Dr.2507 どの程度まで求めるか(1月27日)
日常生活でどの程度で満足できるのか。生きて、食べて、寝て、日常生活が送れることだけでも有難いと考えるのか、それで満足しててはだめで、何かを達成するとか、夢や目標に向かって打ち込めたかどうかが大事であると考えるのか、その中間か。
どの考えもそれぞれ理屈はあって、後は各自で決めればいいと思うが、ドクター自身の今の気持ちとしては、個人生活においては生かされて、食べて、寝る、活動できていることが有難いと思っている。体の不調や精神的なしんどさで休まざるを得ない人がいる中、何とか今日一日を心身の不調が激しくなく過ごせるということ自体有難いことだと感じている。
それだけで満足せず、もっと使命感や上を目指してがんばれという意見があることも分かるが、それぞれの生き方、一日の過ごし方はその人が決めればいい。要はその人自身、自分自身が幸せと思えるかどうかだと思う。
世の中には多様な幸せ、多様な生き方があると思うので、自分のやり方を強制せず、各自の生き方、やり方を尊重していきたい。手助けや支援、あたたかい声かけ等は大事だと思う。
今日も先ずは一日を機嫌よく過ごしましょう。やるべきことはやりながら、自他を応援しながら、良い一日が送れれことをめざしましょう。
☆昨日「雪景色撮ってます」と言ってカメラ向けてたら、「雪景色ですか」と声をかけてくれた人がいました。それだけでちょっと嬉しかったです。皆様、今日もあたたかい言動を大事にしながら、ボチボチ行きましょう。

Dr.2506 多いほど良いか(1月26日)
最近、心を平穏に保つ方策(試行)アイディアをいくつかアップしているが、その策は多いほどいいのだろうかと、ふと思った。どれか一つでも自分に合うものがあれば、それで行けるのではないか。
マイナス面ではなくプラス面を見るとか、どちらの感情にも深入りしないでほどほどで止めるとか、最悪よりはマシと考えるとか、生かされているだけでも有難いとか、感謝と貢献を忘れないとか、いろいろあげていると思うけど、多いほどいいのだろうか。
数の問題ではないように思うし、多いほど一つが効かない場合に別のが試せていいようにも思うし、要は数にこだわらず、多くても少なくてもポイントは、日々を平穏に、幸せに送れるかどうかですね。
というようなことで、今回提案した「対策の数をどうするか」という提案も含めて、明確な答えがあるのもないのも含めて、また今日も探っていきたいと思います(試行は続きます)。
考えてみれば、この試行というのか、日々を陽気に生きる道を探るというのが人生そのものかもしれません。ともかく、今日も何とかボチボチ機嫌よく一日が送れますように。「先ずは今日一日、先のことを心配し過ぎない」という考え方も大事にしながらいきましょう。これもまた一つの提案ですけど、「数が多ければいいというものではない」というのも、「数が多いと選択肢は増える」というのも、今日の提案でした。
☆まだまだ解決策(悟り)にはいけてませんね。焦らず、ボチボチ行きましょう。

Dr.2505 最近嬉しかったこと(1月25日)
ある講演会で、「最近嬉しかったこと」を隣の人と話をするように言われて話し合った。相手の人は「子どもが大学に合格したこと」という誰もが納得できる話をされた。ドクターはと言えば、その講演会の直前に覗いた教員の自主的研修会で、子どもたちの学びを進めるやり方を試しておられる先生の発表を聞いて嬉しかったと話した。
上の話を聞いたことは本当に嬉しかったのは間違いないが、相手の方のような誰もが納得するような嬉しいことに思い当たらなかった自分に気づいた。相手には伝えにくいが、最近の直近の不安を気にしすぎずに一日を送れる状態(試行)が続いていることは、結構大きな嬉しいことだ。
それにしても、世間にも分かりやすい一般性のある「嬉しかったこと」が思い浮かばない自分の状態というのはどうなんだろう。もうすでに就職も結婚も子育ても親の見送りも一通り済んで、後は残りの人生をどう生きるかが大きなテーマのドクターとしては、そういうものかもしれないとも思う。
何にしても、「最近嬉しかったこと」があるのはいいことだと思うので、人に言えるかどうか、理解してもらえるかどうかは別にして、自分の中では嬉しかったこと、有難かったこと等を大事にして感謝していきたい。
とりあえず、今日も平穏に一日を終え、一日の締めのトレーニングと一杯を気持ちよくやって即寝するまでがんばるというのか、ボチボチ行きたいと思います。こんなグダグダ文章ですみません。皆様の「最近嬉しかったこと」は何ですか?
☆元気な部活動も見ました。これも今だからできる嬉しかったことですね。嬉しかったこと感度を鈍らせないことも大事ですね。

Dr.2504 両面ある(1月24日)
昨夕のトレーニングは遅い時間になって、トレーニング室は2人だけだった。いつもの時間帯は人が多くて、器具も混んでいて待ったり使えなかったりすることが多くて困ることがあるが、これだけ空いていると器具は使い放題だが、寂しい。
「何事にも両面ある」ということは、これまでの人生で何度も気づいてきて、できたら「マイナスを見て落ち込むより、プラスを見て元気を出そう」と自分に言い聞かせてきた。物事のプラス面を見ていくというのは一理はあるが、昨日の気づきは「両面あることを最初から知って、どちらも長く漬からない」ということだ。
あんまり一つのことに漬かりすぎると、マイナスはもちろん、プラス面でもよろしくない。プラスからマイナスへの差が大きいと衝撃が大きくなったり、有頂天無防備で周囲に大きな迷惑を与えたりする。
何事もほどほどで止めて、中庸というのか、ほどほどというのか、浸りすぎない感じが、平衡を保つには役に立つような気もしている。楽しい気持ちにも浸り続けないので、上機嫌絶好調いっぱいという晴れやかさはないが、ほどほどの機縁で落ち込まずにほどほどまあまあで日々が送れる。
この間から続いている、感情落ち込み過ぎない試行は、まだなんとなく続いているようで、不完全燃焼のような気もするが、大きな落ち込みがないので助かってもいる。これを良しとするのか、喜怒哀楽激しい方が良いとするのかはあるが、ドクター流としては、これも流れに任せたい。
今の流れは、プラスマイナス両面にほどほど、ぼちぼちで、ゆるーく平穏に暮らすって感じで、これはこれでプラスマイナス両面あるが今すぐ改めなければならないほど悪くはないので、今しばらくこの思考を続けたい(そういう流れが来ている)と思っています。
というような感じで、今日もボツボツ感情平穏試行をやっていきたいと思います。皆様も自分が生きやすい試行をご一緒にトライしていきましょう。ボツボツですけど。
☆同じような写真ですみません。劇的な変化ないですね。

Dr.2503 最悪よりまし(1月23日)
心安定試行の何日目かまで来た。今回のヒントは、あんまりお勧めできないかもしれないが、「最悪を想定して、それよりはマシ」とする考え方。これまで何度かは試してきて、大きな声では言いにくいが、効果はそこそこある考え方だ。
例えば、この前信号変わる寸前に右折しようとして、普通は止まるだろうと思っていた対向車線の車が、ギリギリ左折をしてきて、ギリギリ右折のドクター車が急ブレーキで難を逃れたっということがあった。
もし事故にあっていればと考えると、今後は信号変わる寸前の行動は慎重にしなければならない(変わる前に余裕をもって止まる))という教訓とともに、もし事故を起こしていれば、相手も自分も車も大きな損害が発生して大変なことになるところを、そうならなくて本当に良かったという思いが生まれた。
日頃の出来事で何かあっても、あの時事故になっていたことと比べれば、こんなことはまだ我慢できるという思いで、そう落ち込まないようにする。
こんな考え方、大きな声で言うことではないと改めて思うが、日常で考えられるいろんな出来事は種類もいろいろで、すべて車の事故と比べるのは無理があるが、それでも自分の心身のダメージという視点で考えれば、「それよりはまし」「そこまでダメージがなかったのはありがたいこと」と考えて、心を平穏にもどすということは、いくらか効果はあるやり方でもある。
☆明日は、もう少しお勧めできる、心を安定にする考え方を紹介していきたいと思いますので、今日はこんな変なので許してください。何とか今日一日をボチボチいききりましょう。今日一日を先ずは頑張る、これもヒントになるかもしれませんね。


