存在していること自体が奇跡で有難いことだ。

 さらにはその奇跡のめぐみの中で生まれた自分が、自力で食べ動いて働いて晩には一杯飲めるというのもとてつもなく有難いことだと思う。コロナでこれまで当たり前に出来ていたことが出来なくなって、日常生活の有難さに改めて気付くことが出来た。

 生きてると思い通りにならないことや難問にはしょっちゅう出会うが、それが当たり前と思って、他の奇跡に比べたら大したことではないと腹をくくって、毎日の問題に笑顔で対処したい。

 なかなか威勢の良い結論に達したが、この勢いがいつまで持つかは心配だが、一瞬でもこんな元気な気持ちになれたことに感謝しながらボツボツ行きたい。この辺りはいつもと同じようになってきましたね。

 ☆昨日はある会議の進行役をやらせてもらったが、このあたりまでは調子よかったのですが。はじめ調子よくってだんだん問題にやり込められる、いつものドクターパターンですけど、これでも十分有難いですね。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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