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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2080 青春とは(10月2日)

 ある方から「青春とは心の若さである。何の工夫もなく漫然と同じ毎日をくくり返し、新たなチャレンジの意欲を持とうとしなければ、たとえ肉体的に若く健康であっても、青春とは言えない。青春とは、心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気に満ちて、日に新たな活動を続ける限り青春は永遠にその人のものである。『松下幸之助 成功 日めくり』より」というメッセージを頂いた。

 この方が、何を思ってドクターにこのメッセージを送られたのかは、何の説明もないので分からないが、これを見て、良いことが書かれているとは思うけど、自分に当てはめると、ちょっと力入り過ぎって思ってしまう自分がいる。

 ドクターこの頃の生き方としては、何度も登場するように、「流れとご縁を信頼して、自分のやる流れになったことを精一杯だけどボチボチの余裕も忘れず当たり、感謝と貢献を忘れず、陽気に生きる」ということです。

 青春もチャレンジも好きな言葉ですが、無理し過ぎてはいけない。自然体で生きて、それが後から見てチャレンジ・新しいことへの挑戦だったということはあるかもしれないが、それだけを狙わず、自分も周りも生きやすい日々を生きるのを大事にしたい、そんな気持ちです。

 ☆昨日撮ってここに載せたい別の構図はありましたが、こだわらず、その次見つけた朝の霧です。自然体で生きる、これにこだわっているわけではないですけど、こんな感じで行きたいですね。

Dr.2079 スーパーサバイバルキャンプ(10月1日)

 今年で31回目を迎える、嬉野台生涯教育センターの名物サマーキャンプに参加した子どもたち(小学生~中学生)の感想文が送られてきた。送り主は、スーパーサバイバルキャンプを最初から担当する野外活動指導者の方で、キャンプでは国王と呼ばれている。

 今年は夏休みの3泊4日だったようだが、これまでは1週間を基本にやって来た。一日中歩いたり、夜明け前から活動したり、地域に出かけて行ったり、なかなかチャレンジんでユニークなプログラムで、過酷なぶん、やりがいも達成感も思いでも一杯になるキャンプで、リピーターも多い。子どもの頃に参加して、大人になってから運営に関わる人もいる。

 ドクターも嬉野台生涯教育センターの青少年活動指導員だった頃に、このキャンプに関わらせてもらい、それ以降、指導者の同窓会などにも参加させてもらっていた。最近はご無沙汰しているが、国王は覚えてくださったていて、今回感想文を送ってくださった。

 感想を読んでみると、当時と変わらず、友情や挑戦や達成感を子どもたちが感じているのがよく分かった。大学生のリーダーも学びが多かったようだ。

 ドクターにとっても40代で、今から思えば青春時代だったような気がする。未だに青春時代を生きている国王らスタッフに敬意を表すと同時に、自分もキャンプではないにしても、心を若く持って生きて行かなければと思う。久しぶりに、青春時代を思い返させていただいた国王や子どもたちの感想文に感謝します。

 ☆家の近所で見かけたチョウ。これも青春時代を思い出します。皆さん、幾つになっても心若く行きましょう。無理ない範囲で。

Dr.2078 楽しいけれど(9月30日)

 地域の秋祭りの子ども相撲の行事をやった。この行司役は地域の先輩から譲り受けて、ここ数年やっている。子どもと関わるのは楽しいけれど、子ども相撲がないと祭礼の一大イベントが無くなってしまうので、体調にも気を付けて、いろんなスケジュールも調整して、この役を勤めることを最優先した。

 子ども相撲の行事など誰にでもできるが、事前連絡ならまだしも、当日急に代わってもらうことは出来にくい(と思っているのはじぶんだけかもしれませんけど)。

 ようく考えて見ると、世の中は誰かがいなかったらいなかったで何とか回って行くもだというのも真実だと思う。それでもできるだけ人に迷惑をかけないようにしたいというのも、大事な考え方だ。

 とか、なんだかんだと言いながらも、昨日は行事の役を楽しみました。自分の役を楽しんで演じる、これも大事なことで、ちょっとドクター得意だと思います。

Dr.2077 老年期成熟(9月29日)

 高齢期うつとかフレイルとか、齢を取るとマイナスばかりが言われる中、「老齢期成熟」という言葉があるのを知った。老年期において、人生を回顧して受け入れ、知恵を得ること、また、さまざまな発達課題に適応すること等を言うようだが、この考え方で行くと死期もそんなに怖くなるようだ。

 ドクターはまだ修行が足りないのか、年齢が足りないのか、その域までは達していないが、老年期になると人生が達観できる域に達する(人が多い)という知見は希望になる。齢を取ると、体力や記憶力等退化するものは多いし、精神的にも不安が増えると言うのか充実感が減って来ているようには思うが、そこを超えると満たされた世界が待っているというのは本当に嬉しい情報だ。

 その老年期に(老年期だけでもないようですが)充実を感じるポイントに「感謝」があるとも言っていたように思う。「感謝」の大事さについては、ドクターも日頃から思っていることなので、さらにこの感謝感度を高めて、感謝深度を深めて行きたい。

 どう考え、どう行動する、どう暮らすのが、人生の充実に繋がるのかは大きな課題でもあり、自分にも適応されるので、やりがいも研究のしがいもある。これからも、いろんな知見をつなげて、自他の元気が出る生き方を探っていきまう。

 ☆昨日は池の水位を計る日でした。そこから出発していろんなことをしましたが、老年期成熟を忘れないように考え方の修正、充実に繋げて行きたいと思います。先ずは感謝の心で。

Dr.2076 自分らしくはいらないか(9月28日)

 ドクターはよくこのブログなどでも、「自分らしくいきましょう」と言っている(書いている)。それは、周りにはいろいろ言う人があるかもしれないが、そんなことは気にし過ぎず、自分の価値観を大事に自分のやり方でやったらいいんだという意味があって、自分を応援する、自分のやり方でやったらいいんだという気持ちがこもっている。

 ところが、今回本を読んでいると、「与えられた状況に最適化することが大事で、『自分らしさ』とか『自分のこだわり』とかいうものはあってはならない」ということが書いてあった。自分の欲望とか執着を捨て、与えられた状況に感謝し、足るを知る方が心安らかに暮らせるということらしい。

 これは衝撃だった。言われることは分かるし、常から与えられた状況に感謝し、自分にできる貢献をしていくことの大事さは思っているので、後半部分には異論はない。前半部分の自分らしさ、自分の思いを捨てる、こだわりを無くすということにはまだ迷いがある。

 そんなに、自分らしさにこだわっている訳ではないと思っているが、自分の価値観と言うのか、自分の考えは大事にして行きたいという思いはまだ結構強くある。だからと言って、自分の思いを押し通すということではなく、いろんな考え方があるので、自分と違う考え方があることも認めて、それも尊重しながら落としどころを見つけていく。でも内心の自分の思いは大事にしたい。でも、それにこだわり過ぎない、ってそんな感じでしょうか、今のところ。

 これからもこのことについて考えて、より良い生き方考え方を見つけて行きたいと思います。

 ☆自然の中で自分らしく。でもこだわりは静かに。どっちやねん。この中途半端が自分らしいというのかな。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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