Dr.534 心の向け方(12月16日)
最後の黒豆の乾燥・雑粒・選別が終わった。日陰田の黒豆でなかなか乾かず苦労して、雑粒も枝が乾いていないと機械詰まるので心配したが、少しづつ機械入れて何とか無事に終わった。その後は来年に向けてトラクターで田んぼを鋤いたが、どの田もまだ乾いていないところがあってもう少しでまた動かなくなるところだった。本来なら天気の良い日に田んぼを鋤くのは気持ちの良いはずだが、ぬかるみが気になって気分晴れやかと言うわけにはいかなかった。まだ鋤かなければいけない田んぼが残っているので気分はブルーだ。こんなことが毎年続くと考えると今後百姓をやっていくのが不安になった。ここまで考えていると、久しぶり登場の丹吉師(ドクターの師匠、心の中の存在)から一喝があった。「お前はまた何をマイナス思考に落ち込んどるのじゃ。長いことかかった黒豆の作業が大勢の人に助けられてやっと終わったところじゃろ。しかも心配していた機械の故障もなかったんじゃからもっともっと喜んでいいはずじゃ。先の心配ばかりしよって情けない。お前はこれまで何を学んできたんじゃ、人前でいっぱしに講演なんかもしてるくせにしっかりせい」と叱られた。将来の最悪を考えて対処を考えるのが人の常で人類はそうやって生き延びて来たのだから心配性になっても仕方がないじゃありませんかと反論しようとしたが、また師から「現代社会と太古の社会は違うじゃろ、自分が気持ちよくいられる心の向け方をせんかい」と叱られそうなのでやめた。こうして心の中で師との対話は続くが、こんな師匠がいてくれるだけありがたい。
☆心配した黒豆作業が無事に終わって、残された最後の農作業「田鋤」に出かけるドクター。「田鋤」でもまた心配の種が芽生え、根っからの心配性とお気楽道の丹吉師匠との格闘が続く。

Dr.533 過去にどう対処するか(12月15日)
「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来」というのはドクターの十八番のセリフで、時間については変えられない過去にとらわれてそのことで時間やエネルギーをとられて折角の今や未来を台無しにするのはやめようという意味だ。ドクター以外でも過去を見ず今(または未来)を大事に生きて行こうという主張の人や書籍は多い。ただこの場合の過去は暗黙の了解でマイナスの過去や後悔すべき失敗を指していることに気づいた。幸せな過去を思い出し今が幸せな気持ちになったり、過去の自分に対する肯定的な評価を知ることで元気が出たり未来への展望が開けたりする場合は、過去(を思い出すこと)も悪くない。このことに気付いたのは、最近教え子に会って「あの頃はたのしかったですね。一緒にあんなことこんなことしましたね」という話をしたり、「あなた(ドクターと呼ぶ人や絶こうちょうと呼ぶ人や丹後さんと呼ぶ人やお気楽なおっさんと呼ぶ人などがいる)がいると場が和んだり元気が出たりしましたよね」というような思い出話を聞いたりしたからだ。こんな過去なら、現在がジェットコースターのように自信を持ったりなくしたりが交錯するドクターにとっては悪くない。過去の自分で自信や元気を取り戻して今を生きて行くというのはありではないか。だからといって過去からしか元気がもらえないというのもどうかと思ったりもして。とかく過去との付き合いは難しい。
☆多くの教え子がお世話になっている地元企業のクリスマス会に参加して、教え子たちと。過去と彼らに元気をもらった。過去も悪くないっす。



Dr.532 思いがけない発想(12月14日)
寂しい定年者、自分だけ楽しむ講演者、お気楽道の求道者、よろず頼まれ役引き受け者、恐妻家などいろんな役をしているが、村では水利委員と言うのもやっている。水利委員の役の一つに村の農業用池の管理と言うのがあって、この間池底の保護のための水抜きをやったが未だに池の水が抜かれたままになっているので池の樋係(水利委員とは別に池ごとに係が決まっている)の人にもうそろそろ堤防の栓を閉めてくれるように頼んだ。その人(村の先輩)がうっかり閉め忘れているのか、黒豆の収穫などで忙しくって時間が取れないのかと思っていたら、先輩が「狩猟期間が始まって・・・」と言われたので、ドクターは「そうですね、山のふもとにある池に入って誤って打たれたら大変でものね」と応えたら、その先輩の答えはドクターの思いもよらないもので、「水を溜めて水鳥がやってきたらハンターに撃たれたら可哀そうだと思って(水を抜いたままにしている)」というものだった。こんな優しさに溢れた発想はドクターにはないし、普段専業百姓で忙しくしている先輩がそんな余裕のある発送をされているとは思いもかけなかった。このように思いがけない人が自分では思いつかない発想をされる場に出会うことが時々あって、これが視野を広めてくれる好機でもあり、人生の醍醐味の一つでもある。
☆この間行きつけの自動車整備屋さんで冬用タイヤに交換したが、ここの大将は安い工賃でタイヤを交換して、交換したタイヤを次の交換まで預かってくれる(結局ノーマルタイヤかスタッドレスタイヤを年中預けっぱなしということ)。こんなことしてたら採算合わへんやろと思うが、こんな商売の仕方をする人もいる。損得や近視眼的な発想から脱却する思いがけない人・発想との出会い


Dr.531 学びたいことを教える(12月13日)
人は幾つになっても生徒でもあり先生でもある。人は自分が学びたいことを教える。誰かの受け売りだがドクターの最近の実感でもある。昨日もある高校の生徒達にお話をする機会を頂いたが、そこで話したことは自分が興味がある事であり学びたいことでもある。曰く、「柔軟な考えで固定観念に縛られず生きると生きやすくなる」「過去と他人は変えられないので、今の自分を変えて未来を生きやすくしよう」「人生何が良くて何が悪いかはそう簡単には分からないので(何事にも両面ある)、出来事に一喜一憂せず、こだわらないで自分のやる羽目になったことや人から頼まれたことを引き受けながら上機嫌で生きよう」等々。これらの生徒たちに話したことはみんな自分に向かっても話している。人に話すことが一番自分の学びになる。言ったことはやらなければならない。何歳になってももう学ばなくてよいよいうことはない。子どもであろうと、聴衆からであろうと、主催者からであろうと、その学校の校長先生からであろうと誰からも学ぶことはあるし、昨日もたくさんの学びを頂いた。その学校への進入路が分からなくて困っていた時、「じゃ僕らが学校まで案内します」と自転車で校門まで送ってくれた地元の別の学校の高校生など、もしかしたら昨夜一番学ばせていただいたのはドクターかもしれない。こんな素晴らしい学びが出来る講演の機会があれば又よろしくお願いします。「厚かましさはほどほどに」とは学ばなかったらしい。
☆人は学びたいことを教える。教える人が一番学ぶ。そこに勤めているかつて一緒にお仕事したことのある養護の先生と。「女性とツーショット撮ったからといって舞い上がってはいけない」 これまでの痛い経験から学んだことを忘れないようにしたい。


Dr.530 懐かしい声(12月12日)
朝、濃霧の中を運転しているとブルーツースで繋がる車内電話に聞き覚えのある懐かしい声が入った。「お元気ですか?突然副所長(丹波教育事務所時代のポスト)の顔が浮かんで声が聞きたくなったものですから」と10年ほど前に一緒に働いていたAさんからの電話だ。こちらも懐かしく一頻り当時の話で盛り上がった後、ふと彼が急に私を思い出してくれたのはドクターがもうすぐこの世とお別れする前兆ではないかと不安にはなったが、それはともかく自分のことを思い出して電話をかけてきてくれる人がいるというのは有難いことだ。しかも話の中で「副所長が来られてから職場が和やかになりましたね」と語ってくれたのは嬉しかった。同じ日に別の人からも「丹後さんがいると和む」と言われたので、自己評価はやめたものの自分に確固たる自信が無くなりかけていたドクターとしては、「和む」をキーワードに自分の存在意義があるようで、これは「お気楽」「上機嫌」にも通じる自分の追求する生き方とも合致して、失いかけていた自信をちょっと取り戻させてくれた。このすぐ自信を無くしたり、またちょっとしたことですぐ自信を取り戻したりする「軽さ」も自分らしいなと思う。
☆濃いい霧の中から遥かな思い出とともに懐かしい声が聞こえてきた。その声はドクターに無くしかけていた自信を一時取り戻させてくれた。またすぐ無くすと思いますが、このおっさんは。



