Dr.2509 今日一日(1月29日)
幸いというのか有難いことに、未だ大きな心配なしに日々を送る試行が何とか続いている。この間に気が付いたことも発信しているが、今朝の新聞に「今日一日を、ぼちぼち生きるのが良いことが分かった」というような高齢の方の投稿が載っていた。
「(先の心配に気を向けず)先ずは今日一日を機嫌よく生きる」「(頑張りすぎずに)ボチボチできるだけ」というのは、このドクターブログでもほぼ毎日触れている(書いている)事だ。あんまり身近過ぎて、これが試行継続のヒントだという意識に気づかなかったが、言われてみると、これも大きな力になる考え方だ。
先のことを考えずに目の前の今日一日を無事に送ることを考えるというのは、あんまり若者(成長期の人)には勧められない考え方かもしれないが、高齢期というのか人生の降り期の人にとってはありの考え方だと思う。
全力ではなくボチボチというのも、下降期ではありとも思う。人生前半の上昇期(人生形成期)と後半の下降期の生き方、人生哲学が異なるというのはありだ。そして、後半の下降期を卑下するわけではなく、無事に機嫌よく人生に始末をつけるというのも大事なことで、下降期も充実してというのか機嫌よく生きるというのは、人生全体から見ても大事なことだ。
人生後半も前半と同じような考え方で、バリバリエネルギッシュに行こうとするのも(できる人には)ありだとは思うが、ドクターもそうだが、人生後半の衰え(体力や知力等)を感じる人には、それを踏まえての生き方、後半期の過ごし方というのがあると思う。
そのヒントをいろいろ探していて、その一つが今回は「ボチボチ、先ずは今日一日を機嫌よく」という考え方・過ごし方なのだが、どうでしょう。「ボチボチ」は何もしないということではなく、今の自分にできるそれ相応(無理しすぎない)の注力はする」ということですから遠慮はいらないと思います。
☆いろんな人や人を超えた力もお借りしながら、一日を機嫌よく生きていきましょう。

Dr.2508 過去と他人は変えられない(1月28日)
ちょっとだけ余裕ができて、本を読む時間があった。生き方とか高齢期の気持ちの持ち方とか関連の本が多いが、その中に「過去と他人は変えられない」というのがあった。今までにも何度か出会った言葉で、自分のものになっていると思っているが、改めてほかの人(著者)も言っていることを知って心強い。
ここからは本に書いてあったことではないが、「過去と他人は変えられない」としたら、今の事態が具合悪ければ(しんどければ)、状況を変えるには「自分と未来を変える」しかない。自分をどう変えて、未来をどう生きやすい状態にするのかは自分にかかっている。
「他人は変えられない」ので、諦めるのか、自分の考え方や対応の仕方を変えるのか、ドクター的には「そのことにあんまり触れない」というのがある。都合の悪い事態(相手)から逃げる、あんまり気にかけないというやり方で、本質的な改善ではないようにも思うが、何事もすべてきれいに解決できるものでもない。
あんまり考えないようにして、他のより考え甲斐のあることに注力していくいくというのもありだと思っている。
高齢期は体力・知力だけでなく、いろんなものが「もうろく」していく。忍耐力や、自己向上力(改善力)も衰えていくのも仕方がないというようなことも書いてある本にも出合った。どんどんなくなっていって、最後はこの世から存在もなくなる。人間というものは、そういうものだという。
いろんな本を読みながら、いろんな考え方ややり方を試しながら、今の(年齢の)自分に合った過ごし方・考え方を試していければと思う。そうそう機嫌を保つ試行はまだ大崩れせず何とか続いています。そんなに綺麗なものではないですが、何とかもう少し続けていければと思います。
☆あんまり代わり映えしない日常ですが、焦らずボチボチできることをやっていきましょう。皆様お元気で今日をお過ごしくださいね。

Dr.2507 どの程度まで求めるか(1月27日)
日常生活でどの程度で満足できるのか。生きて、食べて、寝て、日常生活が送れることだけでも有難いと考えるのか、それで満足しててはだめで、何かを達成するとか、夢や目標に向かって打ち込めたかどうかが大事であると考えるのか、その中間か。
どの考えもそれぞれ理屈はあって、後は各自で決めればいいと思うが、ドクター自身の今の気持ちとしては、個人生活においては生かされて、食べて、寝る、活動できていることが有難いと思っている。体の不調や精神的なしんどさで休まざるを得ない人がいる中、何とか今日一日を心身の不調が激しくなく過ごせるということ自体有難いことだと感じている。
それだけで満足せず、もっと使命感や上を目指してがんばれという意見があることも分かるが、それぞれの生き方、一日の過ごし方はその人が決めればいい。要はその人自身、自分自身が幸せと思えるかどうかだと思う。
世の中には多様な幸せ、多様な生き方があると思うので、自分のやり方を強制せず、各自の生き方、やり方を尊重していきたい。手助けや支援、あたたかい声かけ等は大事だと思う。
今日も先ずは一日を機嫌よく過ごしましょう。やるべきことはやりながら、自他を応援しながら、良い一日が送れれことをめざしましょう。
☆昨日「雪景色撮ってます」と言ってカメラ向けてたら、「雪景色ですか」と声をかけてくれた人がいました。それだけでちょっと嬉しかったです。皆様、今日もあたたかい言動を大事にしながら、ボチボチ行きましょう。

Dr.2506 多いほど良いか(1月26日)
最近、心を平穏に保つ方策(試行)アイディアをいくつかアップしているが、その策は多いほどいいのだろうかと、ふと思った。どれか一つでも自分に合うものがあれば、それで行けるのではないか。
マイナス面ではなくプラス面を見るとか、どちらの感情にも深入りしないでほどほどで止めるとか、最悪よりはマシと考えるとか、生かされているだけでも有難いとか、感謝と貢献を忘れないとか、いろいろあげていると思うけど、多いほどいいのだろうか。
数の問題ではないように思うし、多いほど一つが効かない場合に別のが試せていいようにも思うし、要は数にこだわらず、多くても少なくてもポイントは、日々を平穏に、幸せに送れるかどうかですね。
というようなことで、今回提案した「対策の数をどうするか」という提案も含めて、明確な答えがあるのもないのも含めて、また今日も探っていきたいと思います(試行は続きます)。
考えてみれば、この試行というのか、日々を陽気に生きる道を探るというのが人生そのものかもしれません。ともかく、今日も何とかボチボチ機嫌よく一日が送れますように。「先ずは今日一日、先のことを心配し過ぎない」という考え方も大事にしながらいきましょう。これもまた一つの提案ですけど、「数が多ければいいというものではない」というのも、「数が多いと選択肢は増える」というのも、今日の提案でした。
☆まだまだ解決策(悟り)にはいけてませんね。焦らず、ボチボチ行きましょう。

Dr.2505 最近嬉しかったこと(1月25日)
ある講演会で、「最近嬉しかったこと」を隣の人と話をするように言われて話し合った。相手の人は「子どもが大学に合格したこと」という誰もが納得できる話をされた。ドクターはと言えば、その講演会の直前に覗いた教員の自主的研修会で、子どもたちの学びを進めるやり方を試しておられる先生の発表を聞いて嬉しかったと話した。
上の話を聞いたことは本当に嬉しかったのは間違いないが、相手の方のような誰もが納得するような嬉しいことに思い当たらなかった自分に気づいた。相手には伝えにくいが、最近の直近の不安を気にしすぎずに一日を送れる状態(試行)が続いていることは、結構大きな嬉しいことだ。
それにしても、世間にも分かりやすい一般性のある「嬉しかったこと」が思い浮かばない自分の状態というのはどうなんだろう。もうすでに就職も結婚も子育ても親の見送りも一通り済んで、後は残りの人生をどう生きるかが大きなテーマのドクターとしては、そういうものかもしれないとも思う。
何にしても、「最近嬉しかったこと」があるのはいいことだと思うので、人に言えるかどうか、理解してもらえるかどうかは別にして、自分の中では嬉しかったこと、有難かったこと等を大事にして感謝していきたい。
とりあえず、今日も平穏に一日を終え、一日の締めのトレーニングと一杯を気持ちよくやって即寝するまでがんばるというのか、ボチボチ行きたいと思います。こんなグダグダ文章ですみません。皆様の「最近嬉しかったこと」は何ですか?
☆元気な部活動も見ました。これも今だからできる嬉しかったことですね。嬉しかったこと感度を鈍らせないことも大事ですね。


