ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1125 今は昔(12月4日)

 森のようちえんという催しがあって、その様子を見にささやまの森公園に行った。3歳児を中心に幼児とその保護者10組ほどが集まって森で蔓をとってリースを創るというのが今回のコンセプトだ。

 指導者は野外教育・生涯教育をサポートする法人から来ている講師達だった。ドクターは昔ドクターを名乗っていた時その法人の講師として仕事をしていたこともある。さらには、その法人を立ち上げた人を指導したこともある。

 その日の講師も知っていて、講師は参加者に今日は先輩が見に来ていて、参観日のようだと話していた。

 始まってみると、その講師の話し方参加者との接し方、プログラムの進め方、どれもすばらしい。こんな評価してるから参観日と言われるのかも。

 ともかく、今のドクターにはとうていできない指導ぶりだった。自分もつい1年前までは指導をしていたはずなのに、今となっては遠い昔のような気がする。

 月日のたつのは早い。昔のことは懐かしいが、今は今の生き方をするしかない。幸い何にデモ直ぐに飽きが来る困った性格のドクターとしては、次々新しい仕事をさせてもらえるのは有難いのだが。飽き性の割には、ドクター名称は長く使ってますけど。気に入った物には飽きがこない。これも又困った性格ですね。

 ☆森のようちえんの講師のお二人。昔(つい最近まで)こんなこともやってたが。今となっては遠い昔のような気がする。

 ☆会場のささやまの森公園の苑長さんは昔の狂言仲間。狂言のおけいこも今は昔のような気がする。月日の立つのは早い。

Dr.1124 短か(12月3日)

 トレーニングでよく会う教え子たちが先に筋トレやっているところに駆け込んだドクターが、「寒」(トレーニング室は感染防止のためドアや窓が開いている)とつぶやくと、「15分もやったら暖かくなりますよ」と言うので、「今日は時間ないのでそんだけやれないかも」と返事すると、二人そろって「短か」と叫んだ。

 そんなに短かったら、着替えの時間もあるので何しに来たか分からないと考えているようだ。確かにその通りで、自分でもなぜ来たのかよく分からない部分もある。グズグズ短時間トレーニングやるかやるまいか悩んでいたら、それだけで時間が過ぎて、より運動出来なくなるのでとりあえずスポーツセンターへ来たという感じ。

 こんなことは他のことでもありそうで、よく考えないでとりあえずいつも通りのことをやるということ。毎回、やることの目的や意味を確かめてことにあたるというのが本筋だとは思うが、それだと毎回考えるのに時間が掛り過ぎて生活に支障が出そう。

 時々は、あるいは折に触れては、しっかり考えることは必要だとは思うが、毎回、毎回考えていたのでは前に進まない。惰性やルーチンや適当にやる(生きる)ということも必要になってくるのではないか。

 考えることと、あんまり考えずにやることの比率は、その人の個性にもよる。ドクターなどは、あんまり考え過ぎても前へ進めない、その場その場で対処するという生き方だが、原理原則・熟考を生き方の原則とする人もいる。

 どちらが正解とも言えない。大事なのは多様性、自分と違う生き方(個性)も認めるということだと思うのですが、いかがでしょうか。

 ☆昨日は写真撮らなかったので、以前チルミューに行った時の写真。適当に選びました。熟考派の人ならこんな適当なことはやらないでしょうね。すみません。

Dr.1123 神田川(12月2日)

 久しぶりに遠距離を車で走っていて、ラジオから昔懐かしい『神田川』が流れてきた。作詞者の方が亡くなったこともあって取り上げられたようだ。

 「貴方はもう忘れたかしら・・」と懐かしい歌詞を噛みしめながらのドライブが続く。辺りには落葉の進む木々から落ち葉が群れ飛ぶ。

 この郷愁を誘う環境の中でドクターの心は「若かったあの頃」に飛んだ。「若かったあの頃、何も怖くなかった」は自分も「そうだった、そうだった」と共感できるが、その後の「ただ、あなたの優しさが怖かった」はいま一つ理解できない。「三畳ひと間の小さな下宿」で一緒に暮らす人がいなかったからか。四畳半の小さな下宿(男子アパート)には住んでいたが。

 ともかく、若さは怖さも感じる間もなくただひたすらに目の前のこと(空手道生活とバイトが中心)に打ち込んでいた。懐かしく、ちょっと戻りたい気もするけど、長くはいらないかな。

 今の生活もただひたすらだが、怖さや不安はある。考えて見ればどの年齢でも「ただひたすら」だったなと思い返す。これからも「ひたすら」が続くのか、終わるのかは分からないけど、「ひたすら」が終わるのは、楽なような暇すぎるような。

 勝手なものだと思いながら、「ひたすら」か「ひま」かは流れに任すしかないかと思い定めた『神田川』聴きながらのドライブだった。

 ☆こんな景色の中のドライブ(写真は停車時に撮影)でしたが、やはりたまには非日常の生活も悪くないですね。

Dr.1122 成長的マインドセット(12月1日)

 とある研修で「成長的マインドセット」という言葉を学んだ。まだまだ理解は不十分だと思うが、要するに人(の知能)は可変的で変えられるという価値観で、教育(人を育てる)には必要な考え方だということだ、と思う。

 これに対して、「固定的マインドセット」というのは、人の知能や能力は生まれながらに持っているもの(才能)によって決まるという考え方で、これでは努力のし甲斐がないことになる。

 成長的マインドセットでは、「~できない」のではなく「まだ~できない」と考え、「Can I ~」(私は~できるだろうか)よりも「How can~」(どうしたら~できるだろうか)と考えることを大事にする。

 そして、子どもには「あなたはすごいね」と(才能を)褒めるのではなく、「一生懸命取り組んだね」というようにプロセスを褒めることが大事と言う。

 以上のような説明は分かるような気はするが、ドクター的には「人は努力によって伸びる部分と、生まれながらに持っている部分がある」と思っている。「努力できるかどうかも、生まれながらに持っている資質による部分も大きい」とも思う。だから頑張らなくて良いということではなく、自分の持っているものを大事に使う人生が良いと考えるのだ。

 持っているものの大小を人と比べて、ひがんだり偉そうにするのではなく、持たされたもの(持って生まれて来たモノ)に感謝してそれを存分に活かす生き方をしたい、持たされたモノの中には運や宿命やご縁や流れも入っていると考える。

 「成長的マインドセット」教育観からは外れるかもしれないが、「努力すれば何でもできる」と考えるのはしんどい。今できていないのは、努力が足りないからだという思いにとらわれたらしんどい。「できるできないを意識し過ぎず」自然に生かされていることに感謝しながら、できることややる羽目になったことを精一杯(でも頑張り過ぎないで)やって生を全うする、これで十分だし、これしかない。いつもの結論になってしまいましたね。これでは成長的でないか。

 ☆学校安全パトカーに乗るドクター、連行されているのではありません。「何で乗っているのか」、努力とか意図とかよりも流れと言う方が合っているように思います。載せてくださった方、こんな時間があるコト等には感謝しております。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2024年4月24日
    Dr.1931 元気な人々(4月24日)
    2024年4月23日
    Dr.1930 ようく見ないと(4月23日)
    2024年4月22日
    Dr.1929 何とか行きましょう(4月22日)
  • ページのトップへ戻る