Dr.243 先生臭(1月9日)
毎日のようにトレーニングセンターへ行っていると、さすがに顔見知りの人も出来、少しづつ話をする人や時間が増えてきた。特に市内の民間ジムが閉鎖されてからこちらのトレセンへ移ってきた人たちには話好きが多い感じだ。以前からのトレセン人間には黙々と自分の運動だけをする人が多く長年顔を合わせているのに会釈もしないという人が多かった。ドクターも以前からトレセン派だが、最近やってきた派の人とも話をするタイプだ。タイプにこだわらないタイプかもしれない。ともかく最近やってきた派のうちの一人、3つ年上の工務店主おっさんと話をしてお互いの素性(住んでるところや仕事・年齢など、特に年齢情報は「その年齢ならあの人しっとてけ」と話が盛り上がるので重要だ)などを交換した後で、おっさんが「そうけ、やっぱり学校の先生やっとったったんけ。最初から先生やないかとおもっとったわ」と方言丸出しで言われた。「えっ先生臭出てましたか。先生臭出ないように気を付けてたんですけどね」とドクター。『先生臭』とは、①偉そう、②固くて融通が利かなそう、③世間知らず(学校と言う独特の価値基準で生きてい)そう、④背広に運動靴で必ずカバンを持ってそうな一般的には悪いイメージだ。「学校にも世間の風を(学校の常識は世間の非常識を無くしたい)」と考えていたドクターとしては、先ず自分から先生臭を消したいと思ってやってきたが、長年の教員生活で知らず知らずのうちに染まってしまったらしい。「先生臭が出ていたとはショックですわ。偉そうにしてましたか」と尋ねると、饒舌な工務店主おっさんは「いいや、そういうわけではないんやけど」と言葉を濁ごされたが、偉そうにしていたに違いない。冒険教育家という訳の分からない仕事で偉くもなんともないのに偉そう臭が出てたとはお笑いだ。ここは一つ消臭剤を持ち運ぼう。
☆地域の公民館に「NHK大河ドラマ決定」垂れ幕を知り合いの工務店主(饒舌おっさんではない)がつけてくれたというので見に行ってトレセン知り合い饒舌おっさんに出会ったのだが、その後公民館長に電話で「ちゃんと(垂れ幕を)つけてくれていたので、ちゃんと支払いしてあげてくださいよ」と連絡したが、やっぱり偉そうな先生臭出てます?
Dr.242 弱点(1月8日)
ドクターに弱点はいろいろある。人前で話をするのが苦にならないという長所を除いてほとんどが弱点だらけと言っても良い。人前トークでさへ長所かどうかも怪しいが、数ある弱みの中でも、甘いもの(特に菓子パン)・自制心(休肝日が必要と分かっていても酒類の誘惑に負け続けている)・妻(もはや挑もうとも思わない)・機械(パソコンから農業機械まで弱い。お陰で農作業体力はついた)・整理(苦手が分かってきたので最近では何でも捨てているが、必要な書類まで捨てると妻に叱られている)・頼まれごと(定年後地域の役など何でも引き受け、近くでは正月駅伝の選手まで引き受けてしまった。身の程を知らなければならない)・記憶力(昨日は銀行で「定期預金」を「定規預金」と書いて某銀行美人行員から静かに『すみません、「規」を二重線で消して「期」に書き直し訂正印をお願いします』と言われたほどだ)などは特に弱い分野だ。人生訓が多い最近のドクターブログの傾向から今回ブログのオチを「弱点も考えようで長所になる」みたいな話かと予想した方もあると思うが、今回のメイン主張は、「弱点だらけのドクターにさらに大きな弱点が見つかった」ということだ。それが背筋力の弱さだというと、皆さんの中には「何やそんなことぐらい」」と思われる方もあるかもしれないが、ドクター背筋力の弱さと言ったら半端ない。うつぶせになって体をそらして両足をあげようとしても1㎝を数秒上げるのが出来かねるほどだ。腹筋や胸筋はそこそこあるだけに、背筋の弱さが分かった時はショックだった。将来腰痛で寝たきりになるかもしれないと不安にかられているが、記憶力が弱いだけにいつまで不安を覚えているかは自信ない。あれっ弱点も使い方次第で役に立つってこと言ってます?やっぱり教訓ブログになってしまった。
☆昨日は「とんど」で正月飾りを燃やして、灰を家の周辺に撒くという正月行事をやりました。雑な性格という弱点を持つドクターの鏡餅焼きはもちろん雑な焼け具合でした。
Dr.241 2パターン人生訓(1月7日)
新年から特にこれといってすることがない日が続いている。特にすることがなくても食っていけているというのはありがたいことだが、こう無沙汰な日が続くと、これはこれで機嫌よく過ごすには工夫がいる。食べる寝る風呂に入る掃除する等の日常の生活を修業と思って念入りにやるというのも工夫の一つだが、どう生きたらハッピーに生きられるか(人生訓)を考えるというのもよくやる。そしてこれに対する今のところの答えは「あれこれ考えない」ということだが、あれこれ考えない方が良いと分かっていても考えてしまうのが悟りきっていない人間の性だ。性やどうしようもないことには逆らわないというのもこれまでに得た人生訓の一つなのでややこしい。ともかく数ある人生訓は二つのパターンに分類できるらしいということを今回学んだ。一つは「ハウツー型」というのかどのようにして自己を改善していくかと言うやり方を追求する系統、もう一つは「あるがまま型」というのか、人間はみんな今のままで十分幸せなのだから後は変な努力(自己向上策)はせず、今が恵まれていること(今の幸せ)に気付くことを心掛けよというタイプだ。ドクター流の「流れに従ってやる羽目になったことを無理ない範囲でやっていく」というのはどちらかというと後者だと思うが、元旦からの何もない日々を持て余し気味な身としては、まだまだこれで大丈夫と言う人生哲学ではないことは分かった。人生訓完成目指して今日も修業を続けたい。
☆今年の置物鈴を見ながら、人生訓の二つのパターンについて考えるドクター。悟りへの道は遠い。
Dr.240 下を向く?(1月6日)
「下を向いて生きよう」みたいなことが書いてある本を読んだ。何か前向きではないような主張だが、「人生で大切なのは幸福に生きるということだ」という生の原点に関わる主張には共感できる部分もある。下を見て自分より厳しい条件で生きる人を見て、自分の恵まれていることを感じて感謝して生きる方が、上を見て焦りや不満を感じて生きるよりは幸せに暮らせるのだったら、下を向いて生きようというのが著者の主張だ。人間には人と比べるなと言ってもどうしても比べてしまう性向があるので、比較癖から逃れられないとしたら、いくら出世や金儲けをしても上には上がいるのだから、下を見て満足して生きようということだ。全面的に同意しにくい面もあるが、生きる上で何が一番大事かと言うことを忘れないようにしようということは大切だと思う。ドクター的には「いかに上機嫌で生きるか」「いかにお気楽に生きるか」「定年後をどう充実して生きるか」という表現で、つまるところは「どう幸せを感じながら生きるか」ということを問うている。これまでの研究で幸せかどうかは、物理的客観的な条件によると言うよりは心理的主観的な見方・考え方によるところが大きいというのはつかんだような気がする。下を見る・下を向く以外にも主観的な幸福を感じるやり方はありそうに思うが未だ研究中だ。下を見ると言っても、見ている人に向かって馬鹿にしたような言葉や態度をとるわけでないので、個人の内面の持ち方の一つとしてそれでその人が幸せに暮らせるというのならとやかく言う必要もないような気がする。人それぞれ自分に合ったやり方(考え方)で機嫌良く面白い人生を生きてほしい。そしてあなたが見つけた幸福に生きるのにいいアイディアがあれば教えてください、参考にさせていただきます。勿論自分が見つけた秘訣はお知らせしますよ。自分だけ良ければ良いという考え方は自分も周りも幸せにしないことも学習済みですから。
☆この絵から何かヒントつかめます?
Dr.239 修行(1月5日)
初出勤をされた方も多いと思われるのに、定年後生活者ドクターは特に何もない日々が続いていて申し訳ない。特に大きなイベントは無くても禅僧の生活は寝て食べて清掃してお勤めして瞑想するだけで忙しいらしい。禅僧に倣ってドクターも特に大きな行事は無くても日常のルーティンを心を込めて行うことで退屈とおさらばして充実した日々を送りたいと考えた。何もない日を上機嫌で生きる修行だ。仕事や介護や闘病、その他にもいろんな悩みで格闘されている方から見れば何を贅沢なことをと思われるだろう。それはその通りだが、何もない日に慣れていないイベント好きのドクターとしては、平凡な日常を機嫌よく生きるのは結構難しく、修行という言葉がぴったり来る。そこでとりあえず家の周りの土埃が溜まっているところを掃いたり、スコップで土埃を取り除いたりした。そして禅僧のお勤めや瞑想の代わりにトレーニングセンターへ行ったが休みだったので戻ってきて近所を走った。そんなこんなしているうちに夕方になったので7回目年女の母と一緒に和食の御膳を頂いた。勿論般若湯(お酒)と一緒に。こんなんで修行と言えるんでしょうか。
☆市内うろうろ(托鉢)中に見た高城山(西側)とランニング中に見た高城山(南側)、最後の枯れすすきは修行中の心境を表す。まだまだ未熟ななんちゃって修行中だ。