Dr.2272 帰ってきました(5月17日)
3日間の出張を経て帰ってきました。丹波篠山市へ帰ってきたと言うよりは、この世に帰って来たという感じ。というのも、関東にいた時には、ほとんど知っている人はいなくて、電話やメールもほとんどかかってこなかったので、まるでこの世から自分の存在が消えてしまった感じがしていたからだ。
亡くなってあの世に行くってこんな感じかなと思いながら、寂しいけれどある種の別世界を体験していたという感じ。昨夜から地元に帰って来て、普段顔を合わせる人と、普通に話をしたりコミュニケーションをとったりしたのだが、それがこれまでは当たり前と思っていたのだが、しばらくそれがない世界を体験すると、この世にいていろんな人とやりとりするのが生きているってことで、誰も自分を知らない世界で、誰ともコミュニケーションをとらないで過ごすというのはこの世の自分の存在が亡くなったっていう感じであることが分かった。
いずれは本当にこの世からいなくなるのだが、自分がいなくなってもこの世は回っているっているということが体感できた。寂しいことではあるが、それほどの大事でもなく、世の中は自分がいなくなっても普通に回っていくということだ。
だからといってすねるわけではなく、肩の力を抜いて、自分が生かされている間、たんたんと自分の役割を果たし、それが終わればすっと別の異世界へ逝く(今回の関東出張のように)。人生をそんなに大そうに考えなくてよいということだ。今回の出張、いろんなことを考えましたが、力を入れずに日々を生きる、そんな貴重な体験にもなったと思います。ありがとうございました。
☆出張中でもホテルのテレビでやっぱりロペ見てました。あの世に行っても見るのかな。この世にいてもいなくても、肩に力を入れすぎず、たんたんと行きましょう。何事も大きなようにも見えますが、そうでもないとも言えます。自分の存在が消えても世の中回ってましたから。


Dr.2271 こだわり(5月13日)
昨日は朝早くから駅前で「春のあいさつ週間」のあいさつを行った。旗を持った人と一緒に「おはようございます」と駅を使う人に呼びかけた。これまでも何度か立ったことがある恒例の行事で、皆さん笑顔や頷きなどの挨拶を返してくださるので、結構やりがいはある。
難点は朝が早いので、朝の楽しみにしているテレビ「紙兎ロペ」が見れないことだ。そこで、少し早く駐車場について、車の中のテレビでロペを見てから、7時からのあいさつ運動に入るという作戦だ。昨日も車の中でロペ見てから改札口前へ行った。
あんまり「こだわり」は無い方だが、この「紙兎ロペ」を見ることは結構こだわっているというのか、楽しみにしている。それだけアニメがよくできているというのもあるし、昭和風のレトロな風景と最近のトレンドを入れたストリーに魅かれているというのもある。
ともかく「かたよらず こだわらず とらわれず」を生き易さの大事なポイントとしている割には、ロペにこだわっている自分がいて、おかしい。基本的にはこだわりは要らないと思うが、ドクターのロペのような小さなこだわりというのか嗜好は、ちょっと人生のアクセントになって良いのではないかと、勝手に自分を擁護しています。
皆さまも、しんどくならない程度のこだわりで、自分の好みも大事にしながら、今日もボツボツいきましょう。
そうそう、明日早朝から出張で、今度このブログ書けるの土曜日の朝になると思いますので、それまで皆様お元気で、少しでも楽しいコト見つけて行きましょう。なかなかないですけどね。だいたいでいきましょう。

Dr.2270 3人目ですよ(5月12日)
母の日のカーネーションを買いに花屋さんに行って話していて、「鉢植えと切り花とどちらがいいですか」と聞かれたので、「うちは鉢植えがいいです。その後もずっと水をやって長く世話してくれますから」と答えると、また「その花は何ですか」と尋ねられたので、「えー、何だったけな。あの、その葉が細くて、赤い花の‥‥」と口ごもっていると、「シクラメンですか」と別の店員さんが口をはさんできたので、「いやああ、それではないと思うんですけで・・・何やったかな」という会話をしていると、「あなたで3人目ですよ」と言われた。
何が3人目なのかと聞いてみると、「カーネーションを買いに来て、同じような話をして、前に買った花の名前が思い出せないお客さんが3人目」だという。ドクターは「えっ3人も、自分みたいな人がいるんですか」と驚いたり、「同じように覚えが悪い人が多いと聞いて、安心したり」とにかく、世間は面白いと思った。
話は違うが、後で「人生の偶発性を活かす(流れとご縁で生きると言うことに通じると思います)には、柔軟性や楽観性等が必要」という記述を見つけて、思い出せないことを嘆くのではなく、面白いとお気楽に捉えて前を向くのは結構良いことなのではないかと思ったりした。こんな風に考えるなんて結構ドクターにもお気楽なところがありますね。
落ち込むことも多いけど、今生きられていると言うことは、自分でも気づかないかもしれないけど、結構お気楽というのか、楽観的な見方も出来ているはずです。時には自分の長所も見て、ちょっとだけ自分の良さを見直しましょう。そんなちょっとしたホッと一息もあってもいいんですよね。
☆「3人目ですよ」でちょっと驚き、自分のお気楽さにも目を止めることになった、母の日の一コマでした。皆さんも、時にホッとした時間を。まずは今日一日をボツボツいきましょう。

Dr.2269 人生不可解(5月9日)
昨日は今月講演を頼まれている組織の方がお見えになって、参加予定者がどういう方々で、どのような話を期待しているのかを説明してくださった。数年前にもドクターが講演したことがあるという。こちらの記憶は怪しいので、かつてよくやっていた講演記録などを見返していると、なかなかいいことを言っている。
その中に「人生不可解 何が良くて何が悪いのかは最後まで分からないので、こだわらず、流れとご縁でやる流れになったことをたんたんとやっていく」というのがある。前にも書いたかもしれないが、これがやたら心に響くというのは、今が一つの人生の転換期(節目)という予感があるからかもしれない。
これれから人生がどう展開していくのか、不安もあるけど、一喜一憂せずたんたんと自分がやる流れになったことを、感謝と貢献の気持ちを持って進んで行くしかない。これもいつも言っていることと同じですけど。
来客の方とお話ししていて、当日配付予定の資料にあるドクタープロフィールを見せてもらったら、改めて自分の人生(経歴)結構面白いとこを歩んできたなという思いがしてきた。流れとご縁で歩んでこさせてもらったこれまでの人生に感謝するとともに、これからはどんな風になっていくのだろうという期待と不安が入り混じった気持ちにもなった。
まあこれも人生不可解、自分で自分の人生が全て分かっている訳ではないので、不可解を楽しみながら、何をやっても出て来るプラスマイナスの出来れば、プラス面を中心に見つめながら、陽気に進んで行けたらと思う。
今度の講演も、皆さんに喜んでいただけるか不安もあるけど、どうなるのか楽しみもある。あんまり自信はないけど、できればプラス面、楽しみな面、期待面を膨らませて当日に備えたい。皆様、これからの人生、いくら考えても分からない所もあるので、一つ一つベストというのか、自分に出来ることをやりながら前へ進んで行きましょう。何が良くて何が悪いのかも考え方一つですものね。

Dr.2268 五月病(5月8日)
新学期・新年度が始まり緊張していたのが5月の連休でホッとして、それが終わって又学校や会社が始まるのが由鬱になって休んだり、体調不良や気分の落ち込みなどが起こると言われている。
新しい環境や思っても見なかった事態には誰でも緊張や戸惑いがあると思うが、何とかそれを乗り越えるというのか持ちこたえて、もう少し新しい環境での生活を続けて行ければ、多分1年もしたら何とかなるだろうと思うのですが。
自分の体と心の健康が第一なので、無理はしてはいけないけど、なぜドクターが「一年頑張ればなんとかなる」というのかというと、自分の過去の経験があるからだ。嬉野台生涯教育センターに変わって一年目は本当にしんどかった。上下関係の厳しい職場で、決済なども投げ返された思い出がある。もうここを続けるのは無理と思い、家族もあるので仕事はやめられないから、職場を変わりたいと1年思い続けていた。
ところが何とか1年立ったらその状態にもなれ、その後自分のライフワークともいえる冒険教育とも出会え、そのまま7年間もその職場で勤めた。自分としては、一生そこでもいいと思っていたほどだが、その後は流れとご縁で教頭、副所長、校長などを勤めて今に至っている。
自分の小さな体験かから、1年立てば五月病も直るというような軽々なことはいえないが、皆さん、連休明けしんどいでしょうが無理し過ぎず、自分の最善の対処法で乗り越えて行きましょう。その際、もしドクター体験が参考になるなら使ってみてください。でも、1年間はやはり長くてしんどかったので、今なら持たないような気もしています。決して無理せず、命を紡いでいくのが一番を忘れず行きましょう。周りの人の様子も気にかけながら、自分のことも油断せず安心できないのを忘れず、ボチボチペースをつかんで行きましょう。
☆堀に浮かぶ水鳥を撮ろうとしたのですが、あやつ魚取りに潜ってしまいました。なかなか元気です。この無心見習いたいですね。
