Dr.2490 孤独と孤立(1月10日)
ひとり在る孤独とひとりにされる孤立は違うという話は時々聞く。「孤立を求めず、孤独を恐れず」という話もある。一人で生活していても、一人の時間を楽しめる力がある人は、自立して人生を充実させることができるという話も聞きます。
「自分一人で自分のやりたいこと、やるべきことをやりながら生きるのもありやろ」と奥さんに話したら、「人と会ったり話したりしなかったらボケるで」と言われた。
ボケるのは嫌だが、無理に人と関わるわけにもいかない。ここはやはり、自分から無理に孤立を求めないけど、一人の時間が多い生活もありだという気持ちをもって、孤独を恐れず、流れとご縁でやってくる生活の仕方を大事にしていきたい。
孤独でも退屈せず、陽気に、上機嫌で、元気よく生きるやり方を見つけていきたいと思っています。特に何か行事があるわけではない今日の休日などはその良いお試し期間かもしれません。
☆昨日、行事の合間を縫って、一人で川にかかるつり橋を渡りました。一人の豊かな時間の過ごし方探っていきたいと思います。今日もボチボチ行きましょう。



Dr.2489 運・縁・流れ(1月9日)
今日の新聞に、運や縁や流れを大切にしようというような話を書いている人がいた。ドクターがいつも言っている(書いている)ようなことと同じようなことを考えている人がいるということだ。というより、この「運・縁・流れを大事に」という考えは、日本に昔からある考えで、ドクターオリジナルというようなものではないけれど。
何にしても、自分の努力も大事だけれど、自分の力を超えた大きな力の存在を認め、謙虚にそれに従う、というより信頼して、それらの示す方向を大事に生きるということ。
ドクターとしては、近年(というよりここ何年も)この考えで、大きな力の存在、それが指し示すご縁や流れ(そうそうドクター的には運という言葉はあんまり使っていませんでした)を信頼して、生かされている自分を意識して、自分の役割(やる流れになったこと)を精一杯自分らしくやって自分にできる貢献をしていく、そんなことを考えているし、ここでも何度も書いてきました(というより、毎回そうですよね)。
他の人にも同じようなことを言う人がいることに力を得て、これからも、自分を生かさしめている大きな力を信頼し、自分にできる貢献(人に元気を与える等)をボチボチ頑張っていきたいと思います。
今日も何とか流れとご縁に導かれた一日を良い日にしていきましょう。流れとご縁で最近出会えた、かつてのメキシコからの留学生と校長時代の教え子です。

Dr.2488 マイナス言葉を使わない(1月8日)
昨日聞いた3学期始業式での校長先生の話にあった「マイナス言葉を使わない」という言葉が印象に残っている。ドクターと同じで、校長先生も子どもたちに言ったことは自分に帰ってくると思われる。いずれにしても、大人も子どももマイナス言葉を使わないで、プラス思考で行ければ行きたいものだ。
ドクター的には普段このブログも含めて心配や不安がある日常を、先ずは「今日一日を何とかという気持ちで乗り越えましょう」等と、マイナス言葉というのか、不安について言及している。
できればこんなことには触れないで、前向きに、プラスだけでどんどん行けるに越したことはないが、これがなかなか難しいので、何とか乗り越えるというのか、何とかやりくりする方策も考えているということになる。
これでは折角の始業式の教訓が生かせていないように思うが、ここは子どもたちには言いにくいが、何でも理想通りにはいかないこともあるので、理想というのか目指す方向はしっかり持ちながら(ここでいうところのマイナス言葉を使わない)も、現実的に何とかやりくりする方策(ここでは、先ずは今日一日を何とかやりくりする、生ききる)を探るというのも、ありというのか必要なことだ。
まあともかく、できるだけマイナス言葉、マイナス思考を追い払いながら、先ずは今日一日をやりくりして、夜のホッと一杯までボチボチ頑張りましょう。校長先生のように、理想を忘れず、しかし現実的な対応も工夫しながら、ボチボチ行きましょう。


Dr.2487 主張がない(1月7日)
ある新年会で順番に話をすることになった。何を話してもいいが、これまでの失敗とか今年の抱負とか、会場の皆さんに喜んでいただけるようなことを話さなければならない。
ドクターに順番が来て、何を話そうかと考えたときに、特に言うべきことがないので、その日にあったことで印象に残っていることにしようかと思っていたが、その前の人が「今年も特に特別のことをするのではなく、いつもやっていることに感謝しながら普通にやっていければよしと思っている」みたいな話をされたので、とっさに変えて「人間は進化の過程で、未来を心配する遺伝子を持ったものが生き延びてきたのだから、将来に不安を持つのはだれでも当たり前のことですから、不安や心配があっても心配しないで行きましょう。私も不安はありますが、それはそれとしていつも元気出していく盛り上げ役をやってます。今年も元気出していきましょう。『オー』」みたいな話をしたら、最後の『オー』だけよかったと感想を頂いた。
今回会場で、「今回何を話そうか」と考えたとき、頭の中に何も浮かばない自分に唖然とした。「無理せずボツボツ行きましょう」と言えたらよかったと、今になっては思うが、その時思い浮かばなかっということは、普段から本当に自分のものになっていないということか。
ブログに書くことはあっても、普段は特にこれといった主張がないという自分に気づいて、これでいいのか、改善すべきかも含めて、いま考え中です。皆さんは急に何か(何でもいいから)しゃべれと言われたらどうしますか。
いつもは特に主張なく、流れに従ってたんたんと生きるというのもいいようにも思うし、何かしたいこと、いいたいことがあって、それを大事に生きるのもありなようにも思うし、どうなんでしょう。結局それも含めて、流れに任せるというのは、ちょと自分がなさすぎでしょうか。
ともかく、日々を機嫌よく生きられるよう、自分も周りの人も元気でいられるよう、何かの役に立ちながら生きていきたいと思います。
まずは今日一日を機嫌よくボチボチ行きましょう。いつもこんなこと言っている(書いている)から主張がなくなるのでしょうか。まあいいか。
☆いつもの堀のカモたちです。無心なように思うんですけど。

Dr.2486 今年もやることをやる(1月6日)
昨日は仕事始めで、年始の会の後は支所や警察等を回ってあいさつということになった。ドクターの役割としては、紋付袴で扇子を開いて新年に福を呼ぶ『大笑い』の披露と今年がいい年であることを願って「三々七拍子」の音頭をとるという役。
今年も各自それぞれの役割を果たすということが大事というあいさつもある中、ドクター役割はもちろん音頭取りだけではないが、現場の元気を高めるとことにがんばっていきたい。
何とかやり終えてホッとしているが、今年もいろんな役を自分にできる範囲でやりながら、自分にできる貢献を心がけていきます。
そうはいってもできない時や、できる範囲を超えていることもあると思うので、自分にできる範囲でボツボツとじぶんにできる役割をやっていきましょう。
皆様もご無理をされず、ボツボツできる範囲で行きましょう。それでは今日も何とか一日を終えましょう。


