Dr.238 ドクターブログを見ている人(1月4日)
年始の挨拶に妹一家がやってきた時、今は新潟に勤める20代の姪っ子に「おっちゃんは退職して嬉野台で冒険教育の指導をやってるんや(依頼はそんなになくて暇やけど)」と話したら、「知ってる。お母さん(ドクター妹)に言われておっちゃんのブログを見たことある」と言うではないか。驚いた。姪っ子までドクターブログを見るとは。ドクターブログの主な愛読者は、これまで『絶こうちょう』ブログを見ていて気の毒にもそれが習慣になってしまった学校関係者かこれまでドクターのお気楽な言動に触れ何であんないい加減でもやっていけるのか不思議に思った人がその真相を究明しようと見続けているかしかないと思っていた。この2大勢力以外にも見てくれる人がいたのだ。そういえば先日ある集まりでお会いした全くそんなものは見ないような感じの地域のおっさんが「時々フェイスブック見ています」と言われた。フェイスブックで発信はしていないので多分このブログの事だろう。これだけ(と言っても実例を挙げたのは二人だけで、しかも二人とも毎回見ている訳ではないが)老若男女の多様な人に見てもらっているとすれば、最近の主なテーマ「定年後の充実した人生を送るにはどうすればいいか」だけではいかんやろ。もっと多様なテーマを多様な切口で語らなくては。と思ってはみてもそんな力量が自分にあるわけではないし、先方もそれを期待してるわけではないやろと思い直し、これまで通り何やかやと煮え切らない気付き(自分勝手悟り)を語っていきたい。「何事にもこだわらない」というのが若者にも定年前後の人にもお勧めの生き方です。
☆「こだわらない」ということで、今日の写真は年末の「年越しイワシ」を焼いてる時のやつです。「毎回新しく魅力的な写真を載せなければ」というこだわりをなくせばブログでもなんでも楽に行けます。
Dr.237 減らす 手放す 忘れる(1月3日)
心配事や悩み・不安はもちろん、自分が持ってるモノやコトにも煩わされずに快適に生きるコツは「減らす 手放す 忘れる」ことにあるということを学んだ。そういえば昨年4月当初の机とパソコンぐらいしかなかった「ささやま冒険教育事務所」(いわゆるドクターの自室)は広くて快適だった。今ではこの9ケ月に溜まった物や書類で溢れていて窮屈だ。現役時代も最初は回ってくる書類を何でもかんでも保管していたが、すぐに引き出しが一杯になるし必要な時に必要な書類は出てこないことが分かったので途中から何でもかんでも見た後は直ぐに処分するようにしたが、特に困ったことはなく(周りは困っていたかもしれないが)快適だった。今改めて「減らす 手放す 忘れる」という教えに接し、今年はこれを心掛けていろんな煩いなく上機嫌でお気楽に行きたいと思う。特に「忘れる」は老化による物忘れもだいぶ進んできているので得意とするところだ。過去の嫌な思いや恥ずかしい思い出をいつまでも忘れないでいてもろくなことはない。ここはスッキリ忘れて、毎日のやることに集中したい。ただ心配なのはこの快適に生きるコツも直ぐに忘れてしまうかもしれないということだが、そんな心配も手放した方がいいということだろう。ともかくしばらくはこれで行ってみよう。
☆自室(ささやま冒険教育事務所)から雪のちらつく外を眺めながら、遅れている年賀状書きにいそしむドクター。誰に出して誰がまだなのかも忘れてやっているので、2回来る人や今年は来ない人がいたらすみません。気は楽だが、多分この教訓はこういうことをしろと言っているのではないような気もするなあ。
Dr.236 日常生活もどる(1月2日)
実家にいて帰省も妻の実家訪問もしないドクターは元日に正月行事を終え、もう今日二日からいつもの日常生活に戻った(早っ)。食事もおせちを食べつくしいつもの食事パターンだ。やることも朝の菓子パン食べながら読書、朝ランニングとセットの風呂掃除、ブログ書き(ここまで実施済み)、机の前での雑務&もの思い(年中行事などの忘備録作成、確定申告等の思案・・)、外での仕事(本日は山の草刈りの予定)、トレセン代わりの近所ランニング、一杯飲みながらの夕食、読書しながらの就寝(ここまで予定)など、いつもの通りだ。大して変わり映えしないいつもの生活を退屈しないで機嫌よく行う、これが結構難しく修業そのものとも言える。特にいつもの日常生活を機嫌よく笑顔で過ごすというのが難しい。いろんな行事や突発事項が突然やってくる現役時代はそれはそれで大変だが、代わり映えしない毎日を退屈しないで機嫌よく過ごすという修業とは無縁だ。何も大したことが起こらない定年後の毎日は考えようによっては恵まれていて「悠々自適」とも言えるが、放っておいても様々な難問奇問が訪れそのたびに一喜一憂する現役時代はある面退屈しないしやりがいがある。ここまで考えて「日々の充実には他人や過去と比較するな」という禅僧の教えを思い出す。それでは下手な考えをここで休んで今日の生活を流れに従って始めることとします。
☆代り映えしない日常生活にインスタ映えする映像もなく、庭の古木梅にもいつのまにか蕾といつも変わらず明るい表情の信楽狸とドクター。師匠はどこにでもある。
Dr.235 謹賀新年(1月1日)
明けましておめでとうございます。新しい年が始まりました。いろんな所への初詣やトレーニングセンター休館中の近所ランニングなどでブログ更新が夕方の今になってしまいました。今年も絶対にこれがしたいというような固い決意はありませんが、天の意志に従って自分に任されたことを楽しみながら精一杯やって行きたいと思っております。ところで丹後家では新年の初めに家族そろっての食事の前に当主のお話を聞くというのが習わしになっており、お気楽当主ドクターは「今年も家族そろって健康で生活できますように。子どもたちは進路決定の大切な年でもありますが、精一杯自分の目標に向かって努力すれば、結果は後から付いてくるので心配しないように」というような話をした。自分で言って気に入っているのが、「(精一杯やれば)結果は後から付いてくる(だから何も心配する必要はない)」というくだりだ。自分で自分のことを褒めるのが好きなのは今年も健在のようだが、結果を気にし過ぎず出来ることを出来る範囲で精一杯やれば、それで十分だし、それしかできない、というのはこれまでの人生で学んだ教訓だ。子ども達もドクターもみなさんも、結果は大事で思い通りに行ってほしいが、そう願ったからと言ってその通りに行くものではない。それなら結果は天の意志にお任せして、自分のコントロールできるところを全力でやっていくしかないじゃありませんか。で、それが出来たなら、それで上出来、それ以上は神の領域と観念して安心していきましょう。今年もこんな感じで一日が始まりました。
☆同じような写真で失礼しますが、本年もお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。
Dr.234 旧年中はお世話になりました(12月31日)
いよいよ今年もラスト一日となった。ラストであろうと最初であろうと一日は一日、いつもと同じように充実して行きたいと思うが、世間が年末大晦日モードなのでなかなかいつもと同じようには過ごせない。例えばほぼ毎日行っているトレセンが休みだし、平日毎日見ている『紙兎〇ペ』も今朝はやっていなかった。夜の会合もないので寝る時刻が早くなり夜中に目が覚めた。トイレ以外で就寝途中に目が覚めるのは久しぶりだ。夜中に布団の中で紋々としていると碌なことを考えない。「人生如何に」とか「何故生きる」「生きる目的は」とか考えすぎるのは良くない、「自然体でやる流れになったことを精一杯やっていく」これが人生、特に定年後の定職無し人生の秘訣と学んだはずだ。なのに年末の世間が休みモードに乗せられ、うっかり思索の罠に掛かってしまった。でも今朝早朝の読書(おっさんの朝読)で、禅宗僧侶が「心に去来する不安や心配事は受け流せ」と言われているのを読んで安心した。放っておくと誰の心にも過去の後悔や未来の不安等悩みが訪れるのは普通の事なので、大事なことは訪れた不安や心配事をいつまでも引きずってはならないということだと教わった。それを修業と言うらしい。人に言われたことを真に受けるのはドクターの得意とするところだ。というわけで、平成30年最後の日も迷いと(一時的)悟りというこの一年を象徴するような展開で締めくくりそうだ。ともかくこの一年こんなドクターのドタバタな毎日にお付き合いいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
☆正月飾りの準備が済んだ自宅前で本年中のご愛顧への感謝とご無礼へのお詫びをするドクター。皆様のおかげで本年も面白う過ごさせていただきました。感謝。サンキュー。メルシー。