Dr.2297 また1週間(6月16日)
昨日は早朝からのボランティア清掃で、ブログ更新失礼しました。今朝は、パソコンの立ち上げに時間が掛り、あんまり更新に時間が取れない状況です。時間があったからと言って、内容が充実するわけではありませんけど。
一昨日のブログ名は「はや1週間」、今朝のは「また1週間(が始まる)」にしました。今週も土曜日になったら、早かったなと思うんでしょうか。週初めとしては、今週あるいろんな課題が浮かんできて、こんなにあったら1週間乗り切れるかなって感じですけど。何とかなるんでしょうかね。
心配事や気になることはいろいろあるけど、一つの気がかりごとが大きいと、後のやつはその陰に隠れてしまうと言うこともあります。なんやかんや、いろいろと楽になる考え方も取り入れながら、今週も何とか乗り切りたいとは願っています。
皆さんも、いろいろ気がかりはあると思いますが、なるようにしかならないし、なるようにはなります。そのなる形が、流れとご縁で、自分に与えられた形だと思うので、有難く受け止めて、出来れば陽気に進んで行きましょう。
☆今週末もいろいろありましたけど、完璧にはできませんでしたけど、何とか終わりました。こんな感じで、今週も完璧(思い通り)には行かないと思うけど、ボチボチ頑張って行きましょう。ご無理ない範囲が大事です。

Dr.2296 早い一週間(6月14日)
また土曜日がやって来て、早くも一週間が過ぎたって感じ。土曜日の朝には、台所や応接間に置いてある観葉植物たちにお水を揚げるようにしているので、これが来ると「もう一週間過ぎたのか」って思う。
1週間の間にはいろいろあって、良いことは少なく嫌なこと大変なことが多いよう思うが、冷静に考えると何事にもプラスとマイナス両面があるので、そのうちのマイナス面を強く意識しているのだとは思う。
何にしても時の過ぎるのは早い。こんなことでは、あっという間に一月が過ぎて、1年が過ぎて、70歳や75歳の大台になるのも直ぐだという気がする。寿命が幾つまであるかは分からないし、自分の定められた寿命まで生きられれば十分なので、あっという間に月日が過ぎるのも悪いことばかりではないようにも思う。
1週間や一月、1年を味わいながら過ごしたい気持ちもないではないが、なんせ大変なことが多い日常を何とか過ごして(終わらせ)、夕方の美味しい一杯を楽しみに生きているような生活なので、一日やその積み重ねの1週間が早いと感じるのもやむを得ないか。
一日、1週間が長くて退屈したという経験はあんまり思い出せないが、定年後ゆったりと時を過ごしていたなという期間はある。そっちが良かったのか、今のあっという間の時の過ごし方が良いのかは、これまた一長一短あってどちらが良いとは簡単には決められない。ここもまた流れとご縁に任せて行くとしよう。というようなことで、この頃はあっと言う間の1週間が続いています。皆様も、今の自分にあった一日、1週間をお過ごしください。自分の希望もありますが、大きくは流れとご縁にお任せしていくしかないですし、それを信頼していくのが大事だと思います。
☆ドクター最近はあっという間の1週間。1週間ごとにお水を揚げる植物たち。


Dr.2295 ぎりぎりです(6月13日)
昨日はブログ更新が途中になってしまった。パソコンの不調で、今日もここまでものすごく時間が掛ってしまっているし、最後まで更新できるか怪しい。
日々の生活と同じで、ブログ更新、パソコン状態もギリギリって感じ。こうなると余計なことは書けなくて、先ずは更新しときます。できればですけど。こんな余計なこと書いてる余裕はないんですけど。
☆写真更新も怪しいですが、もしできたらこれは今年のセル播き黒大豆の今の生育状況です。先ずはここまででアップします。何とか行ければ明日は休日なので時間はとれると思うのですが。余計なことが無いドクターブログって面白くないですね。人生に余計な事(余裕)って必要ってことでしょうね。皆様今日も何とか更新できますように(一日を無事終えられますように)。

Dr.2294 人生とんとん(6月12日)
今朝の新聞の投稿に若者が「人生トントン」と考えて、生き易くしているみたいな話が載っていた。「とんとん」というのは、「半分半分、丁度同じくらい、帳尻が合う」みたいな意味で使っているのだろうか。
「悪いことがあったら、後は良いことが続くだろう」と考え、良いことがあった場合は「次は悪いコトが起こる」と考えるのではなく、「良いことがあった(良いことをした)のだから、良い報いがあるだろう」と考える。一貫性はないかもしれないが、自分の人生訓や生き方の指針・モットーなどは、正しいかどうかよりも、それで自分がどれだけ楽になれるか、生き易くなれるかというのが肝心な点だと思うので、この若者の考え方は素晴らしい。
ドクターの「流れとご縁を大切に、生かされていることに感謝し、自分の出来る範囲で自分らしく精一杯でもボチボチやる(貢献する)」というのも、どこかに科学的根拠があると言うことでもなく、こう考えて生きるのが自分の生き易さにつながるという意味で大事にしている生き方だ。
Dr.2293 助けるは助かる(6月11日)
仕事場に福祉作業所の方がお弁当を販売に来られていたので、助けになればと思い二つ購入した。その日は奥様外出の為、子どもと二人分の夕食をドクターが買う役だったので、こちらも助かると思って購入したのだが、作業所の方にすごくお礼を言われて逆に恐縮するほどだった。
その後いろいろあって、他の食材も買いにスーパーに行くと、ほとんど総菜は売り切れており、お弁当は一つもなかった。
あそこで作業所のお弁当を購入していなければ、また別の店に移動しなければならなかったところだった。少し作業所の助けにもなればと思ってとった行動が、結果的にはこちらの助けにもなった。
こういうことは他にもあると思うので、「人助けは自分助け」ということを忘れず、出来る範囲の人助け(貢献)はこれからも続けて行きたい。人助けは自分の助けになるからやるのではないが、世の中よくできているので、自然と自分が助けてもらうことにもつながってくる(何事にも感謝の気持ちを忘れないようにしたい)。
今日もなかなかどうなるか見通せませんし、いろんなことは起こると思いますが、自分が良いと思ったことは積極的にというのか、自然な形で心掛けて行きたいですね。
☆写真撮る間なかったので、また6年前の今日ですが、今年と同じようなことをやってますね。年齢だけ行きましたが、まあボツボツいきましょう。何とか1日終わりますように。
