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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1903 オープンマインド(3月24日)

 今日はこれから短期海外留学の出発式がある。今の子どもたちは、小学校の頃からALTなど外国の人に出会ったり、話したりする機会はあると思うが、ドクターの頃はそういう機会があんまりなかったように思う。働き出して、ドクターが初めて、海外へ行って、現地の人に、単独で話しかけたのは「May I take a picture?」だったような気がする。自分の写真を撮ってもらいたくて言ったのだが、今から考えると違っているように思うが、その時はカメラを差し出すとボタンを押してくれた。

 何んせ、初めての外国、初めての外国人に、自分一人で英語で話しかけて、それが通じるという体験は新鮮で強烈な思い出となった。ドクターのように少々間違っていても、発音や単語が怪しくても、勇気を出して心を開いて、相手と会話や意志疎通をしようという気持ちが大事だ。

 そのためにも、心を開いて自分から話しかける、心を開いて自分からいろんな機会を求める、いろんな申し出に応じる、出来るだけ断らないというような、オープンマインド精神が大事だと思う。そしてこれは、外国へ行く時だけでなく国内でも、いろんな機会でも大事なこと。

 心を開いていると、いろいろと付き合いや可能性が開けていく(チャンスが多い)。それだけ、傷つく場合もあるから気を付けなければならないが、だからと言って心を閉ざして生きるというのは生き方を狭めて行きにくくなる。

 できるだけでいいので、心を開いていろんな人と触れ合って、いろんな経験をして、可能性を広げて行きたい。今回海外研修に行く人も、見送る人も、国の外でもなかでもオープンマインドでいきましょう。

 ☆前に見た奇麗な満月。写真撮ってもいいですか?誰に聞いてるねん。

Dr.1902 いろんな生き方(3月23日) 

 昼間ウロウロして、いろんな人に出会う。自分の使命感で生きている人。好きな世界に生きている人。自分らしく生きている人。感動的な人。クールな人。オープンマインドな人、人懐っこい人、…みんなそれに該当する人が思い浮かんでいるのだが、ここでは個人名はともかく、いろんな人がいろんな生き方をしているということを伝えたい。

 それぞれの生き方はどうして決まるのだろう。遺伝・性格・家庭の育て方・考え方・環境・経歴・考え方などいろんな要素が絡まっているし、その要素同士も影響し合っている。結局それが自分というものだろうか。ただ、この生き方、自分というものも定まったものではなく、変わっていくし、揺れている。

 例えば、ドクターの場合も、お気楽なところもあれば心配性のところもある。根本には「人生・物事はなるようにしかならない」し「自分の思いだけで生きているのではない(生かされている)」という考えと、「自分にはそこそこいいところもある」という自己肯定感があるので、お気楽(お調子)者と言えるかもしれない。

 まあ皆さん誰にでも良い所と、直した方が良い所があるので、長所を活かし、直した方が良い所の改善に取り組んで行きましょう。これは万人に共通する生き方になると思うが、自分の思考の限界もあるので、絶対に正しいとは言い切れないことは分かっています。でも、そこまでくると、もう自分の力の及ぶ範囲の限界を超えているので、「もうこの辺が自分の限界です。勘弁してください」みたいな気持ちだ。勘弁してくださいで終わるとところが、やっぱり、お気楽なのかな。

 ☆こどもが好き、子どもに近い、これは変わらぬ特質かも。自分の生き方、自分の味出して、ボチボチ行きましょう。今日もお元気で。

Dr.1901 オアシス運動

 市役所であった献血の時に中学校時代の同級生女性から話しかけられた。「丹後君は中学校で生徒会長の時にオアシス運動やってたね。それから校長先生の時、『校長先生絶こうちょう』ブログやってたでしょう」とよく知っている。

 中学校生徒会長選挙では、有力候補だった「かしこくよくできる」男子生徒女子生徒らに対抗して、選挙演説でパーフォマンスして当選してしまった。公約特に考えてなかったので、そのころどこかで探して来た『オアシス運動』(おはよう ありがとう しんせつ すみませんの頭文字をとった運動)を咄嗟にやったのを思い出した。

 自分でも忘れかけていた中学時代の思い出を、その頃の同級生が覚えていてくれるとは驚きと共に、自分のやったことはいつまでも人の記憶に残るということに気をつけなければいけないと思った。

 それにしても、その頃からドクターのやってることは本質的には変わらない。人前での一発芸、思いついたアイディアでやっていく。この生き方には良い面も悪い面もあると思うが、自分の持ち味、本質と言うことで、これで行くしかない。この生き方の良い面を伸ばし、マイナス面のカバーも意識してやっていく。こんな感じで行くのが良いのだろう。

 献血のお陰で、良い出会いが出来ました。ライオンズからのプレゼントもあって、やっぱり人助けは幸運につながっている。これからも出来るだけ、人のお役に立てることはやって行きたいと思います(献血は70歳までらしいですけど)。

 ☆雪の中の春の花。春は着実にそこまでやって来ています。みなさんに今日も良いこと一杯ありますように。

Dr.1900 代替わり(3月21日)

 70代はまだまだ元気だと思うし、80代90代になってもお元気な方はおられるが、70代でも亡くなられる方はおられるし(勿論60代以前でもおられます)、世代交代をされる例をまじかに見る機会がいくつかあった。

 特に村の集会や行事で思うのだが、子どもや孫に代替わりしている家もある。そして、若者は元気だし、体力的に頼りになる。自分で年齢を意識し過ぎて、かえって限界を作るより、年齢など意識せず、自分が出来ること、したいこと、頼まれたこと等を出来る範囲で、最後までやり続けるのが良いと思うのだが、代替わりしていい面もあるので、自分は絶対に代替わりしない(したくない)というのも違う。

 ここもまた、代替わりするしないは流れに任せて、出来るうちはできることやしたいこと、任されたことをたんたんとやって行くのが良いのだろう。

 一番のポイントは、毎日を元気に活き活きと生きるということ。そこを大事に、今日も精一杯いきましょう。ボツボツですけど。

 ☆いつもの自分の部屋から見る山側の景色です。お隣の家の屋根に雪積もってます。この時期にこんな雪、珍しいとは思いますが時々はあります。何事もそんな感じでしょうか。

Dr.1899 人事(3月20日)

 人事の季節になってきた。これについてよく思うことだが、人事は「ひとごと」とも読めるように、自分の意思だけでなく(意思とはあんまり関係なく)、いろんな要素(例えば、たまたまその時そのポストに空きが出来た等)で決まっていく。

 たまたま空きができても、全く不適な人ならそのポストに就くことはないだろうが、ものすごく適当な人でも、その年、そのポストに空きがなければ他へ行くしかない。そして、そこが空いた時には、その時の事情(齢がいった、今ついている職を止めるわけにはいかない等)で就けない時もある。

 このように考えると、異動により回って来たポストは、いろんなご縁(大きな意思)が働いた結果であり、それを受け取って、しっかりとそのポジションを勤める(少なくとも一年、多くの場合は数年)のが良い。嫌だと言って(自分には荷が重いと言って)も断ることは出来ず、嫌々(しぶしぶ)やっていたのでは、せっかくのそこでの学びがなくなる。

 ドクター人生を振り返っても、自分の意思とは関係なく決まった職場、ポストで、それぞれの学びや出会いがあり、今の自分を作っている。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるが、もっと言えば「置かれた場所で自分らしく生きなさい」。咲くか咲かないかは、その時の諸条件による。咲く咲かないにこだわらず、自分らしくやるのがいい。第一、「咲いたかどうか」も何をもっていうのか、一時咲いたように見えてもそれが却ってマイナスだったり、逆に咲かなかったように見えてもそれが後の「咲き」に繋がるということはよくあり、簡単には決められない。

 ☆早くも咲き始めた桜。早く咲くと早く散る。いつ咲く、どれくらい咲くのが良いかも簡単には決められない。やっぱり、与えられた場所で、咲く咲かないにとらわれず、自分らしくやるのがよい(精一杯がいいのかボチボチがいいのかも自分らしさの中に入る)。まあ皆さん、ボチボチ行きましょう(このブログ見てくれている人には、この呼びかけが合っている人が多いと思うのだが、ということはこのブログ見ている人にはボチボチ派が多いということかなあ)

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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