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ドクターのお気楽ブログ

Dr.630 絶こうちょう復活(4月2日)

最近、丹波篠山市の絶こうちょう化について考えることが多いと言っている(書いている)と、かつての校長時代にドクターが「絶こうちょう」と呼ばれていたことを知る人が「絶こうちょう」復活ですかと言われた。そう言えば、最近は冒険教育で「ドクター」というニックネームを名乗ってお仕事をするより、一市民として市の絶こうちょう化を考えている時間の方が長いので「絶こうちょう」をニックネームにする方が良いのかもしれない。その場合は調子よく生きるという自分の生き方「絶好調」と経歴の「前校長」の掛け言葉ということになる。ともかく前校長時代に得た「一人ひとりを大事にする」「学校の主役は生徒であるかを忘れない(教師の都合で物事を決めない)」「生徒の中へ」という教訓を活かして、「市民一人ひとりを大事にする」「市政の主役は市民であることを忘れない(役所の都合で物事を決めない)」「市民の中へ」という姿勢で市の絶こうちょう化を考えて行きたい。あれっこれでは「校長から市長へ」宣言みたいに聞こえてしまうが、そんな大それたことではなく「絶こうちょう」復活宣言ということで。

 ☆雨の中市内をうろうろしていると、市内の桜の名所の桜が雨にも負けず満開になろうとしていた。絶こうちょうもプレッシャーに負けず絶好調で行きたい。

Dr.629 贈る言葉(4月1日)

今日から新しい年度が始まる。丹波篠山市の絶こうちょう化に向けても新たなステージの始まりだ。新たなステージだからと言って急に変わったことをやるわけではない。基本はこれまで通り、大事なものは大事にしながら、変えるものは勇気をもって変えていくということだ。その大事なものの一つに、相手を思いやり勇気づける言葉や気持ちを大切にするということがある。昨日ドクターもこの1年間お世話になった市民センターの暮らし案内所(空き家バンク窓口)を4月からのチャレンジのため辞任したが、いろんな方から暖かい贈る言葉を頂いた。「あなたがいなくなると(あなたの顔が見られないと)寂しいです」「あなたの顔を見ると元気づけられました」「一緒にお仕事が出来て嬉しかったです」「なんでもう辞めるんですか。まだまだできるでしょう」「チャレンジ頑張ってください」etc.大したことも出来ていないのに多くの方から身に余るお言葉をもらった。やっぱり人は一人では生きていない。多くの人に励まされたり勇気をもらいながら生かされている。市の絶こうちょう化にしても日々の営みにしても、周囲の人と協力しながらやっていくことが大事で、それにはやはり暖かい言葉や思いやりが欠かせない。昨日の別れの1日、そのことをまた再認識した。

 ☆桜と暖かい言葉に見送られ1年間お世話になった丹波篠山市民センターを去るドクター。別れは寂しいけれど、新たな出会いを楽しみに歩んで行きたい。

Dr.628 犬も歩けば(3月31日)

「犬も歩けば棒に当たる」という言葉があるように、ドクターも近所を歩いていると思わぬ光景にでくわした。最初はよくわからなかったが、カラフルな盛り上がりが民家の屋根の向こうに見え、何だろうと思ってさらに近寄ってみてみるとその盛り上がりが浮き上がっているのが分かり、ついにそれが気球であることが分かった。こんな時期にこんなところで大きな気球を、しかも3つも目撃するなど全く思いもよらなかっただけに、驚き、やがて興味津々で、やはり家に閉じこもっていては見られない面白いものをみられないので、何でもどんどん外に出かけていけば時には面白いものに出くわすことができると肝に銘じた。この日は、まち協でお世話になった事務員さんが本日限りでお辞めになるというのでご挨拶に行った際に、この滅多に見られない光景に出くわしたのだ。やっぱり人に感謝を伝える行為は福につながる。この気球ウォッチングを機にこれからも人に感謝を伝えたり、人に喜んでもらえる行為のために、犬のようにどんどん歩き回ろう。

 ☆「犬も歩けば棒に当たる」の諺の通り歩き回っていると、民家の屋根から気球という思わぬラッキーな光景に巡り合った。これからも市の絶こうちょう化のために歩き回れば思いもしないラッキーに出会えるかもしれないので、積極的に歩き回ることを心がけよう。でもこの諺には、「でしゃばると思わぬ災難に遭う」という逆の意味もあることが後から分かった。こっちにも気を付けなければならないし、いったいどっちにしたらいいねん。

Dr.627 また聞きの応援(3月30日)

ドクターの4月からのチャレンジについて、「だれだれも応援したいと言ってますよ」という話をまた聞きで聞くことがある。もちろん直接聞くのも嬉しいのだが、間接的にまた聞きで聞こえてくる声もしみじみと心に届く。直接ご本人に「ありがとうございます」が言えない分、余計にいつまでも心に残る。さらにまた聞きの良い所は、本人の意思が直接ドクターに伝わらないかもしれないが、そんなことには頓着せず、「ドクターのチャレンジを応援したい」という意思を表明されているわけだから、その気持ちの純粋さは疑いのいない点だ。 ドクターモットーの「自分がしてもらって嬉しかったことは人にもする」から、これからは直接その人に言う機会がなかったとしても、応援や支持の気持ちは周囲に発信したい。そのことがまた聞きで相手に伝わればいいし、伝わらなかったとしてもそれはそれでいい。そんなことには拘泥せず、人の応援や嬉しい感想はどんどん表に表していきたい、その逆(悪い噂は直ぐにその人にも伝わるので、悪い言葉は使わないようにすること)にも気を付けながら。

 ☆気付いてくれる人がいるかどうかなど気にせず咲く裏山の白い花。何かの拍子にこの姿に気付くとその印象はより強く心に響く。

Dr.626 見かけでは分からない(3月29日)

一緒にトレーニングに行っていた息子が「お父さんの足の筋肉はすごい」と言った。「いやあ見かけ倒しで、走ったらお前の方がずっと早いよ」と応えたものの、子どもから褒められるのは気分が良い。でも気分の良さはさておき、ドクターの足筋は確かに40年以上走っているので一見立派なように見えるが、実際の脚力はこのブログで何度かお伝えするように年々衰え、今では散歩のおばあさんより遅いほどだ。見かけでは分からないのだ。見かけで分からないと言えば、学校が長期休みに入っている高校生の娘が部屋からほとんど出歩かない心理状態だ。親としては随分退屈で、たまには外に出て外気に触れないと気分的にも身体の健康面でも心配だが、どうも本人は出歩かないで部屋で過ごすという状況が全然苦にならないらしい。これも見かけでは分からない。このように世の中には見かけでは分からないことが多い。かと言って全ての事象を内実まで分け入って真実に迫れるかと言うとそうもいかない。見かけと想像力で判断するしかないことがほとんどだ。だとすれば見かけもそれなりに大事ということになる。結局は見かけも大事だが、それが全てでもないことも忘れないようにして、内実にせまる努力もしなければならないということか。丹波篠山市の人口や出生数など見かけの数値は悪化しているが、人口や子どもの数は減っても市の活力はどうなのか、いろんな側面からその内実にせまることが、市の絶こうちょう化には欠かせない視点だ。

 ☆「見かけだけでは分からない」発想のきっかけになったドクターの足(見苦しいものをお見せしてすみません)。見かけでは分からないかもしれませんが、ドクターは冒険教育指導だけでなく教科書も書いた通信制大学の先生でもある。でもこれも教科書は書いていてもその中身が問われますよね。

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