ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.573 映像祭はええぞー(2月3日)

丹波篠山市の映像祭に参加した。優秀なビデオ作品を選ぶ部門とは別に、丹波篠山市の観光・特産・地域や学校・行事の様子などを映像でPRする部門の制作者としての参加だ。製作者と言っても別にドクターがPRビデオを作ったわけでもないが本当の制作者から依頼されて、映像上映後の関係者として舞台に立った。舞台に立つのは得意だし、その映像に出演しているので満更関係がないわけでもない。ドクターがPRした作品は、今回のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で注目を浴びる地元の八上城で、これまた地元の特産品「鯖寿司」を食べるという内容のものだ。普通の格好で舞台に立ったのではおもしろくない(観客の皆様がです。決して自分がではないですよ)と思って、わざわざ甲冑を着て登場した。これは着付けやら甲冑の搬送やらを手伝ってくださる方がいてできたことだ。もっと言えば、ドクターにこのプレゼン役をやらせようと企画された方があってのことだ。いろんな人のご縁や助けで流れに乗って出来ることをするのは得意とするところだが、この日もそういう感じだ。やるからには全力でと、舞台上ではボケや「エイエイオー」のときの声もあげてやれるだけのことはやらせていただいた。こんな感じで映像祭もドクター人生も進んで行く。ええぞー。

 ☆波多野秀治の甲冑を着けて映像祭に出陣するドクター。みなさんのご縁に載っているといろんな体験が出来る。ええぞー

Dr.572 講師研修(2月2日)

講師をする人たちのブラッシュアップ研修に参加した。県下各地から冒険教育だけでなく、子育て研修、障碍児支援、野外遊び、音楽活動など専門の違ういろんな講師が集まった。研修会は全国的な講師コンクールで優勝したYさんが主催、進行された。その研修会の内容・進め方自体が工夫がこなされ学びで一杯だった。学んだことが多すぎて頭が混乱して何を学んだのか思い出せないほどだ。ごちゃごちゃでよく思い出せないが、今一番頭に残っているのは、ドクターのやっていることは「人気のある講師」になるためにしてはいけないことのほとんどに該当するということだ。人気のある講師は、「自分の話したいことややりたいことをやるのではなく、参加者に気付きや知識を与え自ら問題解決の方向に導く」らしいが、ドクターは話したいことを話しやりたいことをやっている。また、人気講師は、「何でも引き受けるのではなく、私は〇〇のプロです。私にはこういう特徴があり、こんな成果が出せます」と言わなければならないらしいが、ドクターは依頼があれば何でも引き受け、自分が楽しむことと、参加した人に楽しい時間を提供することには気を付けているが、ドクターの講演を聞いて参加者がこう変わるなどという自信はない。というか講演では「狙ったところよりも狙わないところが効く」等と話しているので、自分の講演でも何を感じ何を学ぶかはその人次第だ(この程度で講師なら自分も何か出来るのではないかと自信を与えているかもしれない)と思っている。

 ☆午前中講師研修会で学んだことを早速午後の講演で取り入れた。この安直さと言うのか適当さも、多分「売れる講師」にはなれないのだろう。上がドクターが受けた研修会、下がドクターが講師の講演会。

Dr.571 子どもから学ぶ(1月31日)

市民センターにママさんの集いがあって、小さなお子ちゃまを連れたママ達が大勢集まってこられた。あまり見かけない光景で、こんなに子どもがいるなら丹波篠山市も安泰かと一瞬思ったが、これは滅多にないことで少子高齢化・人口減少はここでも深刻だ。子ども好きのドクターは二人の子どもを連れた若いお母さんを暖かく見守っていると、そのうちの小さい方の子(多分0歳児)が走っていて地面にこけた。助けようかどうしようかと迷いながら見ていると、その子はこけた後も泣かないので「えらいね、こけても泣かないね。自分で起き上がれるかな」等と声をかけていると、何とその子はうつぶせにこけたまま手に持っていた車のおもちゃを地面に走らせて遊び出した。こけたことや、その後起き上がらなければならないことなどどうでもよい感じで、寝っ転がった状況を幸いにそこで今できる楽しいこと(おもちゃの車を地面にこすって遊ぶこと)に専念してる。これには度肝を抜かれた。こけたら起きなければならないという大人の常識を超えている。大人、特にドクターはこれからしなければならないことや世間体にとらわれて今を楽しむ・今やりたいことをやるという大切なことを忘れかけている。今・現在の積み重ねが人生であり、今を大事にしないと未来もない。どうにもできない過ぎた過去でもまだ来ない未来でもなく、自分で何とでもできる今が大事。大切なことを子どもが教えてくれた。ありがとうちっちゃな先生。

 ☆ミャンマーから帰って日本の良さを再認識して道路のごみ拾いをするドクター。ゴミ拾いの功徳からか、ちっちゃな子どもがこける現場に出くわし大切なことを教えてもらった。写真の子どもはその子ではないが、無邪気に走り回る姿は生きる原点を思い出させてくれる。悩み過ぎかな大人は。

Dr.570 日本(人)の良さ(1月30日)

海外へ行くと日本(人)の良さも課題も見えてくる。今回のミャンマー旅行では特に日本人好きの人に多く出会ったからか日本の良さを強く感じた。ずっと日本にいたら当たり前で分からなかったことだ。私たちを案内してくれた現地人の30代女性の通訳の方は元は公務員だったが、いま一つ充実感を感じなかったから脱公務員して、外国語を学んで職業にしたらしい。複数の国の言葉を学んでガイドとして某国の人を案内したが自分とは合わないと感じ、次に案内した日本人がとても親切にしてくれたので、それからは日本人専属の通訳ガイドとして日本人観光客を案内していると言われていた。観光地でいろんな国の人と出会っても、我々日本人ならしないだろうと思われる傍若無人な振る舞いをする某国の人もいて、改めて日本人の控え目さ優しさの良さを感じた。もちろん日本人の中にも強引な人がいるので一概には言えないが、相対的に今の日本人は優しく礼儀正しいと思う。今後はより一層その良さを自覚して、優しく礼儀正しく親切な日本人(自分)を目指したい。

 ☆日本の清潔さ・治安の良さも良い所だが、生き方がもう少しゆったりしていても良い。

Dr.569 優しさは国境を超える(1月29日)

昨日ミャンマー旅行から帰って来てから、旅行中に感じたことを振り返っている。ミャンマーは軍政が終わって只今発展途上中の国だから、何十年か前の日本のようなところもあるが、大きな都市では日本と変わらないようなビルやスーパーもあったり、田舎では裸足で埃だらけの家で遊んでいる子どももいるけどその子がスマホを持っていたりと現代の発展途上国らしいところもある。山奥にある寺院を見に行った時に見た植生は日本と違う植物もあるけど基本的にはドクターの家の周りの山と変わらず、そこに住んでいる人は日本人と同じような顔立ちの人もいれば少し異なる人もいる。貧しいからなのか寄付の文化があるからなのか物乞い・寄付集めの人も多く、観光地や信号で止まった車には多くの人が集まってくる。ドクターはケチだからなのか寄付の心が成長していないからなのか、そういう人たちとはできるだけ目を合わさないようにしていたが、根っからの子ども好きからなのか子ども達がいると目を合わせて言葉もかけたくなる。そのうちの1人がどうしても自分たちが作った(であろう)竹製の眼鏡の格好のフレームを渡すので受け取ってしまった。受け取った以上は只と言うわけにはいくまいと逡巡していると、その子たちは笑顔で「オッケーオッケー」と言って手を振りプレゼントだと言う(多分)。子ども達の善意・親切を押し売りと勘違いした自分を恥ずかしく思うと同時に、笑顔や優しさは国境や言葉を超えて相手に通じるものだと感じた。

 ☆笑顔や優しさは国境を越えて共通するけど、いろんな文化のいろんな暮らし方・考え方をする人々が世界に入ることが分かったミャンマー旅行だった。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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