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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1748 雨の休日の過ごし方(10月9日)

 前夜は久しぶりに親子4人で旅館に泊まれたので良かったのだが、昼過ぎに帰って来てから、雨模様で農作業も出来ずすることがなくて困った。

 こんな時はトレーニングセンターでの筋トレか、近くの温泉でサウナというのが多かったが、今回はどちらも終了済みだったので困った。2時間ほどは新米のこめつきに時間を使ったが、それから早い夕食までの2時間ほどがすることがなかった。

 夕食を美味しく食べるためにも、遅れている農作業を進めるためにも、外での作業が出来れば一番いいのだが、雨でそれができない。こんな時に、読書やテレビや録画映画鑑賞なども考えられるが、それがもひとつ、その気になれない。

 奥様から、今後何もすることが無くて、こんな日が多く成ればボケるのも早いでと意見を言われ、「そうやな、どうするのがいいのやろ」とか何やかやと話しているうちに時間が過ぎて、夕食までの時間はつぶれたが、毎回こんな話ばかりでも困る。

 結局、新たな目標と言うのか、やりたいことを見つけなければならないとは思うが、ご縁や流れ重視派のドクターとしては、それとて無理に選ぶというよりは、自然な形でやる事が決まって行くと思っているので、それが来ないうちはなかなか決められない。

 自分のやりたいこと、やるべきことは、向こうからやってくる、と言う感じでこれまで生きて来て、今後もそのように行くと思っているので、ここはやはり大きな流れにお任せしよう。

 ☆やることが無くウロウロバタバタしている間に見た、河原町のそぞろ歩き風景。何もする予定のない時間の使い方、これがこれからの一つの大きなテーマです。こんなテーマ自体が贅沢ですね。

Dr.1747 あんな時もあった(10月7日)

 今朝はいつもより遅い時間にランニング(自分ではそう思っているが人からはウォーキングと見られる)に行くと、赤い半パンTシャツの壮年のランナーが勢いよく走っていた。ここらの人ではないので、多分隣の村から走って来たと思われる。

 ドクターもかつては(20~30年前)、村の出口まで走っていたが、だんだん折り返し地点が家から近くなり、今では隣保(谷という単位)の出口までも行っていない。走るスピードも走る距離もかつてと比べると、その衰え振りに愕然とする。

 それでも、走ることは続けており、ほぼ毎日かれこれ40年以上になる。当時は田舎では走ったり散歩したりする人はいなくて(仕事以外で体力を使うなんてって感じ)、ドクター一人がやっていた。今から考えると時代の先端を行っていたのかな。

 そして今の短距離低速時代がある。壮年の走りを見ていると、あんな時代もあったとは思い出すが、誰にもその年齢年齢に応じた暮らし方、身体の使い方があると思って、昔が良かったとばかり思う訳ではない。

 それぞれの年齢で、その年齢にあった元気な生活がしたい。ないものはないし、あるものは有難く最大限生かす。これはランニングだけでなく、日々の生活においても同じだ。できないことも増えたけど、今まだ出来ること、いまだからこそ出来ることもある。

 今できることを大事に、身体も心もこれまでの学びを活かして、自分らしく使い、今の自分のベストで自他のためにできることをする。それしかないし、それで十分だと、いつものように思っています。壮年ランナーの元気な走りを見て考えました。

 ☆いつものドクターの机上の桜盆栽です。少し紅葉してきました。時に応じた変化があるものですね。

Dr.1746 それぞれの事情(10月6日)

 いろんな案件が飛び込んでくる。一方的に怒っている人にも出会うけど、相手方の事情が分かってくると、それはそれで無理もない(それなりの理由がある)という場合も多い。

 話せばわかるとも思うけど、冷静な話が出来ない場合もある。そんなこんなで、なかなか難しい案件が溜まっていく。

 簡単には解決できないものが多いけど(簡単に解決できるものは案件にならない)、また夫々の案件によって事情が違うので一概には言えないけど、できるだけ相手の立場に立って考え、逆の相手の立場も考慮に入れながら、解決に向かって行きたい。

 言うほど簡単ではないけど、あきらめず、丁寧に、誠意をもって、出来ることをやって行くしかない。

 気を付けなければならないのは、初期の段階では一方の立場ばかりで考えがちだが、夫々の立場があるということを忘れてはならないということ。夫々の立場、いろんな方向からの見方にも配慮しながら、できるだけ冷静穏やかに物事を進めて行くのが大事だ。

 ☆昨日見に行った運動会の応援合戦は、スマホで投票。こんなやり方(考え方)があるとは。いろんな考え方・事情を幅広く押さえなければならないということですね。

Dr.1745 習慣は変えられる(10月5日)

 自分の考え方と言うのか思考の癖(傾向)はなかなか変えられない。前向き、打たれ強いなどのよい傾向なら変える必要はないが、マイナス思考や落ち込みやすいなどの消極的な癖がある人は、も少し生き易い方へ変えられるものなら変えた方が良い。

 とは言っても、長年続いている傾向はかえるのは容易ではない。そんな時、ドクターの学びでは、人の思考を変えるのは簡単ではないが不可能ではなく、それは習慣を変えることでできるというのがある。これも一理はあると思っているが、人の習慣を変えるは簡単ではないと思っていた。

 悪い習慣なら知らない間にでも直ぐに身につくが、良い習慣はそう簡単には見につかないというのが実感だった。ところが今回、習慣って良い方向に変えられる(可能性がある)という体験をした。

 それは、毎晩夕食時に一杯飲んで即寝するというドクター長年の悪習慣についてだ。休肝日を作った方が良いのも、食べてから寝るまでに時間を空けた方が良いのも知識としては知っているが、なかなか毎晩の飲酒はやめられなかったし、食べて飲んだら直ぐに寝てしまっていた。

 それが今回、外の会合で夕食の弁当をアルコール抜きで食べる機会があり、それからかえって1時間余してから、お酒を飲まずに寝るということがあった。体調不良でないのにお酒を抜いたのはかなり久しぶりだ。家へ帰ってから晩酌をすると思っていたら、それ以上に眠気が勝って、そのまま寝てしまった。

 毎日飲酒と即寝の悪習慣は変えられないと思っていたが、たまたまにしても、やればできるのだった。まだ一回限りのことなので、悪習を断ったとは言えないが、習慣は変えられる可能性があるということを実体験できた。考え方の癖も含めて他の悪習慣も変えられる可能性があり、習慣が変われば思考が変わる(かもしれない)。たった一事で途端に明るい希望を持つお気楽な性格は変えないようにしたい。

 ☆家の近くに秋の花がこんなに咲いてました。見逃してることって一杯ありますね。

Dr.1744 当たり前の有難さ(10月4日)

 昨日しばらく前に骨折して長らく動けなかった人に出会った。今は大分回復して、「こんなに軽く身体が動くとは思わなかったです」と言われる。

 「怪我は大変だったけど、日頃当たり前と思っていることの有難味が分かって良かったね」と答えたが、人は何かを失った時でないと、そのものの有難さや意味を理解できないところがある。

 よく言われるように失ってからでは遅いので、失わないうちから今あるものの値打ちや有難さに気付く目を持ちたい。戦争もなく、寝るところや食べるものもある今の生活の有難さに気付ければ、日々を大事に感謝の心を持って生活できると思う。

 実際には、何もない時に今あるものの価値に気付くのは修行がいる。怪我や不測の事態など、起こっては欲しくないことだが、起こってしまった時には、その痛い教訓を生かし忘れないようにしたい。

 ドクターも鎌で手を切って、未だにばんそうこうを張っているので、素手で何でもつかめるという当たり前の有難さは少し分かりました。これからも今の自分の当たり前に感謝しながら、自分の出来る恩返しを考えて行きたいと思います。大したことはできないと思いますけど。

 ☆特に載せる写真がないので、以前の村祭りの時の子どもを先導する行司の写真。こんなんできるのも当たり前ではないですよね。多くの与えられたものに感謝です。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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