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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.129 試練(9月5日)

人生は順風満帆ばかりではない。仕事や経済状況、健康や人間関係など試練が幾度となく襲ってくる。「逆境の時こそ真価が問われる」という言葉もあるから、試練の時こそしっかりしなくてはならない。ドクターなどは、「真価など問わなくてもいいから、逆境は無しにして」と思っているが、世の中そう甘くなく、試練はドクターにも襲い掛かる。いや「襲い掛かる」という表現はちょっとオーバーでした。ドクター程度の試練で「襲い掛かる」を使えば、本当に厳しい試練を受けている人に申し訳ない。昨日読んだ本では「自分よりもよりひどい状況の人と比べることは、精神安定的には良いことだ」と紹介されていた。これまでは、人と比べるからしんどくなるので、「人それぞれ」と他人を気にしない生き方が良いと思っていたし、何か自分よりも苦しんでいる人と比べて自分はまだましだと思って安心するようなことは姑息と言うのか潔いやり方ではないような気がするが、ホントにしんどい時はそんなことは言っておれない。人に公言する必要はないが、自分が試練に耐えれるようなやり方なり考え方なりを身に着けてほしい。話はそれたが、今回のドクターの試練は「台風で稲刈りが出来ない」ということだ。稲刈りには適期があるが、天候との加減でいつ刈るのかが難しい。何とか工夫してもう少し残っている稲刈りの試練を乗り越えたい。皆様もご自分の試練を工夫で乗り越えられますように。

☆これは月曜日に田んぼに入った軽トラが、ぬかるみで前にも後ろにも動けなくなった試練。この時は近所に住む叔父さんに小型ユンボで助けてもらいました。試練でもこれをネタにしようという(写真を撮る)余裕があったのがまだ良かった。

☆自室から降りしきる雨を見ていると、小鳥が瓦の隙間で雨の試練に耐えていた。

 

☆今朝見るとドクター黒豆は結構暴風雨の試練に耐え、さやまでつけていたが、さらに大きくなるには虫の試練とも戦わなければならない。自然界も人間界も試練が多い。

 

Dr.128 独り言言ってますけど(9月4日)

時々行く市のトレーニングセンターで今は市内で働く篠山東雲高校の卒業生達と一緒になった。おっさんドクターは主にランニングマシンで脂肪燃焼に励み、彼らはベンチプレスで筋肉増強に励む。ランニングマシンの良い所はいくら遅くても誰にも抜かれないところだ。一般道路をちんたら走っていると散歩のおばさんなどに抜かれたりするから油断できない。村で走る時には常に周りの人影を意識しておかなければならないのだ。「丹後のおっさんはもう何年も走ってるのに、散歩の人に抜かれるらしいで」という評判だけは立たないようにしたい。ともかく20~30分のランニングマシンを終えて腹筋台に向かっていると、教え子たちが「先生、独り言が気持ち悪かったわ」「俺らは知ってるからまだいいけど、知らん人は気持ち悪がって誰も近づかんやろな」と言う。「えっ、わし独り言言うとったん」と聞いたが、自分では全く気が付かないままにブツブツ言うてたらしい。二人して言うからまちがいないようだ。これはまずい。前にも書いたが、「しまったしまった島倉千代子」「「まあいいかいいかのイカの塩辛」的な言葉遊びは言うが、これは意識してのことだ。ブツブツの内容は分からなかったようだが、ランニングという現実の行動と、何かブツブツ言うという無意識の行動が同時に起こっていることになる。このまま進めば、今が夢か現実か分からない半覚醒状態に陥ることになる。それはそれでお気楽なようにも思うが、周りは大変だろう。何にしても覚醒状態が続いているうちに現役を引退したのは正解だったようだ。もしかしたら現役時代にも無意識化の変な言動が出ていて迷惑かけていたかもしれないが、今となっては許してもらうしかない。

☆目薬を買いにドラッグストアに寄ったら、ここでも篠山東雲高校の卒業生に出会った。彼女も市内で元気に働いているという。このように市内には卒業生やそのご家族が大勢おられるので、元校長が徘徊していても身柄を確保していただけるだろう、安心だ。

☆このような何が撮りたかったのかはっきりしない写真も多くなってきた、不安だ。

Dr.127 ドクターの影響です(9月3日)

ある会合(飲み会ですけど)で出会った篠山市出身の指導主事の方から、他市の女性指導主事の人が「この世界(この世界が何を指すのかは定かではありませんけど)に入ったのはドクターの影響です」と言ってましたという話を聞いた。この女性指導主事が兵庫教育大学にいた時、嬉野台生涯教育センターにいたドクター(その当時からこの冒険ネームを使ってました)の指導を受けたらしい。彼女がどんな影響を受けたのか確かなところは分からないが、多分「こんな人でも指導主事が勤まるなら私にもできるだろう」とか「指導主事って大変って聞いていたけど、ドクターみたいに自分がやりたいことを楽しそうにやってはる指導主事もいるんや」とか思ったに違いない。ところでこの頃読んでいる『定年後(人生後半)を充実させる本』(仮題)によると、「自分が輝いていた頃を思い出す」「自分の自慢話を自分にいくらしても良い」そうだ。それでわざわざ今日の話題にしてみたのだが、確かに「ドクターの影響です」という話を聞いた瞬間は嬉しかったが、それを皆さんに聞いてもらったからと言って嬉しさが増したわけでもない。むしろ「自慢話ですみません」って感じだ。そう言えば、その本には「(昔のことは忘れて)今日一日を充実させる」みたいなことも書いてあった。今度はこれでいってみよう。定年後の充実した毎日を目指して摸索の日々が続く。

☆生き方摸索は摸索として、今が盛りの田んぼ仕事はできる時に(雨が降らないうちに)やっておかなければならない。「毎日やることがあることがある(今日用がある)ことが幸せ」という話も聞いたこともあるなあ等と考えながら作業をするドクター。「昼間農作業に汗を流し、夜においしい肴でビールを頂く」これが幸せなのだろうか。

 

「ドクタートラクター」の内容を追記しました。

「ドクタートラクター」の内容を追記しました。
→詳しくは「ドクタートラクター」のページをご覧ください

Dr.126 妹力(9月1日)

近くに住む二つ年下の妹と脱穀作業をした。これまでは80歳をゆうに超える母と行っていたが、高齢とこの夏の暑さで体調が今一つの母に代わって作業を手伝ってくれた。近くに住む妹とは(車で10分以内)割とよく出会っているが、一緒に作業をするのは生まれて初めてかもしれない。やってみると妹の作業力に驚かされた。汗かきを得意とする兄は汗だけは妹よりも沢山かくが、頻繁に休憩したり、余計なおしゃべりをしたり、作業している写真を撮ってくれと注文したり、ろくに仕事をせず、どんどん作業を覚えてこなす妹の力に感心すると同時に、どんどんたよっていった。しまいには「妹よ、お前には農作業が向いている。お兄ちゃんが百姓出来なくなったら、この作業場も機械も譲るから、我が家の農作業を継いでくれ」と言い出す始末。この申し出は鼻で軽くあしらわれたが、妹の作業力の凄さにはホントに恐れ入った。通常は二人でやる作業を楽々と一人でこなし、しかも余裕がある。考えてみると、兄弟は子どもの時こそ一緒に過ごすが、通常は大人になると盆と正月と何かの法要の時ぐらいしか出会わないのではないだろうか。特に男女の兄妹の場合、さらに特に問題の多い兄としっかり者の妹の場合などはそうだろう。時々は出会っても、それぞれの大人になってからの真の力を知る共同作業などはあまりやらないものだ。妹の実力を知れて良かったが、逆に妹に兄の実力の無さがばれたのではないかと心配だ。そうでなくても、いろんな役を引き受け、地元でその実力のなさが明らかになりつつあるドクターだ、世間よりも先に身内に言われているほど実力がないドクターの姿を知られるのは痛い。妹には、真の実力はないけど「買いかぶられ力」はぴか一やろうという詭弁が通じるとは思えない。

☆実力のある妹と一緒に脱穀作業(乾燥させた稲穂の殻を飛ばして、中の玄米を袋に詰める)を行うドクター。

 

 

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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