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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.816 世の中は広い(11月6日)

サウナが好きで時々行くが、サウナ室で見るおっさんの一挙手一投足にその人の本性が垣間見える。多くは自己中心派で、そういう人は自分が座る前にマットを裏返しにしたり(前の人の尻汗を嫌がって)、大きく股を開いて周りに他の人が座りにくくしたり、タオルをその場で絞る(サウナ室に入る前にやっといてよ)等の振る舞いをする。ミストサウナでは出る前に自分が座っていたところに手桶で水を撒いて奇麗にするのがエチケットだが、中には人が信用できないのか自分が座る前に水を撒いて自分の座る場所を清めてから座る人がいる。いろんな人の振る舞いを見ながら、自分は周りの人に嫌な思いをさせないように大人しく発汗に勤めていたドクターだったが、先日「世の中は広い(こんな人がいたのか)」というシーンを目撃した。その人はミストサウナに入ってくると、手桶ではなくホースでたっぷり水を撒いた。よっぽど奇麗好きな人かと見ていると、何とその人は自分が水を撒いて奇麗にしたところではない場所に座られた。ドクターが勇気を出して「あの~、すいません。何故、水で奇麗にしたところではない所に座られたのですか(何のために水を撒いたのですか)」と聞いてみると、「水を撒くのと、自分が座る位置とは関係ないんです。すみません(不信を抱かせてという意味らしい)」と言われる。「こちらこそ、すみません(知らない人に勝手に話しかけて、しかも相手に謝らせてしまいの意味)」と言ってから、これまで自分の座る場所を奇麗にする人は随分見たが、自分が座る座らないに関係なく奇麗にしたいからするという奇特な人は見たことがなかった。「世の中は広い(捨てたもんではない)」という暖かい思いで温泉施設を後にした。

 ☆お花の飾ってある温泉施設で、世の中の広さに触れ暖かい思いに満たされたドクター。単にサウナに入って身体が温まっただけではない。

Dr.815 注意される指導者(11月5日)

HAP(ひょうご冒険教育 於嬉野台生涯教育センター)で西脇市の中学生を指導した。長縄跳びを使った活動でグループ全員でドクターの出したお題(間を空けずに全員が跳ぶ等)を解決する跳び方をするというチャレンジで、ドクターは縄の回し役をやったが、生徒達から「ドクター、(縄の回し方が)早~い」と何度も注意された。ドクターとしては、何とか子ども達に課題を達成してほしいと、気合を入れて回したが、それが縄の回しを早くして意図とは反対に跳びにくさにつながったようだ。注意をされて一時はゆっくり回すが、しばらくするとついまた熱中して早くなる。そんなこんなで、その後もいろいろと突っ込まれる指導者になったし(もちろん安全面では毅然と指導した、と思う)、振り返りでは、なかなか意見が出ず気まずい雰囲気で困っているドクターを察して、最後の方は全員が手を挙げ発言し助けてくれた。参加者から同情され、助けられる指導者(冒険教育ファシリテーター)、情けない気もするが、ちょっと無理して言うなら、これが指導者(教育者)の理想の形だと思っている。学校などでは、指導者(先生)が上から目線で注意し指導することが多いが、これは「してあげる教育」につながるもので子どもの成長を促すという点では教育効果は弱い。その点「してもらう教育」は、子どもの自主性や主体性、自己肯定感等を伸ばすことに繋がる。「注意される指導者」も同様の趣旨から、強権的な「注意する指導者」よりも、参加者の成長を促すという点において優れている。いろんな力が衰え、自然と子どもたちが注意しやすい老年期の指導者ドクターは理想の指導者に近づいている、と思いたい。

 ☆子どもたちとの笑顔の写真を載せたかったが、以前に勝手に写真を撮って学校から注意されたことがあるのでそれはやめて、何の関係もない紅葉写真。これまでの学びを活かした指導者としても成長している、か。

Dr.814 家の歴史(11月4日)

福住地区で行われた歴史のフィールドワークに参加した。この地区は現在新たな移住者がたくさん住み元気だが、昔(戦国~江戸など)も丹波篠山の玄関口として栄え、多くの土豪や豪農がいた。参加者のお一人が持参された古文書を見せていただくと歴史上有名な武将がその方の先祖に出した書状だった。その方は今は市外に住んでおられるが、郷土のために協力したいと本市の歴史ガイドをやっていると言われていた。教科書や小説にも出てくるような歴史上の人物と関わりのあった旧家が、いろんな家の歴史、家族の歴史を経て今に至っている。人は一人では生まれてこず、その両親のずーっと先祖から今に至る長い長い歴史があって、今を生きる世代があって、また後の世代へと受け継いでいく。受け継ぐのはDNAはもちろん、家風や性格など多岐にわたり、なかなか単純ではないが、確かに継承があるから今があるのは事実だ。この継承に何を足すのかが現在を生きる私たちにかかっている。自分も含めて現在を生きる者は、そう肩ひじ張らずとも、自分らしく充実した人生を生きればいい。充実したかどうかは自分が決める。

 ☆各自の家(先祖)に歴史があるのを再認識した歴史フィールドワーク。

Dr.813 やっぱり感謝(11月3日)

知り合いの97歳になる方が書かれた半生記を送っていただいた。いろんなことが書かれているが、元気で長生きの秘訣として①なんでも食べる、②十分な睡眠をとる、③物事に感謝するの3つが挙げられており、中でも「感謝」は最も大事なものだと言われる。氏は感謝することとして、①人間に生まれたこと、②日本に生まれたこと(平和で四季があり気候にも恵まれている)、③家族と健康、④仕事(氏が従事された仕事のやりがいについて書かれている)等があり、感謝の心で暮らすお陰で、元気で人生を楽しみながら長生きが出来ていると言われる。ドクターの定年後充実生活の研究でも、この「感謝」は重要なキーワードとして多くの人が挙げられている。また別の本からは、人生の幸せは「なる」のではなく、「既にある」ことに気付くことだと教わった。今こうして生きていること自体が、多くの幸運に恵まれた結果であり、そのことに気付くことが大切だという。ここでもやはり自分に与えられた「幸運」に感謝することが、幸せの基だということだ。大体があんまり深いつながりがあるとは言えないドクターにまで貴重な本を贈るという行為自体が、この方の生き方を表している。自分の出来る貢献をしながら、周囲に感謝して生きる、結局こういう生き方が長寿にも幸せな生きたにもつながるとうことだろう。なかなか同じようにはできないが、自分の出来る範囲で「貢献」(ドクターの場合は『流れでやる羽目になったことを引き受ける』)と「感謝」を大事にしながら生きて行きたい(それで密かに長寿を狙っている所がセコイ気はするが)。

 ☆送っていただいた「半生記」を読みながら、改めて「感謝」の大切さに気付くドクター。これからもがんばって「感謝の心」を表していこう、あくまでも純粋な心で。

Dr.812 狙わない価値(11月1日)

初代校長を勤めさせて頂いた篠山東雲高校の10周年行事があり参加しての帰りに、保護者OBの方から「中学校に出向いての説明会で、息子に先生(ドクター)が、ここ(篠山東雲高校)を勧めてくださり、お陰様で充実した学校生活を送り、今は大学でがんばっています」と声をかけられた。ドクターとしては生徒に声をかけたことも、その生徒の顔も思い出せないが、自分がしたことを喜んでいただいている方がそこにいることは間違いない。こんな嬉しいことは時々ある。気が付かないうちに迷惑をかけていることも多いが、逆に人の役に立っていることもある。「人のために」と狙った行動は得てしてあんまり人の役には立たず、自分が自然体で知らない間にやっている言動が人にプラスの影響を与えることがあると知るのは大事だ。この「狙わない行動」こそ価値がある。やはりこれからも自然体でやる羽目になったことや、巡り合わせでやってくるいろんな役割を出来る範囲で引き受けながらやって行こう。

 ☆篠山東雲高校10周年での立派な生徒発表の様子と、壇上で隠し撮りをする姑息な元校長の様子。こんな姿が思いがけず人に元気を与えることがあるのだろうか。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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