Dr.1039 1日の組み立て(8月23日)
休日の1日をどう過ごすか。先ずは、百姓仕事。しかしまあ、これも天気によってはできない。
次に考えるのは、どこで汗を流すか。1日1回は汗を流しして、美味しく夕食時一杯がこの頃の楽しみなので、一日のどこかに汗を流すメニューは欠かせない。農作業で汗をなすのが一番だが、汗を出す作業が多すぎても体調を壊すし、少なすぎると美味しい一杯につながらないので加減は大事。
ここに家の用事や行事が入ってくる。
昨日は水利組合として水路の調査等を行った。それと散髪と2~3時間の農作業で1日は終わり。
あっという間に一日は終わった。一杯後は即寝なので、一杯でドクター一日は終焉となる(緊急事態は別ですけど)。
平日は農作業が市役所勤務に代わるだけで、基本は同じような感じ。
こうして一日一日があっという間に過ぎていく。気が付けば1日1週間1月が終わっている。こんな感じの過ごし方がどうなのかと思わないでもないが、人生や悩みをあれこれ考える間がないのは良いことかも。
かくしてあっという間に一生が終わるのではと思うと、寂しいような、時間を持て余すよりはいいような、とかく物事には良い面と悪い面があるし、自分の意思と言うよりは大きな流れで生かされていると思うので、時間の過ごし方も流れに任せるしかない。
☆水利組合役員の人達とため池や水路の現地調査。何とか済みました。一日もあっという間に過ぎました。なかなかゆっくりは過ごせませんが、これでいいのかよくないのか。考える間もない。まあいいか。



Dr.1038 さすがプロ(8月22日)
伸び伸びになっていた石川さゆりさんのコンサートに行って来た。
2時間ほどのコンサートだったが、よくあれだけ歌えるものだと思う。何十曲歌われただろう。
歌の間のしゃべりも自分一人でやって、しかもなかなか上手。お客の心をつかんでいる。
聞けば来年50周年だという。よく一つの道を50年もやれるものだと思う。ドクターならとっくに飽いているだろう。それに加えてその分野のことはやりつくして頭打ちって感じだろう。
ホントに久しぶりのコンサートだった。その前がいつだったのか思い出せないほどだ。30年ほど前に生徒会の役員を連れて谷村新司のコンサートに招待されたのは覚えている。もしかしたらそれ以来かもしれない。
大きな声は出せないので、拍手をしたり、手を振ったり、目をつむって歌の世界に入ったり、人生を振り返ったり、あの曲がヒットしていた頃は何をしていただろうみたいな感じで。なかなか豊かな時間だった。
時々ドクターのいた舞台左方にも来られるので、目を見つめて手を振った。そこで手を振ってくれたのは自分に向かってだと思えた。多分多くの人がそう思わされただろう。これぞプロだ。
「麒麟が来る」の委員会にいたのでその関係で買ったチケットだったが、こんなことが無ければ買わなかっただろう。やはりいろんなご縁が人生を面白くする。ありがとうございました。


Dr.1037 夫々の場所で(8月21日)
仕事柄プラス性格上いろんな場へ行き、いろんな人に出会うが、ボランティアもしくは準ボランティアで輝いている人を見ることが多い。
視覚障がいの方の集いにガイドヘルパーとして参加してくれる人がいる。この人たちがいないと、視覚障がいの方は外出しにくい。平日の昼間に半日または1日、人のために時間を使う。
その中には、趣味で南米の楽器を習っている人もいる。しかも二人も。こうした人たちはいろんなことに積極的で人脈も多い。
図書館で開かれた「夜のお話し会」で子どもたちにお話を聞かせてくれる人たちもいる。参加している人の中には図書館ボランティアとして活動してくれてる人もいる。ここでも顔見知りの人達が多い。
活動している人はいろんな分野に顔を出し輝いておられる。
子どもたちに剣道や柔道、空手やバスケットなどを教えている人もいる。もちろん、野球や卓球を教えている人もいる。
お城ガイドや歴史研究、史料編纂をしている人もいる。夫々の活躍分野は無数にある。
現役中は現職の仕事を中心に、退職後は夫々の興味や成り行きで、がんばる分野が決まって行く。
特に頑張る分野も持たずゆっくりするのもありだと思う。大事なのは、夫々の分野で、夫々の生き方で、各自が機嫌よく生きられることだと思うが、これがなかなか難しい。
難しいからと言って諦めず、少しでも日々充実に向かって、自分の分野、自分の生き方を磨いていこう。あんまり磨けてないドクターが言うのも何ですけど。
☆ガイドヘルパーやストリーテリングなど夫々の場で活躍する人々。こうした人々に社会は支えられている。


Dr.1036 臨機応変力(8月20日)
教育長室を訪ねて来られた方の中に、昔にドクターが演じた狂言を見た方がおられた。
その時、演じていた狂言『梟』の中で、梟の霊にとりつかれた人をドクター演じる祈祷師が祈って霊を追い出すシーンで、「ボーロンボロン ボーロンボロン」と唱えながら数珠をゴリゴリしていて数珠の紐が切れるというハプニングがあった。
その時ドクターは少しも動じた風もなく(内心はかなり焦っていたと思うけど)、「紐が切れてしまってござる。これはいかなこと」とか何とか狂言風に言いつくろって、演技を最後まで続けたという。
そのシーンを今も思い出すと語ってくださった。
ドクターはそれまですっかり忘れていたが、そういえばそういうことがあったのを思い出した。
今も行き当たりばったりで毎日を送っているが、昔から臨機応変と言えば聞こえはいいが、行き当たりばったりでやっていたようだ。
でも、折角なのでこの機会に、この行き当たりばったりで何とかその場をしのぐ術を「臨機応変力」と名付けて、自分の長所と考えたい。
長所と言えるものが少ない身としては、ありがたいこと。大事にしよう。
☆今日もあいさつで狂言風謡いを披露するのを思いついて、久しぶりに扇を広げるドクター。

Dr.1035 個性が出る喋り(8月19日)
いろんな人の発言を聞く機会が多い。夫々の人に話し方、考え方の癖があり、そこにはその人らしさが一貫して流れている。
本当はしゃべりだけでなく、生き方、考え方、行動も含めて、その人の一貫性は変わりにくい。
その人は、いつでもどこで聞いても、その人らしいことをその人らしく喋っている。
当然と言えば当然のようにも思うが、興味深いことだ。人間ってそんなに変わりにくいものなのかしらん。
太ったり老けたり、外見はいとも簡単に変わるのに、中身は変わりにくいとは。
中味にしても全く変わらないということもないと思うが、個性と言うのか変わらない部分は確かにあると思う。
人間というものがそうだとすれば、自分にも当てはまる。これぐらい生きてくると、自分の考え方やしゃべり方も含めて自分というものの全体像が分かってくる。
何かの機会に自分の特性に直面する時、こんな感じの立ち位置で自分は生きている、周りの人から見られているということが分かる。
自分の特徴を踏まえてそれを活かす言動を心掛けて行きたい。
☆この写真はだいたいで採ったのでボケている。お祭り好きで大体で生きる、自分の特性がここにも出ている。


