Dr.2293 助けるは助かる(6月11日)
仕事場に福祉作業所の方がお弁当を販売に来られていたので、助けになればと思い二つ購入した。その日は奥様外出の為、子どもと二人分の夕食をドクターが買う役だったので、こちらも助かると思って購入したのだが、作業所の方にすごくお礼を言われて逆に恐縮するほどだった。
その後いろいろあって、他の食材も買いにスーパーに行くと、ほとんど総菜は売り切れており、お弁当は一つもなかった。
あそこで作業所のお弁当を購入していなければ、また別の店に移動しなければならなかったところだった。少し作業所の助けにもなればと思ってとった行動が、結果的にはこちらの助けにもなった。
こういうことは他にもあると思うので、「人助けは自分助け」ということを忘れず、出来る範囲の人助け(貢献)はこれからも続けて行きたい。人助けは自分の助けになるからやるのではないが、世の中よくできているので、自然と自分が助けてもらうことにもつながってくる(何事にも感謝の気持ちを忘れないようにしたい)。
今日もなかなかどうなるか見通せませんし、いろんなことは起こると思いますが、自分が良いと思ったことは積極的にというのか、自然な形で心掛けて行きたいですね。
☆写真撮る間なかったので、また6年前の今日ですが、今年と同じようなことをやってますね。年齢だけ行きましたが、まあボツボツいきましょう。何とか1日終わりますように。

Dr.2292 ショック(6月10日)
今朝ズボンのベルトを締めていたら、今まで使ったことのない外側の穴でないとお腹周りがきついことが分かってショックを受けた。朝のランニング(世間的にはウオーキング)と夕方のトレーニングをほぼ毎日やっている(農作業などで汗を流した時はお休み)から、ぜい肉の付き方はそれほどでないと高をくくっていただけにショックだった。
考えて見れば、三食以外にもコーヒー時に甘いもの(菓子パンなど)を食べているし、夕食時は食事が終わった後もせんべいなどをあてに飲んでいるので、1時間ほど動いていると言ってもカロリー的には太るのは当たり前だ。
小太りのショックだけでなく、日々の生活では気がかりなことが多い。それらに比べたら、ベルト穴一つ分お腹周りが肥えたと言って大騒ぎすることでもないか。いろんな気がかりがある中、そこにベルト穴一つ分気がかりが増えたというべきか。
何れにしても、体調にも気を付けないと、他の気がかりにも対処できない。対処と言っても、積極的な直ぐにの解決策があるわけではなく、解決しない状態に耐えるというのか、我慢する力がいる。人生において、スカッとこれですべて解決、何の憂いもないという状態は考えにくい。考えて見れば、いつも何らかのモヤモヤの中で生きてきたようにも思う。
後から思い出すのは、いい思い出が多いが、ようく考えて見れば、いろいろと厄介ごとがあったのが思い出される。何れにしても今を乗り越えないと過去を思い出す未来もやって来ない。乗り越えると言うほど立派な解決策はないが、今日も何とかモタモタしながらも、一日を終えて明日につなげたい。いろいろとある皆様、ご一緒に何とか今日をカラ元気ででも歩んで行きましょう。それを応援してくれる人がきっといますから。
☆小雨の降る庭を眺めながら、自分の腹も眺めるドクター。ちょっとこの写真は腹を引っ込めてる感じです。


Dr.2291 それよりはマシ(6月9日)
昨日も畑仕事や黒豆の種まき等で朝から晩まで忙しかったが、そんな時にトラクターのキーが無くなった。これはあの作業の次に必ず使うからと思って、胸のポケットに入れておいたのに。
胸のポケットに入れたのは覚えていたので、そこにキーがないことに気付いた時は、「なんでやねん。今日はいっぱいやることあるし、今日トラクターで畝立てしておかないと、月曜日からは雨が続くので無理になる。今日しかないのに、キーがないなんてどういうことなんや」って気持ちでした。
結局は、軽トラの前の地面に落ちていたのが見つかったのだが(拾い物をしたときに前かがみになって落としたようです)、トラクターのキーがなくて機械が使えなかったら、その後の黒豆栽培計画はまったく狂ってしまうところだった。トラクターでの畝立てが上手く行かなかったり、立てた畝の土が固かったりといろいろ課題はあるが、畝が立たないよりはましだ。
そう考えると、農作業に限らずやることにはいろいろ足りない部分はあったとしても(思いとは違っていることも多いが)、最悪(今回で言えばトラクターキーが見つからず、トラクターが動かせない)の事態それよりはマシという気付きも、ある意味からは使える考え方ではないだろうか。
いろいろ気がかりや残念なことはあっても、「それよりはマシ」と思うことは、あんまり建設的ではないとは思うが、少し心は楽になる。そんなに大きな声で人には勧めにくいが、ドクター内面では「それより(最悪の事態より)はいいか」と心を落ち着かせるのに使っています。
いろんな考え方があると思いますので、自分に合った少し心が楽になる考え方も大事にして、今日も何とかやって行きましょう。
☆ドクターの雑な畝立て。でも畝が立たないよりはマシと考えたら、ここまで出来ただけでも有難いことと思えます。


Dr.2290 いろいろバタバタです(6月8日)
昨日は朝から田んぼの水入れ(その田は送水施設が整備され、送水機のスイッチ入れたもの優先。便利ですけど早い者勝ちです)や村の役員会の草刈りと会議、その後の雨が降る前の黒豆畑の畝立て(雨が降ると畝立てできませんけど、あんまり早くし過ぎると草茫々になります)、最後は夜の市の会議とバタバタでした。
バタバタは性格というのか、いつものことなので驚きませんが、逆にやることがなくなったらどうなるのかなど心配したりする時間も入って、余計にバタバタ感が増す。結局何とか終わって一日を終えることが出来ましたけど、今朝ももうバタバタの予感がします。
今日も何とか終えて最後の夕食の時間を楽しめるのか、自信はないですけど、やるしかないので、これ書いたら又バタバタ時間に戻ります。
それにしても、このバタバタは性格だろうか、酉年生まれだからだろうか(そんなことはないですよね)。落ち着いてゆったり日々の時間を楽しまれている人の話を聞いたりするにつけて、そういう人生をしてみたいとは思うが、今までの自分の人生を顧みれば、そんなゆったりした時間の思いではなく(乏しく)、いつもせわしなくバタバタしていたように思います。
よかろうが悪かろうが、バタバタ人生、続くところまで、流れとご縁に任せて行きたいと思います。ゆったりがいいのか、バタバタがいいのか、自分の性格や状況などいろいろな要素が絡んで簡単には決められませんね。結局流れとご縁を信頼して、成り行きに任せて、自分の出来ることをボツボツやって行きましょう。休むのも良し、バタバタも良し。
☆バタバタの中で見た、ちょっと一息つく奇麗な風景。でもこれもバタバタしながらチョットの間だけカメラ向けました。結局バタバタですね。


Dr.2289 普通の生活(6月5日)
今日読んだ書物の中に、15歳で白血病のために亡くなった少女が作文で「私は、ふつうの高校生になって、ふつうのお嫁さんになって、ふつうのお母さんになって、ふつうのおばあさんになって、ふつうに死にたい」と書いていたという話を知った。
普段生かされていることを当然として、不安や心配にどう対処するかに頭を悩ませている者としては、改めて「ふつうに生きているだけで幸せ」ということに気付かされた。不安や心配、厄介ごとへの対処も現実的には喫緊の課題だが、その根本には「日々食べられて、時間があって、寝られることが当たり前ではなく、有難いコト」ということを忘れてはいけない。
感謝とそれに対して自分が出来る貢献、それを大事に今日も一日生かされ自分がしなければならないこと、ちょっとやりたいこと(コーヒーと一緒に甘いものを食べる等)を、できれば上機嫌で(でも無理せず、今の自分が出来る範囲で)やっていこうと思います。なかなか思うようには行きませんが、世の中にはいろんな人がおられるということも忘れず、ボチボチ精一杯やれる範囲で無理せずいきましょう。
☆トライやるウィークの中学生が、人にためになることやってました。
