Dr.1130 ジョハリの窓(12月10日)
自分の限界を勝手に(低く)決めつけるのをやめようという呼びかけ「リミッターを外せ」の補強説明を考えてる時に、『ジョハリの窓』という考え方があるのを思い出した。
いつものようにうろ覚えだが、人間を見る時自分が知っている部分と他人が知っている部分があるという観点で4つに区分して、自分も他人も知っている既知の部分と自分も他にも知らない未知の部分、他人は知ってるけど自分は知らない意外な部分、他人は知らないけど自分だけが知っている秘密の部分があるという考え方だ。
どこに(どの窓に)力点を置くかは、自分が何を言いたいかによって変わってくるが、「リミッターを外せ」では自分では知らない窓が自分の中にはあるということと関連付けたい。
飽き性の自分が狂言と言うお稽古を20年以上続けたり、逆に料理好きなはずなのに(かつては時々はやっていたのに)この頃料理を作ることはほとんどないなど自分の予想と違う展開(窓が開くこと)が起きている。
だから人生は予断を許さず面白いともいえる。冒険教育もライフワークのはずが今では遠ざかった感じだ。今後戻れるかどうかも分からない。そもそも自分が教育界で生きて行くとは、大学終わるころまで、その後も全く分からなかった。
これからどんな展開が待っているのか、どんな窓が隠されているのか、油断はしないながらも楽しみにしたい。
☆自分も周りの人も知っている既知の窓「ウロウロするのが好き」全開で、隙間時間があればウロウロするドクター。ここはどこでしょう。
Dr.1129 頼まれたことは(12月9日)
時間があると現場に行くようにしている。時間がある時はそうないので、そんなには行けていない。
昨日立ち寄った小学校は、たまたまマラソン大会で、何人かの保護者の方が応援に来られていた。一緒に応援していると、一人の方が「丹後さんですね」と話しかけてこられた。
「前に小学校であった講演会で『何でも人から頼まれたことはやってみる(引き受けてみる)。自分の可能性が広がります』と言われたのを覚えていて、子どものやってる競技(何だか忘れました)の保護者会長をやってます」みたいなことをおっしゃった。
こちらは、その講演会をやったのも覚えていないが、「人から頼まれたことは、人があなたを見込んで頼んでくるのだから、自分では無理と思っても自分では知らない力があるかもしれないと思ってまずはやってみる」みたいなことは、あちこちで言ってるしそう思っているので、その講師が自分のことなのは間違いない。
自分が話したことを覚えていて実践してくれる人がいた。これはすごく嬉しかったが、又一方自分の言ったことには責任を持たなければならないという思いが強まった。どこでどう影響が出てるのか分からないのだから。
ただ幸い自分も市長から頼まれた今の役を「人から頼まれたことはやってみる」という自分の言葉に従って引き受けているので、今のところは自分の言行は一致している。
に嘘をついていない。
ただ正直、この決定は迷いに迷った挙句で、どっちに転んでもおかしくなかった。まだまだ自分の言葉に絶対的な確信があるわけではないということだ。
こんないい加減さだが、別の講演では「人生なるようにしかならないし、心配しなくてもなるようにはなるものです」と言っているので、迷いながらでも何とか生きているのは、自分の言葉に嘘をついていないと言えばいえるのでしょうか。
☆フラッと立ち寄った小学校で、思わぬ自分の言葉の影響を確かめた一コマ。言行不一致ではいけない。まあできるだけですけど。やっぱ徹底はしていないか。
Dr.1128 改めてリスクを思う(12月8日)
ふるさと一番会議と言う、市長と地域住民との会議に毎晩同席している。市内20地区で開かれるので、20晩お付き合いすることになる。
昨晩はそこである方(PTA役員らしい)が、「子どもがケンカしたらすぐに学校から連絡が入るが、ケンカやもめごとはあって当たり前。自分達で解決する力も大事なので、いちいち大人(先生や保護者)が関わらなくても良いと思う」みたいな発言があった。
ドクターは「人の成長には冒険心が必要で、リスクは成長に必要なものもある。何でもかんでもリスクを取り除くと成長も無くなる。ただ、命にかかわるような危険や不必要な危険は取り除かなければならない」みたいなことを答えた。
「危険には成長に必要な危険(リスク)と不必要な危険(ハザード)があるみたいな話は出来なかったが、やはり冒険や挑戦にはリスクあってこそのものだ。リスクは悪で取り除かなければならないモノではなく、成長や飛躍のためには必要なものである」ということをこれからも先生や保護者にも伝えて行ければならないと思った。
何よりも自分に伝えなければならない。リスクを毛嫌いしてはいけないと。むしろリスクのあるコトを喜べと。成長の機会なんだから。
そういう意味から言うと、ドクターが今やらせてもらっている仕事はリスクが一杯ある。冒険教育の時によくやっていた説明のように、リスクと戦うエネルギーが不足している時には安心安全快適な場所(Cゾーン)でエネルギーを貯めてもう一度再チャレンジするのが良い。このことも他の人にも自分にも伝えて行きたい。
久しぶりの冒険・リスク考でした。
☆リスクに挑戦するのはエネルギーが要る。エネルギーを貯めるには逃げたり、めげたり、泣き言を言ったりしてもよい。そこでエネルギーが溜まったらまた元気にチャレンジすればいい。
Dr.1127 どう生きる(12月7日)
奥様から、定年したら「畑して野菜つくって、漬物もつくる。料理もする」言うてたのにどれも出来てないと責められた。
今ではそんなこと言うたっけ状態だが、記憶力には自信がないので、奥様がそう言うなら恐らく言ったのだろう。言った言わなかったは別にしても、現状は市役所と田んぼで時間がない(ブログを書く時間とロペ観る時間は別)。
時間が合ったとしても今どれだけ野菜・漬物づくりがしたいかと言えば、正直それほど熱意はない。それよりは今の仕事の方がやりがいはあるし刺激はある。かと言ってしがみつく気持ちはないですけど。
やる流れ、やるべき役割だから精一杯(頑張り過ぎは良くないが)勤めさせてもらうだけだ。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。どんな役が回ってくるかは分からないけど、その役をやらせてもらうが、ベストにはできないかもしれないが、出来るだけ不幸せな人が少なくなるようにはやっていきたい。
これまでも理想通りには行かなかったが、やるだけのことはやったという気持ちだ。生きてるといろいろ思い通りにならないことも出会うと思いますが、あんまり自分の想いにこだわり過ぎず、妥協や譲歩(言葉は悪いイメージかもしれませんが)も取り入れて、先ずは生きる、愛する人と共に生きるを最優先に人生を紡いでいきましょう。
☆駅でのあいさつ運動。校長時代にもあいさつ運動やってました。どんな流れや役割がくるか分かりませんね。
Dr.1126 友に会う(12月5日)
亡くなった友人の1年ということでご自宅の墓前にお参りに行った。お母様と奥様が出迎えてくださった。お寺さんが来られる前の慌ただしい時間ではあったが、友に会えて彼の話を聞かせてもらえて有難い時間になった。
お葬式や今回のような周忌行事は逝った人のためと言うよりも、残された者にとって必要なものではとも思う。友達の少ないドクターにとって彼は唯一と言っても良い友人だった。自分にも友人が出来ると思えることは心の支えになるし、実際彼の存在は心の支えだった。
お母様のお話をお聞きしてしていて、また生前の付き合いで薄々は気付いていたけど、彼と自分は正反対のところもあり共通した所もあるということがはっきりした。きっちり几帳面なところは大雑把でいい加減なドクターとは正反対だし、受容的な彼と突撃型のドクターという所も相反するが、愛情豊かに育てられ人に暖かく接するというのは似たところがある(自分で言うのもちょっと気恥ずかしいですけど)。
やはりウマが合うというのは、自分と同じタイプと言うより自分と違う部分を補ってくれるような人とだ。
生涯の友人は今はこの世にはいないが、心の中にはしっかりと生きている。ドクターもこの後何年かこの世で生きた後、彼と同じ世界に逝くだろう。遅かれ早かれと言うことで、そんなに大きな違いはないような気もする。
節目の一周忌に彼に会えたこと、彼のご家族が今も自分を最愛の人の友人と認めてくださることに感謝しながら、生前の彼が認めてくれていた自分のような生き方を続けなければと思う。
☆無電柱化の河原町を通っても、一周忌に彼の墓前へ行けるかが気になっていた。念願を果たせて、自分は嬉しいし、彼も喜んでくれているだろうか。