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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2307 励まし(6月26日)

 厳しい状況が続いている。「がんばって行きましょう」と委員の皆さんから励まされたりするほどだから、傍から見ても落ち込んでいるように見えるようだ。

 睡眠が十分でなかったり、声もおかしいようで、「のどの調子がおかしいみたい」と奥さんに言ったら、「そんなのしゃべっていたら治るわ」と言われた。確かに、昨日も大きな声を出していたら、ましになった。

 励ましにもいろいろあって、直接「がんばりましょう」も良いけど、奥さんのように落ち込みに同調しないでポンポン言うというのも、「気にしていたら余計落ち込むよ」という真意がつたわってきて、結構いい励ましになる。

 そんなこんなで皆さんに励ましてもらいながら、何とか持ちこたえているが、ギリギリのところはある。自分がしたことというより、いろんな事態の最終的な責任を取らなければならないと言うことで、なかなか重責を感じる。

 ともかく、歩みを止めるわけにはいかないので、自分に今できる最善をやりながら、いけるところまでやっていくしかない。皆さんもいろいろ大変でしょうけど、歩みを止めず、出来ることを精一杯でもボチボチの精神も忘れず、何とか今日を乗り越えましょう。

 ☆6年前に撮った写真。ここがどこなのか、何を撮りたかったのか定かではありません。

Dr.2306 完璧はない(6月25日)

 今朝早く畑を耕そうとしていた近所の方と話していて、「もう黒豆の苗は全部植えたのか」と聞かれたので、「植えるのは植えたけど、その後雨が無くてなんぼか枯れてしまいました」というと、「うちは今日植えようと管理機をかけているが、逆に土が濡れていて管理機が通りにくい。」という返事で、「百姓仕事に完璧はないなあ」ということで一致した。

 「完璧がない」のは百姓仕事だけでなく、何事でも百姓仕事における天候のように、自分ではどうしようもない条件があるので、自分の思い通りの結果にはならない(完ぺきではない)ということだ。

 ドクター言うところの、流れとご縁は、そういう自分の思いだけではどうしようもない事態の展開は大きな力に任せて、自分は自分の出来ることに専念するという意味もある。この考え方でだいぶやってきたので、今回の移植後の雨無し状況は嫌だけど仕方がないと考え自分が出来ることをした後は(朝の水やりなど)、苗の着き具合は天(流れとご縁)に任せている。

 あんまり着きが悪いのが明確になったら、その後自力で出来ることを頑張り(補植など)、その後の出来はこれまた天に任せる(流れとご縁に任せる)。そうしう意味で、他のことでも完ぺきはないけど、今日も何とか自分に出来ることを頑張り、進んで行きたいと思います。

 ☆5年前の今頃。PAJ(プロジェクトアドベンチャージャパン)の東京事務所で林代表に逢ってたようですね。時にやりたいこともやりながら、それでもこの時に代表に会えたのは自分の力だけでないことに感謝しながら、ボチボチ全力で今日もいきましょう。

Dr.2305 また怒涛(6月24日)

昨日の朝「ちょっと一息」なんていう暢気なブログを書いて油断していたせいか、昨日は又怒涛の一日だった。話し合い話し合いで疲れてしまった。最後の方には、「それで何が言いたいんや」って大きな声を出してしまった。ドクターが大きな声を出すなんて、自分で覚えている限り初めてだ。

  意見を出し合う場なので、いろんな可能性から思いつくことを言うことは大事なことだ。それでも最後は、だからどうするということを決めなければならない。昨日は何時間もその話題ばかりで、他のことはできなかった。いろんな案件が起きているのも事実だし、それぞれに対応していかなければならないという焦りもあたのかもしれない。

 今日もまた、いろんな案件が起きる怒涛の日々が予想でき、精一杯できる努力はして行きたいが、精一杯以上のことはできない。まあ何とか皆さんの力を借りながら、関係者の皆さんのよりよい方向に向かって進んで行ければと思う。

 ☆元気に遊ぶ子どもたち。これを見ると、束の間ではあるが元気が出る。そのあと、また大変でしたけど。今日も一日何とか乗り切りたいと思います。皆様も何とかより良い今日が進みますように。

Dr.2304 ちょっと一息(6月23日)

 懸案事項は山済みで、今後の展開が心配なことばかりだが、昨日の午後は久しぶりに会議もなくちょっとほっこり一息つくことが出来た。お昼に童謡唱歌まつりで、元気に歌っている方々を見た後、市役所に戻ったが、その後買い物をして帰って一杯飲んで寝るまで、特に何もないホッと一息タイムを過ごすことが出来た。

 トレーニングと買い物と、一杯飲んで即寝という何の変哲もない過ごし方だが、これができるということに安堵感を感じた。

 このブログでも時々書いていることだが、何もない日常の何と有難いコトかということだ。何もないことを当たり前と捉えず、すごく恵まれた有難いことと感じることが出来るかどうか。これもいろいろ難題が起こる日常を過ごしているお陰で気付くことが出来ている。

 だからと言って、難題が欲しい訳ではないが、難題は放っておいても向こうからやってくる。難題は厄介だが、こだわらずかたよらず淡々と少しでも良い方向に向かって進んで行きたい。それしかないし、それができれば良しとしなければならない。完璧な解決はなかなかないが、できるだけよりよい方向の解決を目指してがんばって行きたいと思います。

 ☆ホールであった童謡唱歌まつり、皆さんお元気で活動されていました。当たり前に感謝しながら、今日もボチボチ全力でいきましょう。

Dr.2303 用事があること(6月22日)

 昨日、人生の先輩の話を聞くと、定年後何もせずに家にいることが続いた時、しゃべる時に舌が回らなくなったりして、これではいけないと、何かと用事を作って外へ出て人と話す機会を持つようにしているとのことだった。

 昨日も早朝の黒豆苗水やりから始まり、何やかやと用事があり、夕方には韓国ソフトボールチームの歓迎レセプションに出て帰ればバタンキューで即寝のドクター休日は用事に溢れていて、退屈はしない。

 ドクター人生も定年後に一時、比較的時間に余裕のある時があって、喫茶店のモーニングやら、景色の良い所を見つけたら車を停めてランニングという生活を送っていたことがあるが、それはそれで懐かしいが、今のバタバタ毎日と比べてどうなのかと言っても、どちらも一長一短あって、どちらになろうと(日々用事の人生か日々時間的余裕の人生か)、良い方を見つめて行くしかない。

 どちらも良い所も大変なところもあるが、敢えてどちらかを選べと言われたら、バタバタ癖のあるドクターとしては、毎日用事がある人生だろうか。用事にもその重さや頻度もあるので一概には言えない。結局、どういう割合で用事がある人生になるかは、流れとご縁に任せたい。

 昨日は、バタバタの中、エアコンの掃除もしましたが、こんなのも含めていろいろ用事はありますね。皆様も今日がほどほどの用事で、まあまあの形で終えられますように。ボチボチ行きましょう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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