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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2279 一隅を照らす(5月26日)

 地域の音楽・吹奏楽のコンサートを見に行った。中心になって企画している人に聞くと、このコンサートは市内5か所を巡回してやりたいとおっしゃる。それぞれの地域にある中学校吹奏楽部に地域の人の前で演奏する機会を与えたいということから始められたという。

 この方は、地域の大人の楽団のリーダーでいろんなところで演奏をされている方だ。その人が、地域の若者のことも考えて行動されている。地域の方の中には、スポーツ、文化、芸術、教育分野を含め、それぞれの関心がある、特異な分野で活躍されている方がおられる。

 別に活躍とまでは言わなくても、好きで活動されている。そして中には、今回の音楽コンサートのように、自分の楽しみのためだけでなく、地域全体のこと若い世代のことも考えて行動されている方がいる。こうした人にいろんな会合で何人かお会いする。一隅というのか、自分にあった分野で地域貢献も含めて自分のやりたいことをやって行くって、自分の元気にとっても大事なことだ。

 翻って、自分はどこを照らすのか、照らさなくてもどこで活動するのか考えて行かなければならない。いくつか関心ある分野はあるが、まだ決心がつきかねている。どんな活動に力を入れるかは、流れとご縁を第一に、自分の意思も入れながら成り行きを楽しみを持って眺めて行きます。

 ☆昨日の地域音楽会の様子です。

Dr.2278 頂く 捧げる(5月25日)

 日本人の宗教観は薄いと言われているが、「頂く」や「捧げる」という言葉に見られるように、神というのか、自分を生かしてくれている全ての存在に対する感謝や敬意の気持ちは持っている。ご飯を食べる時の手を合わせての「頂きます」も、お米や食材を作ってくれた人、それが自分のところに届くようにしてくれた人、太陽や水といった自然に対しても、あらゆるものに対して山の頂のように高く捧げもって、それらのお陰で命を頂いていることに対する感謝の気持ちを表しているという。

 そういう多くの存在のお陰で生かされ命を頂いていることに対する感謝の表れとして、自分の出来る奉仕、自分の出来ることやものや真心を差し出す(捧げる)ことを大切にする気持ちが多くの人の心の中にある。これはある面、宗教心があるといっても良いのではないかというようなお話を聞いた。

 宗教心と結びつけるかどうかは別として、生きていること、生かされていることへの感謝と、それに報いる貢献の気持ちを持って実行することの大切さは常々感じている。それが日本語として「頂く」「捧げる」等がよく使われていると言うことは、多くの日本人の心の中に、生かされていることへの喜び(存在の喜び)を持って、心穏やかに生を紡ぎ(心の平和)、自分にできる貢献をしていくことが生きると言うことだという共通認識(柔らかな宗教心)があるのではないかと思う。

 そんな話を聞いて、ドクターがこれまで言ったり書いたりしてきた、「流れとご縁を信頼して(感謝して)、自分にできる貢献(巡って来た役割)を担っていくという生き方・考え方と共通するものがあると意を強くしたというのか、ドクター考え方もこのような古くから日本に伝わる考え方の影響を受けているのかもしれない。

 ☆今朝はちょっとだけ時間の余裕があり、久しぶりに庭の木々や花々を撮ってみました。まあ毎日嬉しいことも辛いこともいろんなことがありますが、自分の思いを大事にしながらボチボチ行きましょう。

Dr.2277 面倒くさがり(5月24日)

 仕事上のやらなければならないことは面倒だと思ったことはないが、私生活においては結構面倒くさがりで、自分から進んで何かをやるというのは、狂言の練習に参加したこと以外はあまりない。今朝も、奥様から田植えも終わって妹夫婦に手伝ってもらったのだから、一席を設けたらどうかと言われた。この頃あんまりそういうことがないから、良い機会だと思うと言うことだった。

 それはそうだと思いながら、なかなか自分から動こうという気力が起きない。要するに面倒くさがりと言うことだろうか。そういえば、友達付き合いや同窓会出席にしても、自分から積極的に動こうという気持ちがなかなか起きない。

 こんなことでは、友達もいなくなり、同窓などのつながりもなくなる。それはそれで寂しいことだという気持ちではあるが、だからといって積極的に動こうという気持ちが湧いてこない。このままでは、孤独な日々がやってくると思うので、私生活面倒くさがりを何とかしたいとは思うのだが。

 ただ、このブログ書きや、スポセントレーニングなどは面倒と思ったことはない。ということは、万事において面倒くさがりと言うことではなく、自分がやりたいことはやる、あんまり気乗りしないことは流れに任せるタイプと言うことか。

 自分をより良い方向に変えたいという気持ちはあるが、人には変えられる部分(習慣など)と変わらない部分(気質など)があるので、変わらない自分の特性を踏まえてより良い方向(生き易い方向、陽気な日々が送れる方向)にして行くことが大事ですね。

 ☆6年前の村に続く道です。最近のいい写真がないから昔のを使うというのは、やっぱり面倒くさがりということですね。面倒くさがりの自分がどう機嫌よく生きて行けるのか、そのやり方考え方を探って行きます。皆様も、ご自身のよりよい道を探ってください、ボチボチで良いと思いますけど。

Dr.2276 久しぶりに元気です(5月23日)

 何日ぶりか分からないけど、久しぶりに特に不安を感じない夕方の時間を過ごすことが出来た。心配の種はわんさか渦巻いているのに、ぽっかり穴が開いて穏やかな時間に浸れたッて感じ。

 時間に余裕を持って夕食を食べ、調子のよい時の時間に眠れ、睡眠時間も7時間ほどとれた。何でこんなゆとりのある時間がやって来てくれたのか分からないけど、ありがたいことだ。また、この時間がいつまで続くのかなという不安な気持ちがやってきそうだが、考えて良くないこと(元気を無くすようなこと)は考えず、流れとご縁に任せて「なるようになる」という開き直った気持ちを持って、今日も過ごしていきたい。

 昨日ちょっと皆さんの前でお話しする機会があって、その時に「人生は大半(8割程度)は偶発性からできている。偶発性を活かすには、柔軟性と楽観性、冒険心などが有効」みたいな話をさせてもらった。人前で話すことは、このブログと一緒で自分に返ってくる。

 そんなこともあって、人生の行く末にあんまりこだわらずお気楽な気持ちで前へ進んで行こうという気持ちを自分に言い聞かせたのかもしれない。ともかく、昨日の夕方からの幸せな気分をもう少し続けて行けたらと思う。

 ☆通りがかりに見つけた、ちょっと奇麗な景色です。こんなの撮る余裕もありました、昨日は。今日もどうなるかは分かりませんが、「なるようになる」「なるようにしかならない」という開き直りの気持ちで、ボチボチ行きたいと思います。皆様も、穏やかな日が過ごせますように。あんまり油断し過ぎても危ないですけどね。

Dr.2275 食べれてはいるけれど(5月22日)

 「よく食べよく眠り心配し過ぎない」が健康の秘訣というのはよくわかる。心は何となく超元気ではないけれど、食べる方は何とかではなくよく食べれている。食べ過ぎで太り過ぎを心配しなければならないほどだ。ストレスによる過食というのもあるけど、そんな感じではなく美味しく落ち着いて頂けている。

 睡眠の方は、即寝はできているが、夜の会議もあって、睡眠時間は短い。これも体調今一つの原因かとは思うが、最低限の睡眠は確保できている。心の健康も大事で、何事もいくら考えてもどうしようもないことも多いので、考え過ぎず、流れとご縁を信頼して対処して行けば大丈夫なはずだが、これは理論通りには行かない。考えすぎ、心配し過ぎはよくないと分かっていても、気になることがあるとそれに心をとられ、何か気持ちが晴れやかではない。

 このあたりは、性格によるところも大きいと思うのだが、性格には変わらない部分(気質)もあるので、これもどうしようもないか。生まれ持った自分の性格とは、上手く付き合っていくしかない。ドクター気質との付き合い方で、自分なりにたどり着いたのが「流れとご縁を信頼して任せる」(任せたら後は心配し過ぎない)という考え方だったはずだが、こちらは時々何回もチェックしないと、また悩みや不安がやってくることになる。

 このブログも自分の迷いや弱気にも言い聞かせるためにも書いているが(もちろん、同じような悩みを持つ皆さんの少しばかりでも助けになればという気持ちもあります)、まあ同じような内容であると言うことは、大して心の状態も進化していないと言うことでしょうか。

 進化してもしなくても、自分とは最後まで付き合っていかなければならないので、今日も何か生き方のヒント探って行きましょう。超元気でなくても、そこそこ陽気な毎日、目指すことは忘れませんよね。皆様、ボチボチ参りましょう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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