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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2075 ボトムアップ型(9月27日)

 リーダー像として、トップダウン型かボトムアップ型かが言われる。ドクターとしては、トップダウン型のような強いリーダーシップはないように思う。そもそも人に強く指示するというのは性に合わない。

 もともと教育(人の成長)には、感化・触発・あこがれが効くと思っているので、自分の生き方や持っているものが人に感化を与えるほどであれば嬉しくは思うが、こればかりはねらっていても始まらない。自分が活き活きと生きて、活動することで、もしかしたらそれに感化を受けてくれる人がいるかもしれない。いれば嬉しいし、いなかったとしても、それはそれで仕方がないって感じだ。

 そういう感じで生きているので、どちらかというとボトムアップ型に近いようには思うが、それを特に意識している訳でもない。人の意見や提案は大事にしたいとは思っているが。

 あえていうななら、自然体型、流れとご縁重視型だろうか。大きな思い(みんなが幸せになりますように)は持っているが、後は流れに任せて、やるべきことをやっていくって感じで生きている。

 ☆車を停めるところの後ろにある引っ付きむし。どこにでも引っ付いてきます。いろんな生き方があります。型にとらわれず、自然体で行きましょう。皆さん、今日も良き日になりますように。

Dr.2074 自分の思いプラス(9月26日)

 職場の会議で、来年度や今後の人生設計を考えることもあるだろうが、子どもたちには「夢と希望」を大切に自分の思いに向かって進むように言うが、大人になってくると自分の思いプラス、ご縁や流れ、いろんな絡みで人生の方向が決まっていくということも理解してほしいと話した。

 自分の思いややりたいことを大事にするのは勿論いいことだが、それが叶わなかったら絶望したり、やる気を無くすというのも違うように思う。いろんなしがらみと言うのかいきさつが絡んでくるのが人事なので、自分の思いとは少し違っても、その時回って来た(やってほしいと頼まれた)役割を自分らしく果たしていくことも大事な生き方であると思うと話した。

 人から頼まれる、その役割が回ってくるということは、自分の力や個性を期待されてのことなのだから、それを受けて自分らしくやって行くというのも、大事な貢献、生かされている理由と考える。

 勿論、そんな受け身の姿勢だけでなく、自分から積極的にやりたいことに向かって進んで行くというのも、ありの生き方だとは思う。自分の思いで行くのか、任された思いを引き受けて行くのか、どちらの要素をより大きく膨らませるのかも、ドクター流に言うと、「流れとご縁である」。

 ドクター人生振り帰ると、「自分の意思」だったことも(教員から指導主事になるコト、市会議員に立候補したこと等)、自分以外の意志に従ったことも(教頭になったり、独立校の校長になったり)、流れと意思が入り混じったことも(法学部から教員を選んだこと、現在の役職等)あったように振り帰る。

 どの要素が強い選択をする(選択になる)のかどうかも、大きな意思のお導きであるように、今では思っている。

 ☆昨日見た美しい景色。自分の意思を大事に、それ以外の要素もあるということも理解して、今日も一日元気に行きましょう。

 

Dr.2073 幸福は「ある」もの(9月25日)

 幸福は「なる」ものではなく、幸福は「ある」ものということを本で読んで学んだ。これは時々自分でも大事にしたい考え方だと思っていたことだ。今生きて、生活できている、このことが既に幸せな事で、全てはそこから出発するということ。

 「幸せ」だから、上機嫌で笑顔でいられ、人や社会にも貢献できる。生かされて居場所が与えられていること自体、大きな幸せである。加齢とともに老化や役割の変化はあるが、「ちょうどいい老化」と思って、人生や体力の変化を受け入れ、それに応じた生活を機嫌よく送る。

 そういう意味でも、自分が既に「幸福」であることに気付くことは大切な事。幸せはどこか他所にあるのではなく、今のこの生活の中にある。今の生を大事にして、そこにある幸せを味わって生きる。

 人を羨ましがるのではなく、自分に出来ること、やらなければならないこと、今ある幸せ(今の季節なら、野に咲くススキの穂の美しさを愛でることが出来る等)に気付きながら、じぶんおやれることをボチボチ楽しみながらやって行きましょう。

 ☆昨日は丹波篠山市であった、「水曜どうでしょうキャラバン」にこんな格好で出演しました。こんなことが出来るのも、多くの皆様のお陰とご縁です。幸せなことです。

Dr.2072 何のために生きる(9月24日)

 トレーニング中にラジオを聞いていると、「何のために生きる」という質問を小学生にしていた。そこでの答えは、「いろんなことにチャレンジするため」「人のために」「遊ぶために」みたいなのが出ていた。

 この根源的な答えに、定型の正解があるわけではなく、各自が自分で答えを見つけなければならない。「そんなこと考えても仕方ない」というのも一つの答えかもしれないが、この問いを考えることによって、自分の人生の生き方を見つめ直し、より充実した人生に繋がるかもしれない。

 ドクターもいつもいつもこの問いを考えている訳ではなく、日々のしなければならないことに追われてバタバタと毎日を過ごしているというのが実態だが、答えるとすれば、今の答えは「流れとご縁でやらなければならないことに全力であたり、日々の感謝と貢献を心掛ける(そのために生きている)」と言うところだろうか。

 結局いつも言っていること(書いていること)と変わらない。ということは、いつもこの問いに答えて生きているということになるのかな。そんなに意識していなかったけれど、この生き方で良かったんだと分かって、よかったような気がします。

 ☆昨日の村の慰霊祭の帰りに見た風景。戦死したおじいちゃんたちもこの景色を見ていたと思うと、生かされていることへの感謝と、しっかり役目を果たさなければならないという気持ちに改めてなります。

Dr.2071 幽玄の世界(9月23日)

 春日能の舞台を見て幽玄の世界に浸った。狂言の方は、今日にも通じる笑いの世界で、よく分かるし面白い。その分、現在とそれほど離れていないように思う。

 それに比べて、「能」の世界は、時間がとまったように見え、雅楽や謡でストリーを説明しているのだろうが、それがすんなりとは聞き取れないし、所作も分かったようで分からない。優美さや気品があるのは感じるが、能面を付けているのもあって、俗世界から離れている。

 これらを総称して幽玄の世界というのだろう。時間がとまったように思えた数時間。ボーっとした感覚のままその世界にいた。たまにはこういうこともありだと思う。いつもの現実は、効率とか人間関係とか世知辛い要素が強くて、しんどい場面もあるが、幽玄の世界はそれらを超越している。

 かと言って、常に「幽玄の世界」に生きるわけにも行かず、ここはやはり、時に幽玄の世界で俗世の塵を払いながら、現実の世界を淡々と生きて行く、そんな感じでいくのが良いように思います。皆さん、時に現実の世界で行き詰まりを感じられたら、能狂言をはじめいろんな世界(音楽・芸術・スポーツ等)でリフレッシュして、元気をちょっと取り戻して、又現世をボツボツ行きましょう。

 ☆いつもは春先に行われる春日能。能舞台修繕の為、今年は秋になりました。桜の代わりに落ち葉が待ってましたが、幽玄の世界は変わりません。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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