Dr.1049 晴れ間(9月4日)
今日は稲刈りを予定していたが、早朝までの雨で難しい。
天候は、人生と同じで自分ではどうしようもない。晴れの日は晴れの、雨の日は雨の、天候に合わせてできることをするだけだ。
昨日も職場でいろんな案件にでくわした。どれも簡単ではない。天候で言えば曇りや雨の状態だ。
それでも、今少し晴れ間が出て来たように、永遠に雨と言うことはない。
どうしようもないことは受け入れ、晴れ間を待つように人生の天気・転機をまとう。
皆さんも、ドクターと同じようにいろんなことがあるかもしれませんが、ご一緒にボツボツ歩んで行きましょう。
周囲の人にやさしく、その天気の中で、自分のできることをやっていれば、よく見るとチョットした晴れ間や良いこともやってくるでしょう。
☆ドクターの部屋から見える雨が上がりかけた風景。そこへトンボもやってきた。良いこともチョットはある。見逃さないように味わいたい。


Dr.1048 雨ですね(9月2日)
朝から雨が降ったり止んだりしています。この雨のようにドクターの調子も濡れている。
最近の文調が元気ないオーラが出ているのは自分でも感じるほどだから、読んでくださってる方にご心配をかけたり、不元気を伝播したりしているのではないかと心配している。
人間誰しも調子の良い時まあれば、不調の時もある。その点ではドクターも人様並みということだし、もしかしたら人並み以上に落ち込みやすいタイプかもしれない。
それでも機嫌よく生きて行くために、どう考えたらいいのかという考え方(人生哲学)や生き方(毎日の過ごし方)などを磨いてきたはずだし、結構調子よく行っていたはずなのだが、まだまだ修行が足りないことが今回判明した。
不調だからと言っていろんなことをやめるわけにはいかないし、何とかこの状態を脱したいと思う。上手く行くかどうか、というより、何とか脱する様子をお見せしたいと思っています。乞うご期待。
☆窓からのぞく雨の様子。長雨はあっても永遠の雨はないように、晴れ間がまたやってくるだろうと信じてます。
心配させてすみません。

Dr.1047 月明け がんばりましょう(9月1日)
今日から新しい月が始まる「月明け」です。
生きてるといろんなことがあり、良いことよりも悪いことやしんどいコト多いですけど、月が改まるのと同じく流れが改まることもあるでしょう。
良い流れ、良いことが来てくれるのを信じて、がんばりましょう。
がんばると言っても無理をするというのではなく、自分のペースでできるだけはやりましょうということです。
ほんとに何も悪いことしてないのに何でこんなことが起きるのかと思わないでもないことが起きますが、それも考えようで、この程度で済んで良かったと考えられないこともありません。
良いことは滅多にはないですが、人生そんなもんということでボチボチ行きましょう。
ドクターの晩酌のように小さな楽しみを励みに、今日もやらなければならないことをたんたんとやっていきたいと思います。御同輩の皆様、ご一緒に流れに任せて歩んで行きましょう。
☆月初めに当たり、自らを奮い立たせるようにポーズをとるギリギリのドクター。何とかやって明日もお出会いしましょう。

Dr.1046 やりたいこと(8月30日)
毎朝聞き流しているラジオ英会話で「あなたのやってみたいことは何ですか」みたいな話題をしていた(日本語の解説の部分で聞き取れた)。聞かれた若者は「楽器演奏だ何だ」と多くのやりたいことを答えていた(これも日本語解説部分で判明)。
長年やっている英会話も含めて、そんなに殊更やりたいことがない自分に残念な気持ちになった。
元気で(身体と頭が動く状態で)寿命まで生きたいという希望はあるが、それはやりたいこととはちょっと違う。
世の中には80歳や90歳でもバリバリやっている人がとり上げられる。あんまり例がないから取り上げられるのかもしれない。
現役時代はそれなりにやりたいこともあったような気がするし、何よりも仕事を全うすることがやりたいことと言うのか、それが全てだったような気がする。
退職後の第2、第3の人生での「やりたいこと」や「生きがい」探求が難しい。でも引退後の人生が長くなっている昨今では大事な課題だ。定年を伸ばそうという動きも出ているので、それなりに悩む期間は短くなるようにも思うが、いずれにしても第一線を引いた後の過ごし方は重要になる。
現役中、その仕事を全うするとともに、それ以外の「やりたいこと」や「定年後に携わるコト」にも意識を向けるのも大事かなと思うが、どうせやってみないと本当のところは分からない。
現役時代を考えても、何が一番面白かったかは、自分が見つけたというよりは、成り行きでやる事になったことを後から考えて見ると、それが心に残ったと言えるような気がする。
この感じで行くと、退職後も流れでやる羽目になったことをやって行く中で、後から考えて「あれが面白かった」ということが分かるものだろうかとも思わないでもない。
☆百姓も何とかやってるけど、後から(出来なくなってから)考えると、あの頃が懐かしいってなるのだろうか。

Dr.1045 落ちる(8月29日)
これまでも校長試験をはじめ、いろんなものに落ちてきたが、今回はお米の乾燥機の給油缶の上から落ちた。
お米の刈り取りに備え、コンバインや乾燥機などをチェックしている時に、乾燥機の上方にある排出ホースが破れていたので、テープで補修しようと、給油缶の上に乗ったところ、もともと人が乗るように出来ていない細い足が耐えきれなくなって、ドクターを載せたまま1mほど下に落下した。
落下の衝撃で給油缶から出ていた給油ホース接続部が壊れて灯油が漏れ出した。
ドクターは幸い、手首と二の腕に少しばかりの傷を負ったが、それ以外は大丈夫だった。
給油缶が壊れたのと打った手首は痛いが、これぐらいで済んで良かったと考えるべきだろう。
世の中何事でも良い面悪い面があって、悪い面でもその程度で済んで良かった悪い面とそれ以上の悪い面がある。
こうなると考え方によると思うが、起きてしまったことは後からどう考えても取り返し付かないのだから、どうせなら良いようにとって、その事態からの悪影響を最小限に止めるのが得策だ。
ということで、今回の給油缶から落下事件はこの程度で済んで良かったと思って事後処理(修理依頼など)に当たりたい。これからが、思考方法(人生哲学)の真価が問われる。
そんな大層な事でもなく、たんたん丹後とやらなければならないことに、たんたんとやって行きます。
☆もうすぐ刈れますドクター米。でも、給油缶落下も含めて、まだまだ予期せぬ出来事をクリアーしていかなければならない。人生と同じです。
これを大層と考えるのか、なるようになると考えるのか、これもまた人生と同じだ。



