Dr.446 いろいろな仕事(9月10日)
第2の人生(定年後)では、第1の人生(現職)のように1日8時間週5日のような重い働き方でなく、週3日・1日4時間のような部分的な仕事をいろいろ組み合わせるのが良い。そして地域の役やボランティア、トレーニング、読書なども仕事(自分の心身を充実させるのに必要なやらなければならないこと)と考えて取り組むのが良い(丹吉師曰く)。これまでの農作業(稲の刈り取りを中心とする)を中心とする仕事から一変して、昨日は法務局で登記簿謄本をとる(受付をしてから書類が出てくるまで待つ)という仕事を行った。百姓仕事が「動」なら、この仕事はただひたすら椅子に座って待つという「静」だ。2時間近く待つという、これはこれで結構大変な仕事だが、毎日でないのでたまになら耐えられる。丹吉師が言われる「定年後は(短く)いろんな仕事をした方がいい」というのは、第2の人生では第1の人生と同じような生活のためお金のための仕事(働き方)だけでなく、自分の興味や関心と世間からの要請に応じて多彩な働き方(+少しは生活のためにお金を稼ぐ仕事も)をした方が毎日が充実するから良いという意味だと思うが、(お金の稼げる)仕事の選択肢が狭まる第2の人生では大変な(面白くない)仕事も時にはしなくてはならないので、そういう意味でも一つの仕事が長くない方が良いというう意味もあったのかと、改めて丹吉師の慧眼に恐れ入った。
☆1時間以上ただ座って待つという仕事にちょっと飽いてきたドクター。この仕事も含めていろんな仕事が変わるのが飽き性には丁度良い。

Dr.445 ヤッターマン(9月9日)
これまでにも何度か「ヤッターマン」をブログタイトルに使ったと思うが何回目かは当然ながら覚えていない。もたもたしていると今回何故このタイトルにしようかと思ったのかさへ忘れるところだ。かろうじて思い出したところによれば、今回の「ヤッター」と叫びたい出来事は、全ての田んぼの稲刈りが何とか終わったということだ。新品コンバインのにえこみ、故障から、軽トラックのにえこみまで試練続きだったが、昨日何とか今年の刈り取りを終えることが出来たのだ。ドクターが数少ない講演でよく話す「教育にしろ人生にしろ思い通りの事(ベスト)がいつもできるわけでないので、諸条件・環境が許す範囲で出来るだけの事(言わばその時点でのベター)をやるしかない」の通り、今回の稲刈り・脱粒作業でも田んぼ状況や機械の調子によって予定していたベストの段取りではなかったが、許される範囲で作業を進め何とか刈り入れを終わらせることが出来た。農機具センターの職員の方をはじめ、ドクターのコンバインや軽トラを引き上げてくださった近所の皆さんをはじめ多くの皆さんのお世話になりようやく「ヤッター」が叫べれる日が来たのだ。皆さん本当にありがとうございました。これからも出荷した米の等級等(1等・2等・3等などとあって等級によって値段が違う。等外だと米を受け取ってもらえない)気になることはあるが、状況や流れに応じて出来ることをするしかないという今回の教訓を生かし、たんたんと状況に対応していきます。
☆全ての稲刈りを終わり洗車したコンバインをねぎらうドクター。調子に乗ってコンバインの中まで洗ってしまったので、ふたを開けて乾かさなければならなくなってしまっている。


Dr.444 新米の頃(9月8日)
悪戦苦闘の米の刈り取りが続いているが、これが終われば新米がいただける。新米は本当においしい。ところで人生の新米の頃も今から考えると美味しい時期だった。初めて教壇に立った神戸市内の工業高校の頃には部活(空手道部)や担任(土木科)業務を中心に恐いものなしで打ち込み、放課後は先輩に連れてもらって毎日のように飲みに行っていた。新米教師は自分にとっても美味しかったが、その頃出会った部活やクラスや授業でドクターに関わった生徒達にしても自分と数年しか歳が離れていない若造との出会いは不安な面もあったろうが美味しかったのではないだろうか。少なくとも古米(ベテランの先生)にはない味が味わえたろうと思う。初めての管理職(特別支援学校教頭)、初めての校長時代も面白かった。毎日が新鮮で何もかも初めての事ばかりで右往左往している間にあっという間に日々は過ぎていった。時間が過ぎるのを早く感じる時って後から思い出すと充実していることが多い。しかし、考えて見ると今も新米の定年退職者であり、新米の専従冒険案内人であり、新米の専業百姓だともいえる。そうか道理で毎日がバタバタしているのか。後から考えたらこの時期が充実してた(美味しかった)と思い出すのだろうか。後からの「後」っていつか知らんけど。
☆新米専業百姓でバタバタしていて昨日の写真はないので、この前生涯大学でしゃべらせてもらった新米講演者のドクター。新米の講演者でホントに受講者の皆さんにはご迷惑おかけしました。

Dr.443 試練と恩寵と(9月7日)
昨日もお気楽ドクターの悟り具合を試すかのような試練と恩寵が続いている。恩寵という知っている中では精一杯背伸びした言葉を使ったが、要するにラッキーなこととアンラッキーなことが極端な形で続いており、これらを平常心で受け止め、上手く行ったことに感謝しながら、上手く行かないことについてはできる範囲で精一杯なことをしたうえでどうにもならないことは受け入れるという心の持ち方ができるかどうかが試されている。前半の朝早くからの脱穀作業は順調に終わり、その後の三田市内幼稚園での講演会も盛り上がりとここまでは絶好調だったが、講演会帰宅後に簡単に済むだろうと思って始めたコンバインによる稲の刈り取り作業が超試練だった。見た目よりも田んぼがぬかるんでおりコンバインの操縦が効かずもう少しでまた立往生する所だった。これまでの経験と運と多少の米を犠牲にして何とか田んぼの中での立往生は逃れたが、1~2時間もかからないだろうという刈り取りが日没近くなってしまい結構コンバインのあちこちも詰まり満身創痍のまま何とかその日の作業を終わらせた感じだ。そんなこんなでまだ刈り取らなければならない田んぼが3枚ほど残っているがどうなることやら。まあできることを出来る範囲で全力でやるしかないので、今日も何とかがんばります。
☆前半の順調だった幼稚園保護者会後援会と試練の帰宅後稲刈りに気合を入れて臨むドクターとその格闘の後のぬかるんだ田んぼ。今日も試練は続くが何とか乗り越えたい。




Dr.442 試練は続く(9月6日)
昨日から続いている農作業における神の試練はまだ続いている。朝一で乾燥機を見に行くと、昨日農機具屋さんに直してもらったはずの機会がまた止まっている。昨日と同じ燃料パイプが抜けていたのだ。もう一度差し込んで今度は上から針金で縛って何とか動き始めたが、乾燥(米の水分含有率14.5%)まで時間が掛り、午前中に予定していた臼摺(脱穀作業)はできない。準備だけして午後一の市民講座に出かけ戻ってから臼摺をやる予定だったが、戻ってみるとまだ水分は14.6~7%で脱穀はできない。そこで昨日故障して午前中に直してもらったコンバインを取りに行くことにした。コンバインは確かに動くようになっているがスピードが出ない。この調子では道路の途中で止まってしまうのではないかと不安になったが、よく見ると「作業中」のまま走っていた。道路を走る時にはスイッチを「走行」に切り替えなければならなかったのだ。スイッチを切り替えて快調に走りだしたと思ったら急に黒い雲が立ち込め雷もなり出して大きな雨粒が落ちてきた。少し濡れたが幸いにも雨宿りできる共同作業小屋の屋根の下までたどり着きコンバインごと雨宿りをしていたが10分経っても20分経っても雨は激しくなるばかりだった。そこへ自転車で帰宅中の中学生も雨宿りにやってきて、「高校はどこへ行くつもり」とか何とか話しながら二人で雨が止むまで30分~40分そこで過ごした。久しぶりで村の子どもさんと話ができて良かった。小降りになったのでコンバインを動かして帰っていると、80歳を超えた母親が雨具と着替えを持ってやって来てくれ、母親の愛情を感じた。この日も又試練やら恩恵やらが交錯する1日だったが、何事も柔軟に対応する心があればなんとかやっていけるということ、1日(大きく言うと人生も)は自分の思い通りには行かないので、「なるようになる」「なるようにしかならない」という楽観と覚悟で生きるしかないということを再認識できて良かった。
☆乾燥機のアクシデントからスタートしたこの日もいろいろあったけど、市民講座にも参加できて何とか無事に過ごせました。感謝、感謝。


