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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2176 高城山の教訓(1月19日)

 ドクターの通った地元小学校の校歌にも歌われ、丹波富士の名称でも知られる、地元の明峰高城山(459m)に久しぶりに登った。登りに50分、下りに30分ほどもかかってしまったが、登山道は整備され、天気も景色もよかった。

 その土の階段が整備された登山道を登っている時、いくつかの教訓を得た。

・頂上が見えた、半分ほど登ったと思ってからの道程が遠い。

・頂上に到達するだけがゴール(目的)となり、途中の景色を楽しむ等のメリットを忘れがちになる。

・階段は整備されているが高さが決まっているので自分で調整できずしんどい。階段横に少しあるスペースを使うと自分のペース(歩幅)で進むことが出来て楽。自分のペースが生かせるのが大事。

・体力は歳と共に衰えるが、少しづつでも前へ進むといずれゴールへ到達できる。等々

いろんな学びを感じながら頂上に到達し、そこからの写真を友人たちに送ったら、長らくアメリカに住む高校剣道仲間が、高城山から見る市内の景色が懐かしい、自分も息子と登ってみたい(今回の登山にはドクター息子が付き合ってくれていました)と帰って来た。失くして初めて分かる価値もあるけど、人から聞いて改めて知る価値もあるという教訓も得ることが出来ました。

 付き合ってくれた息子、反応をくれた友人たち、途中挨拶をした登山客、山を整備してくださっている皆さん等、多くの皆さんへの感謝を忘れず、今日もボツボツ貢献人生歩みます。

 ☆木の杖も途中大変そうな親を見て、息子が調達してくれました。「老いては子に従え」って教訓もあったような。

Dr.2175 無くして分かる(1月18日)

 震災からの学びでも言われることだが、当たり前の日常生活を無くして初めてその有難さが分かるということがある。2~3日前から風邪を引いたらしく、喉が痛く咳と鼻水が出る。昨日医者に行って診てもらい薬をもらった(コロナとインフルの検査もしてもらって陰性だったが、鼻の中に綿棒を突っ込む検査が痛すぎて泣きそうでした)。

 今朝はまだ咳や鼻水は残るが随分楽になった。毎朝のウオーキング風ランニングはずっと続けていたが、体調が戻ったウオーキング風ランニングがこれほど楽で爽快だったとは。毎日がこの状態なら、この状態の有難さは分からなかっただろう。体調不良を経験して(体調の良い状態を無くして)初めて、普段当たり前にやっている(できている)ことの価値と有難さが分かった。

 ここから、まだ無くした経験のないものの有難さや価値は本当には分からないのかもしれないが、今回の学びを活かして、無くす前にもその価値や有難さに気付き、感謝の心を持って大事に維持していきたい(例えば、直ぐ眠れる、何でも美味しく食べられる、毎日身体を動かすことが出来る等)。

 普段の衣食住、やることがあること等の有難さにも気づき、日常に感謝して自分の出来る貢献を精一杯やって行きたいと思います。いつもと同じような結論ですが、今回は健康の有難さに気付いた後だけに、より一層実感を持ってそう思います。

 ☆普段あまり薬を飲んでない為か、頂いたお薬よく効いたと思います。有難うございました。今日もボチボチ元気で行くぞー「オー」。これが言えるのも、実に有難いことです。

Dr.2174 生かされている(1月16日)

 阪神淡路大震災から明日で30年。30年前に神戸で揺れに遭遇し、比較的揺れが少なかった神戸市北区だったので、その後神戸市長田区の小学校避難所へボランティアに行ったことや、被災した高校を当時の北区勤務高校空き教室で受け入れたことなどを思い出す。

 多くの方が亡くなられたり被災された現場にいて、生かされていることの有難さや、生かされた自分が人のためにできることは何か等を考えた。

 その頃も今も教育に関わっているので、目の前の子どもたちの成長を支援することが自分の使命だと思う。成長の支援と言ってもいろんな切り口があるので、総合的に見ることも勿論大事だが、特に自分の持ち味としては、子ども達に元気さ、楽しさ、活気、あこがれ等を感じてもらうことかなと思う。

 そんなことを考えていると今朝の地方新聞(週2回発行)で、この間の「丹波篠山市はたちのつどい」の記事が出ていて、そこにドクターの写真とその時訴えた「失敗を恐れずチャレンジして行こう」というメッセージが載っていた。

 恥ずかしいような格好でいろんなご意見はあるだろうが、人(若者)に言ったことは自分に帰ってくるのだから、ドクター自身も失敗を恐れず勇気を持って子どもたちの未来に役立つメッセージは伝えて行きたい。

 ☆朝の清掃時の外堀と「はたちのつどい」新聞記事。自分にできる教育、貢献していきます。

Dr.2173 違う世界の人(1月15日)

 昨日は市商工会の新春賀詞交歓会に参加した。商工会の人は、普段会社を経営したり、商売している人が多く、ドクターが普段触れ合うことが多い、教育委員会や教職員、市役所職員の人達とは違う世界を生きる人たちとも言える。

 もちろん、知っている顔の人も多く、同じ地域に住む人間同士、共通点の方が多いが、やはり経営を担っているという責任感やリーダーシップ、独特のオーラを出している人もいて、普段とはちょっと違う世界で刺激も多かった。

 公教育教職員、公務員は子どもや市民のことを第一に考えなければならないが、持続可能な制度や施策の提案と言うことでは、経営的な視点も入れて、それをやることで利益と言うのかベネフィット(利点、プラス点)があり、それを維持していくのが良いと思えるような事業をしていかなければならないという点では共通項もある。

 どこの世界にもユニーク、にぎやかな人もいたり、大人しく控え目な人もいて、そこは業種の差と言うより個性の違いと言った方が良いとは思うが、ドクター的にはここでもにぎやかな役をやらせてもらうことになった(締めの「オー」等)。

 それでも普段話さないいろんな人と話していると、中にはドクター職場ブログを見ている人や、「あんたは本当は大人しい面もある」と本質をついてくる人もいたりして、いろんなことに気付かせてもらい、これもなかなか面白かった。

 ☆こちらは別会場での講演会、これも普段聴く講演とは違って参考になりました。人情は大事にしながら、無理し過ぎず、自分らしくボツボツ。これはいつでもどこでも大事ですね。

Dr.2172 村の会食(1月14日)

 一番近い隣保(12軒ほど)の新年会があった。多くが小さい頃から一緒に育ってきた人達で、一番濃いい近所の人だ。いつも同じような話になるが、子どもの頃山に基地を作って遊んだり、池の氷の上で滑っていて氷が割れて池にはまった話などが出て来た。

 将来この村がどうなるのかという話にもなって、後5年くらいは何とか大丈夫だろうが、その後は分からないという話にもなった。

 どこの家も将来のことは分からないが、生まれ育ったこの村で生活できていることに感謝し、自分(達)のできることをやって行きたい。これまでの先達の方々がやってこられたように。

 村のいろんな人にいろんな場面でお世話になってきた(トラクターや臼摺機が動かなくなった時、お葬式などのしきたりを教えてもらったり、…)。何かしてもらったことばかりを思い出す。今後は自分もできることをやっていかなければ。おせっかいではなく。

 ☆村の公民館からは、こんな景色が見えます。向こうに見える2こぶ山は「けつ山」と呼んで、これがはっきり見えたら、「晴れ」という風に言い伝えられてました。伝統を大事に未来に繋いでいきたいと思います。いい時間を頂きました、ありがとうございました。又今日からぼつぼつがんばります。

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