Dr.234 旧年中はお世話になりました(12月31日)
いよいよ今年もラスト一日となった。ラストであろうと最初であろうと一日は一日、いつもと同じように充実して行きたいと思うが、世間が年末大晦日モードなのでなかなかいつもと同じようには過ごせない。例えばほぼ毎日行っているトレセンが休みだし、平日毎日見ている『紙兎〇ペ』も今朝はやっていなかった。夜の会合もないので寝る時刻が早くなり夜中に目が覚めた。トイレ以外で就寝途中に目が覚めるのは久しぶりだ。夜中に布団の中で紋々としていると碌なことを考えない。「人生如何に」とか「何故生きる」「生きる目的は」とか考えすぎるのは良くない、「自然体でやる流れになったことを精一杯やっていく」これが人生、特に定年後の定職無し人生の秘訣と学んだはずだ。なのに年末の世間が休みモードに乗せられ、うっかり思索の罠に掛かってしまった。でも今朝早朝の読書(おっさんの朝読)で、禅宗僧侶が「心に去来する不安や心配事は受け流せ」と言われているのを読んで安心した。放っておくと誰の心にも過去の後悔や未来の不安等悩みが訪れるのは普通の事なので、大事なことは訪れた不安や心配事をいつまでも引きずってはならないということだと教わった。それを修業と言うらしい。人に言われたことを真に受けるのはドクターの得意とするところだ。というわけで、平成30年最後の日も迷いと(一時的)悟りというこの一年を象徴するような展開で締めくくりそうだ。ともかくこの一年こんなドクターのドタバタな毎日にお付き合いいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
☆正月飾りの準備が済んだ自宅前で本年中のご愛顧への感謝とご無礼へのお詫びをするドクター。皆様のおかげで本年も面白う過ごさせていただきました。感謝。サンキュー。メルシー。
Dr.233 自分らしさ(12月30日)
年末年始の飲み会や忘年会(飲んでばかりですけど)で久しぶりに会う人が多かったが、年齢や仕事、家庭環境は変わっても話してみるとみなさん昔と変わらず、個性というのか自分らしさはそのままだ。人間の細胞は何日間かで全て入れ替わるというような話を聞いたことがあるが、年齢による変化で姿かたちは変わっても、その人の芯というのかコアな部分はあまり変わらないような気がする。楽天的な人はいつ会っても楽天的で、悲観的な人はいつも悲観的な話をし、嫌みを言う人はいつも嫌みを言う。先日は遠くからボチボチ走る姿を見て「丹後さんだと分かった」と言われた。生き方考え方はもちろん走り方やしゃべり方までその人らしさが出る。自分が考える自分らしさと他人から見た自分らしさに異なる部分もあったりして、なかなか本当の自分らしさをつかむのは難しいし、変わっていく部分もあると思う。それでもやっぱり変わらない自分らしさと言うものがあって、その変わらない部分は変わらないとすれば、それをうまく理解して付き合っていくしかない。さて問題は自分(ドクター)の自分らしさがどういうものかということだが、この齢になってもつかみ切れていない。でも今まで付き合ってきた自分だから大まかにはこんなもんだろうという思いはある。出来れば最後までこの自分らしさとうまく付き合っていきたい。
☆うちの村にも雪が降ってきていつもと違う景色だが、その下には変わらない大地がある。この土地でこの土地を活かしながら生きていく。
Dr.232 地域で生きる(12月28日)
定年後の今年を振り返ってみると、生活の中心が職場(学校)から地域に変わったことを実感する。地域でいろんなこと(各種委員会委員や市長後援会やスポセントレーニング等)をさせてもらって、これまでとは全く異なる人たちと触れ合うことが多くなった。まだそれほど深い付き合いまでは発展していないがボツボツ交流の幅と厚みが広がりつつあるような気がする。先日も普段は顔を合わせて挨拶程度のトレーニング仲間とそれぞれの身辺情報を交換し共通の知人の話で盛り上がった。向こうは7~8歳上で元社長だが気さくな方で、海外旅行が趣味だとおっしゃるので今度ご一緒したいですねと話していると、お気に入りのタイに行きつけのホテルがあってスイートルームに泊まるとおっしゃる。10泊スイートの旅行にお付き合いするには気合がいるが、もし実現すればこれまでの教員ばっかしの世界から違う世界が覗けそうで楽しみだ。まだまだ夢の段階だがいくつかやってみたいこともあり、ちょっとづつでも夢に向かって行動していきたい。実現するかどうかは時の流れ(神の意志)によると思っているが、定年後の生活では何にもしないで考え込むのが一番よくないことは学習したので、バタバタと忙しくせわしなく日々をやることで埋めていきたい。師走だけでなく年中走ってる感じだ。
☆新年の飾りに使う松を近所の山へ採りに行ったり、地域の会館に地域の人と「NHK大河ドラマ明智光秀ゆかりの地の垂れ幕」をつける準備をしたり、地域で地域の人と活動しています。いつまで続くか分かりませんけど。
Dr.231 見かけでは分からない(12月27日)
映画や書籍、日産の〇ーン氏などを見ていると、世界的な有名人でも見かけの華やかさでは分からない孤独や影を内面に持っていることが分かる。誰もがうらやむほどのお金や名声や地位があっても、日々幸せかどうかとは別らしい。誰もがうらやむほどのお金や名声や地位と日常の凡人の幸せのどちらをとるかは難しいところだが(日々の幸せの方が大切に決まっているやろと即答できないところが凡人ドクターの弱い所だ)、誰もがうらやむほどのお金や名声や地位と縁がない者としては、何の憂いもなく「日々の幸せ(上機嫌)」道を追求できる。誰もがうらやむほどのお金や名声や地位がなくて良かった。日々の幸せは見かけではない内面の心の持ち方(考え方)によるところが大きい。家族一緒に平和で安心な日々の生活が営めていること(平凡でも穏やかな日々)の有難さに気付き、感謝の心を忘れず、自分のできる範囲で人のためになること人が喜ぶことをやっていくこととしよう。
☆今日の写真はナンテンとドクター。前のセンリョウと同じではないかと言う意見もあるだろうが、見かけでは分からない違いに気付いてほしい。ドクターにもクイーンのフレディや日産の〇ーン氏ら世界的な有名人と同じく見かけの幸せそうな表情からは分からない内面の葛藤がある。調子に乗って自分を世界的有名人と同じ土俵で語るとは、こいつの内面葛藤もたいしたことでもないかもしれない。
Dr.230 1年・人生を振り返る(12月26日)
年の瀬は1年を振り返るのに適している。ドクターの1年を振り返ると定年退職を経て「高校絶こうちょう」から「冒険教育家ドクター」へ転身し、これまでの人生で経験したことのない大きな変化があった。仕事的には大変化だが、気持ちと言うのか人間性自体はそれほど変わっていないような気がする。それは『校長先生絶こうちょう』ブログから『ドクターのお気楽な毎日』ブログへと引き続きご愛読頂いている皆様にはすぐにお分かりいただけるのではないでしょうか。「絶好調」も「お気楽」も「上機嫌」共々自分の人生の共通したテーマだ。ともかく「この一年は望んでいた通り面白かった上出来だ」と妻に話すと「忙しそうで(家事を期待したほどやってもらえず)私が大変だった」と返されたので、この話は分が悪いのでひとまず置くことにした。話を転じてこれまでの人生自体を振り返ると、やはり一番思い出されるのは退職の前年に引率したオーストラリアでのホームステイ2週間だ。そこではこれまで経験したことのないゆったりした時間が流れていた。何度思い出してもあの場所で過ごしたあの時間は幸せだった。外国というのが良かったのか、ホームステイというのが良かったのか、出会った人々が良かったのか、あの解放感の理由を探り、できればもう一度体験してみたい。あれ、次の夢と言うのか、ほっておくと面白くもない定年後の人生にちょっと元気が出て来た。過去の時間・人生を振り返るのも悪くない。
☆当時お世話になったホームステイファミリーと姉妹校の校長先生、交流した子ども達。振り返りが美しいのは今が充実していないからなのか、いいえ今の良さ(有難さ)は得てして後から分かるものらしいことは薄々気が付いてきた。