Dr.2422 精一杯生きて来たか(11月1日)
一昨日聞いた三千院門主のご高話の中で、「あなたはこれまでの人生を精一杯生きて来ましたか」という質問があって、周りの人を見ないようにして「精一杯生きて来たか、そうでなかったか」どちらかに手を揚げるというのがあった。
ドクターは「精一杯生きてきた」という方に手を揚げて、それを選んだ人の方が多かったと後で聞いたが、一部の人は「そうでなかった」を選んだということだった。
「精一杯・全力で」と言っても、後から考えればもっと他のやり方やもっとできた部分もあったかもしれないが、その時の自分としてはその時の状況(流れ)で出来ることをやって来たと思うので、後悔があるところもあるが、十分やらせて頂け有難かったというのが今の思いだ。
今の時点(人生の後半の方)で、こういう思いが抱けるということは有難いことだと思うが、ポイントは人生の最晩年でもこのように思えるかどうかと言うこと。ただ、最晩年がいつかということは分からないので、いつ終わりが来てもそう思えるように、毎日をできるだけのことをやりながら生きると言うのが大事ということになるのだろう。
でも、いつ終わりが来ても後悔しないように、日々を精一杯全エネルギーを注いで、というのは力が入り過ぎているように思う。ボチボチやったり、一息ついたり、脱力したりも自分らしさなので、結局は日々を自分らしくと言うことになるのかな。門主のお話を聞きながらそんなことを考えました。
☆生きてると本当にいろんなことがありますが、その時自分ができること(いつもベストとはいかないとは思いますし、いろんな事情があるのでその時自分が選んだことを肯定したいですね)をやりながら、ボツボツ行きたいと思います。その時できることをやって、後からもできるだけ自分を肯定できればいいですね。

Dr.2421 機嫌よく生きる(10月30日)
人生の大きな目標の一つには間違いなく「機嫌よく毎日を生きる」というのがあると思う。どうしたら上機嫌で日々を過ごせるかと言うことで、「目標に向かって」とか「生きがい」とか「貢献」とか「健康」とかいうのが関わってくるようにも思う。
そこで、この前ドクターが高齢者大学で話したのが、「人生に完璧を求めない」「適当が丁度良い」「かたよらない、こだわらない」「お気楽に まあいいか」「流れとご縁に従って生きる」等の生き方のヒントということになる。
これはドクターがこれまでの人生体験や学びの中で気付いたことだし、自分に言い聞かせていることにもなる。これはこれで何度も自分に言い聞かせ、時々講演などでも話させてもらっていることだが、一度や二度言い聞かせても、又迷いやしんどさがやってくる。人生そう簡単に悟れないというのも、これまでの人生で分かったことだ。
それでも、悟りと言うのか、快調に生きる考え方を身につけておいた方が今後楽に生きられると思うので、何度も何度も確かめ、何度も何度も試行、そして日々の生活に落とし込むことになる。そして、時々上手く行く。でも又すぐに迷いがやってくる。そんなこんなで生きていて、なかなか完璧に毎日を快調に生きるのは難しいが、「60%で上出来」という考え方も学んだはずだった。
そんなこんなで今日も実践をしながら、よりよい過ごし方、考え方を試していきたいと思います。完璧なのは無いと思いますが、追い求める価値はあると思うので、皆様ご一緒に少しでも日々の生活を快調に生きられる考え方、過ごし方を試し続けて行きましょう。
☆また、今晩も他所で泊りますのでお会いするのは明後日になると思いますが、何か良い報告なり考え方をお知らせできますようにボチボチやってきますので、皆様もボチボチ無理しないで少しでもより過ごしやすい生き方考え方を試していきましょう。今日も写真アップできないようですが、こだわらず写真無しで行きたいと思います。「まあいいか」一日はじめましょう。
Dr.2420 効果が切れ始める(10月29日)
東京旅行中に読んだり考えたりした好影響で、心が安定した時間を過ごせていたが、そろそろその効果が切れ始めたようだ。今生かされていることに感謝し、既に幸福であることに気付き、自分らしく貢献することで良い社会への種を播いておく。
直ぐに効果が表れるかどうかにこだわらず、たんたんと自分らしく種を播き続ける。それが後で森にになるか枯れてしまうかは分からないけど、自分は自分らしく毎日を機嫌よく生きる、これがこの間につかんだことであり、その効果で快調な時間を過ごすことが出来ていた。
何でもそうだが、いつまでも効果が続くことはない。日々出会う課題でまたエネルギーが枯れそうで、弱気やしんどさがやってくる。今のところはまだ少し学び考察効果が残っているようなので、そこまで落ち込まずには行けそうだが、どうなることか。
ここはやはり、このブログもそうだが、自分がいいと思っている生き方・考え方を再確認しながら、再度エネルギーをチャージして、日々を機嫌よくいきたい。それでも又迷いがやってくるだろうとは思うが、それが今までの経験でつかんだことだし、人生だと思うが、そういう時もそれを乗り越えて快調に生きる生き方考え方の強度・完成度を高めて行きたいものですね。
人生上手く行っている時もあれば、しんどい時もある。そういうものです。上手く行っている時に調子に乗り過ぎず、しんどい時に落ち込み過ぎず、たんたんと今自分の置かれている状況でするべきことをやっていく、それもボチボチ。結局こうでうよね。
☆皆様、今日も何とか一日それなりに過ごせますように。皆様のお元気をお祈りしています。ついでに少し自分もそこそこで行けますように。

Dr.2419 森をつくる(10月28日)
東京への旅行中に読んだ本の中で印象に残っていることの一つに「森をつくる」というのがある。リスがドングリなどの餌を地中に埋めるのだが、その場所を忘れてしまって、あちこちに木の実を埋めるので森が出来るということから、自分らしく振る舞うことで、(直ぐには結果が出なくても)あちこちに種を播くということで、やがていつか森にが出来る(かもしれない)ということにつながるのかなと思った。
そういえば、こちらが忘れていたことや気が付いていなかったことでも、向こうが覚えていて、あの時のあの言葉、あの雰囲気良かったですねと言われることが(時々)ある。
自分らしく振る舞うことで、その影響が後々出て来て、何かの結果につながる、つながらなかったとしても、覚えてくれている人がいると言うことは嬉しいことだ。目の前の結果に一喜一憂せず、自分らしく、出来ればよいタネをまいていきたい。
☆市庁舎の端っこから見た高城山(郷土の山)。あんまり気に留めない景色だけど、時々折に触れて、懐かしく思い出されます。この高城山のように、リスが埋めた種のように、自分らしく立ち振る舞ってそれがいつか何かの形(森や景色、懐かしさ)につながればと思います。つながらなかったとしても、森が出来なかったとしても、そこにとらわれずに、自分が今できること、しなければならないことに精一杯ボチボチ自分らしくやって行きたいと思います。それしかないし、それで十分ですよね。皆様もご無理されないようにして、自分に今できることをチボチいきましょう。

Dr.2418 「幸福」である(10月27日)
東京へ出張して、出張中に本を読んだり、人生について考える時間が持てた。そこで参考になったのが「老いる勇気」の中に出て来る、「幸福になる」ではなく、「幸福である」ことに気付くことが必要と言う考え方だ。
前にも読んでいた本だが、「幸福になる」ことを目指すのではなく、もうこうして生かされて生活できていること自体が「幸福である」ということで、後はそれに気づくことが大事という考え方だ。
今生かされていて、心身の不調はあるかもしれないが、何とか対処出来ていて生活が何とか出来ている状態というのは、考えて見ると結構いろんな人やことのお陰で成り立っている。ここに気付いて感謝し、その状態で自分が出来る貢献をしていくというのが大事と言うこと。
ドクターがよく言うところの、感謝と貢献はこの本から来ているのかもしれない。どこの本から来た誰の考えかと言うこともあやふやだが、今の自分の状態に感謝して、それを支えている、あるいはこれまで支えてもらってきた、人々やご縁に感謝して生きると言うことは、本当に大事なことで、自分の生き方も良い方向に導いてくれると思う。それがドクターの今の生き方考え方です。
☆関東の会で話しているドクター。シャツ出てますね。そんなことはともかく、こんないい時間を頂けたことに感謝です。皆様今日もボチボチ上機嫌で行けますように。


