ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.301 バランス(3月24日)

篠山市公民館主催の春ピク~篠山の良い所をお菓子を作りながら語ろう~という企画に進行役として参加した。20代30代のIターンUターンJターンの篠山大好きな若者たちの催しに60代のおっさんが混じった。参加者に違和感はあったかもしれないが、本人はいたって上機嫌で参加した。寒い日だったので最初にちょっと室内でアイスブレークをして、ちょこっと散歩して、ドラム缶で火を囲みながらポップコーンを作ったり篠山の良い所や課題について語り合った。そのうちの一人が「篠山の良い所はバランスが良いというところです」と言った言葉が印象に残った。大坂や神戸といった都会から遠くもないし近くもない丁度良い田舎、でも生活に不便なほどの超ど田舎ではない、ということらしい。黒豆や米など食べ物が美味しい、人が優しいなどもいろんな人が言っていた。生まれてから今まで(20年ほどの空白はあるが)篠山にずっと住んでいる者としては、ここが当たり前で指摘が新鮮に聞こえた。過疎・高齢化もあるけど新規移住者や子育て世代も結構いる。前から住んでいる人と後から住んだ人の新旧住民の温度差が課題だという声もあったが、これも上手くバランスが取れれば丁度良い。そのためには意欲的な新住民に負けないように旧住民もまちづくりに励まなければいけない。田舎と都会、古いものと新しいもの、忙と閑、動と静、孤独と交わり、はしゃぐと落ち込むやっぱりバランスが大事だ。この辺りをキーワードに今日も定年後生活を送りたい。このところ賑やかハイテンションの日が続いたので、さしあたり今日は静寂・ゆったりの日を送るか。
 ☆妊婦から2か月児、5歳児、お兄さんお姉さん、おっさんまで、いろんな人がいるアイスブレークを柔軟に対応し(言い方を変えれば適当にこなし)、散歩と空き缶を使ったお菓子作り、フリップを使った話し合いを進行した(言い方を変えれば自分が一番食べて飲んでしゃべってはしゃいだ)ドクター。


Dr.300 引退(3月24日)

野球のイチロー選手が引退した。日米通算28年間の選手生活だったという。イチロー選手と比べるのは1000年早いがドクターも昨春37年間の教員生活を引退した。期間では勝っているように見えるが、ドクターはこの間教員だけでなく、フリースクール指導員やなんちゃって冒険指導家、お気楽校長、テキトー百姓などいろんな仕事や副業をやっていたのでその道一筋とはとても言えない。イチロー選手のすごいところは沢山あると思うが、ドクターが一番すごいと思うのは野球という同じ仕事をずっとやってきて飽きないというところだ。飽きないどころかその道で一歩づつ自分を超えていくというのだから驚き以外の何物でもない。飽き性のドクターには到底考えられない境地だ。ドクターが飽きないでやってきたこと言えば、40年以上の朝ラン(もはや朝ウォークと人は言う)、30年以上の菓子パン・飲酒生活ぐらいだ。20年以上の狂言もやめたし、10年以上の冒険指導もちょっと危ない。それでも1万年早いがイチロー選手の言う、「人に喜んでもらえるのが自分の最大の喜び」という気持ちは同じだ。人に喜んでいただけるのなら、これからも流れのままにいろんな役を勤めていきたい、人生を引退する日まで。今日はちょっとカッコつけすぎか。

 ☆いろんなものを引退したドクターがまだ引退しない朝ラン。人が喜んでくださる限り冒険指導も流れで来るお役目も引退しないでがんばりたい。ドクターが子どもの頃から斜めに生えてがんばっている近所の榧木のように。

Dr.299 行き当たりばったり(3月21日)

頼まれて地域の子供会の6年生を送る会の遊び指導をやった。幼稚園児から小6まで40人ほどをエレメントなしに指導したことはなく、計画通りには行かず「行き当たりばったり」の指導となった。考えて見れば「行き当たりばったり」は冒険指導だけでなくドクター人生そのものだ。少し(そしていつものように)自己弁護させていただくと、人生に何が起きるかは自分の都合だけで決められず人生の基本は「行き当たりばったり」だ。もし仮に人生が計画通りに進むなら一見いいようにも思えるが、それなら生きて見なくても計画を立てた時点で人生は終わっている。何せ計画のその通りに進むだけなのだから。人生の妙味は「決めた通りには行かない」「何が起こるのか分からない」ところにある。予期せぬ人や仕事やお役目との出会いで自分では当初思ってもみなかった方向に人生が展開していく、これを面白がって生きるのが良い。ともかくお別れ会での子ども達の反応は予定通りではなくうろたえた。例えば誰でもできる「じゃんけんチャンピオン」でアイスブレークをしようと思っていたが、じゃんけんがスムーズにできない小さい子がいる。3回勝った子から順に座っていくが最後の方に年少の大人しい子が残りもじもじしたまま時間がたっていく。その時ドクターは「最後までズルして座らずがんばっている人たちに拍手」と言ってこの回にケリをつけた。次回は負けた子から座っていくがまた最後にじゃんけんを誰でもとできない子が数名残った。その時「誰かこの子たちを助けてくれない」と助けを求めたら、1人の5年生男子が立ち上がって残った子が3回負けるまでその子たちとじゃんけんしてくれて全員座ることが出来た。この回の終わりに「一番最初に3回負けた〇〇さんに拍手」と言った後、「もう一人拍手をしたい人がいるけど誰だと思う」と問いかけたら、みんなが「最後に残った人を救った△△君だと思う」というので、「その通り」と言ってみんなで拍手した。こんな展開は予想してなかったけどこれで、「最後までがんばること」や「困っている人を助けること」が大事だというメッセージを伝えることができたし、何より場が和んでその後の展開が楽になった。このように「行き当たりばったり」の指導はドキドキするけど、思いがけない嬉しさもある。人生の「行き当たりばったり」も又しかりか。
 ☆「行き当たりばったり」指導が思いのほか上手く行ってホッとして会場を後にするドクター。その後長く三田市の国際交流協会の会長をお勤めになったNさんを偲ぶ会に出席させていただいたら、成長した前任校の生徒に「ばったり」行き当たった。そこでお会いした協会の方からも「今でもブログ見ていますよ」とおっしゃっていただき、ここでも人生の幸せな行き当たりばったりがあった。「行き当たりばったり」はやっぱり面白い。


Dr.298 緊張と緩和(3月21日)

地元就職応援委員会の報告書を市長に渡してきた。セレモニーの写真撮影が済んで、新聞記者もおられる中、報告書の内容を説明するのに久しぶりに緊張した。久しぶりと常套語を使ってしまったが卒業式で舞を舞った時もあまり緊張しなかったので、いつが最後の緊張だったのか思い出せないほどだ。最後かどうかは定かでないが、教育事務所副所長の時に小学校校長先生方を前に「朝読書」など県の施策を説明する時異常に緊張したのを思い出した。どうも自分が苦手なことをする時、緊張するようだ。ともかく説明では緊張しながらも、地元の若者が地元企業に就職して篠山に定住することは地域を盛り上げる上で最重要事項だと思うと強調した。そのためには高校三年生や大学4年生の就職時だけでなく、それ以前から篠山の良さや地域で活動することの大切さややりがいを体感する経験をさせておくこと、即ち「種を播いておくこと」が重要だということを汗まみれで語った。大企業に勤めて世界を股に活動することだけが幸せではない。地域で自分のペースで暮らすことも幸せではないだろうか。第一全ての人が大都市に集まったら地球は持たない。世界に羽ばたくか地域に根差すか、自分で選択できるように地域での生活のメリットやシュミレーションを情報発信するという新規施策の提案も行った。市長への説明が終わって市長や記者の方とのやりとりでは自分を取り戻し、市役所HPの仕事情報発信バナーが見えにくいので「市長日記」の上に移動させたらどうかなどと悪乗り発言もするほどだった。全ての行事が終わった後の解放感、緊張の後の緩和感は大きく、帰宅後のお酒もいつもに増して美味しかった。時に緊張することも悪くない。
 ☆久しぶりの緊張感で報告書を副委員長と共に市長に渡すドクター。緊張は緩和時が気持ちいいが、緩和すると悪乗り癖のあるドクターには適度な緊張が必要かもしれない。


Dr.297 論文執筆(3月19日)

論文を執筆しているというと格好良く聞こえるが、正直に言うと「論文」も「執筆」も正確な意味は知らない。論文は「ロンブン」という人の名前ではないだろうし、文の周りを「輪になって踊る」ことでもないだろうとは想像できる。第一「論」と「輪」は違う。「執筆」は筆を執(と)るのだから、窃盗にしては何故金銀ではなくて筆を狙うのかが分からないし、二人の間に置いた筆を合図で取り合うのならドクターがこの間小学生でやった冒険ゲームに似ている。いずれにしてもここでは「冒険の意味」みたいなことについて作文を書いているが、このことを恰好をつけて論文執筆と言ったまでのことだ。なぜそんな作文を書いているのかと問われれば一言では答えられないが、ともかく定年後生活の暇つぶしにはうってつけだし、冒険指導が忙しい時には次の指導ネタを考えるのに忙しく、「冒険教育の意味」や「効果」についてじっくり考えることはないので田んぼ仕事が始まる前の暇つぶしにもうってつけだ。そんなこんなで資料を広げてパソコンに向かっているが、ドクターがここで言いたいことは「冒険教育の狙いは、チャレンジ精神やコミュニケーションや課題解決力・信頼感・自己肯定感などを体験を通して学ぶことと参加者が一時的にせよコミュニティ(共同体)に参加することでヒーリング(癒し)を感じエネルギーを貯めて、そこでの学びをその後の人生に転移することができる」ということである。これだけのことを書くのに何日もかかっている。「論文」や「執筆」のボケも考えなくてはならないので余計に時間がかかっているが、定年後のたっぷり時間保有者としては急ぐ必要はない。むしろ時間つぶしには効率的でない方が良いのだが、問題は「論文執筆」に飽きないかだ。
 ☆資料を広げて「論文執筆」という暇つぶしに取り組むドクター。内容については誰も期待していないので、完成まで飽きないかどうかが問われている。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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